Nostalgia

ヴィクトリア朝蒸気機関譚
大塚已愛
大塚已愛

40

公開日時: 2020年10月15日(木) 18:00
文字数:2,782

 フォッグ二世が少しばかり真面目な口調で訊いた。


「非公式、と言うことは、何か表だってこの国に来られない事情でもおありなんですか? 表沙汰に出来ない件とか……」


 今年の七月に、日本帝国は英国と日英通商航海条約を結んでいるが、同時に大清帝国とも開戦をしている。国際的に非情に危うい立場にあった。大津事件で露西亜帝国との関係も危うい今、英国と日本の間に何かがあれば、更に面倒なことになるだろう。それを慮ったのかとも思ったが、ノウルズの答は全く違った。


「むしろ、我が国の方が今回の件を表沙汰にされたくない側かな。この国は昔から、物欲に関してはモラルが全くない国であるから」


「物欲ですって?」


「そうだ。我が国民の悪い癖、というものだな」


 そういうと、ノウルズは、少しばかり目を細めて話を続ける。


「今年の六月の事だが、日本の剣術道場に盗賊が入ったらしい。盗まれたのは一振りの刀だ。日本政府曰く、それを盗んだのは英国人だと言う。確かに日本の骨董品や美術品は人気だし、特に日本刀なんかは好きな者にはたまらない代物だろう。実際、あの国が開国してから、いろいろな文化財が諸外国に流出している。金で買ったものもあるが、中には盗品もかなり多い」


 最近の英国での東洋趣味オリエンタリズムのすさまじさは、フォッグ二世も知っている。彼自身は、特に日本という地に興味はないが、たまに覗きに行くオークション会場で、例えば浮世絵と呼ばれる絵画や、有田焼などと呼ばれる焼き物が高値で取引されている場面を何度も見ていた。


「確かに、日本刀は美術品としても価値がある代物ですからね。盗んででも手に入れたいと言う不届き者もいるでしょう」


 いつぞやマサムネとかいう名前の日本刀がオークションに出されたときの会場の熱気に溢れたやり取りを思い出す。フォッグ二世がそう言うと、ノウルズは、気に入らなさそうに鼻を鳴らした。


「それが美術品ならそうなのだろうな。しかし、今回盗まれた刀というのは、美術品としての価値は特にない、実用品の類いらしい。鑑賞用にはならない位に無骨なものだと言う話だが、まぁ、それは実際に見ていないからなんとも言えん。それに、刀の一振りが流出したくらいで、日本政府が動く訳がない」


 妙に意味ありげな言い方に、フォッグ二世が興味津々と言った風情で訊く。


「その他に、盗まれたものがある、と?」


「その通り。そっちの方が剣呑だ。その英国人は、帰国直前に一人の日本人の墓を暴き、その骨を持ち去ったらしい。我が国では、すぐそこの大英博物館で、勝手に持ち帰った埃及エジプトの王のミイラを悪びれもせずに飾るくらいの図々しさもまかり通る。しかし、今回は奪い去られた骨の持ち主が問題なのだ」


 ノウルズの言葉に、フォッグ二世はそれが何かをすぐに察した。


「ああ、それは、日本政府にとって、かなり重要な人物の骨だったんですね?」


 教え子が正解を出したときのような表情で、ノウルズが重々しく頷く。


「その通りだ。重要というより、かなり顔が広い男らしいな。英国にとっても、まぁそこそこに関わり合いのある男の骨らしいのだが、説明するのがややこしい。詳しいことは、ケン殿に訊いて欲しい。又聞きである私の話よりも、遙かに有用だろう」


 そう言うと、ノウルズは老紳士へ会釈をする。話を振られたケンが、ゆっくりと語り出す。


「盗まれた遺骨は、革命の中心人物ではない、まぁ使いっ走りのような男の物でな。慶応三年――、いや、一八六七年に暗殺された男だ。妙に顔が広く、英国にも、幕府……旧政府にも、新政府にも顔が利く男であったよ。特に何も重要なことはしていないのだが、存在感は妙にある。そのせいで、ある意味での捨て石というか、人柱にされた。そういう意味で、今回私に仕事を依頼してきた者は、どうしてもそれを取り戻し、母国の地に埋め直してやりたいらしい」


 死者に対する追悼の思いというのは何処にでも存在するが、しかし、その追悼をどう表現するかには、地域差がある。日本では、死者の骨や遺髪にも、やはり強い意味があるらしい。感心したようにフォッグ二世が言った。


「なるほど、西洋でも、聖人の聖遺物を盗み出したり、偉人の遺骨を盗掘する者もいます。そういえば、昨今珍しいことに、近頃は倫敦郊外で墓荒らしが頻繁し、数多くの死体が消えているらしいですね」


 十八世紀以来、人体への関心の高まりから解剖学が花開くのだが、その結果、欧州では医療用の死体が足りなくなっていた。当初は死刑囚の死体を使っていたのだが、やがてそれも追いつかなくなっていく。解剖用の死体を欲する医学博士達は『復活屋』と称する墓泥棒達からも死体を買うようになったのだが、そんな輩が高値で売れる『商品』を『生産』するようになるのも自明の理である。身寄りの無い孤児や浮浪者などを殺し、その死体を売るという恐るべき犯罪まで生まれたのだ。


 しかし、それは既に過去の話となっている。復活屋の取り締まりが強化された事に加え、更には法律によって、埋葬料金を支払えない者の死体が強制的に解剖に回されることになったため、最近では墓荒らしは激減していたのだ。フォッグ二世が『昨今珍しい』と言ったのはそういうわけである。


 フォッグ二世の言葉に、ノウルズは大きく頷く。


「そうだ。昨今珍しい墓荒らしが、今起こるという、そのタイミングが妙だろう。ケン殿に聞いた話によると、日本からその刀とその男の骨が盗まれたのが、今年の八月頃であるらしい。日本から英国まで、正規ルートなら一ヶ月ほどだ。私の記憶が確かならば、今年の十一月に最初の墓荒らしのニュースが出ている。墓荒らしなんぞ、そう派手にやらかさない限りは中々バレない犯罪であるし、大体記事になる一、二ヶ月ほど前からそれが始まったとしたら、ある意味で時間は合うだろうな」


 ノウルズの言葉に、感心したようにフォッグ二世が訊く。


「ノウルズ卿も、今、このタイミングで英国で頻発する墓荒らしは、日本で盗まれた遺骨に起因するとお考えですか?」


「情報を統合すると、どうにもそうなる。実際は信じたくない事柄ではあるが、しかし、ある程度の情報からでも、日本の事件と、この英国で起こった事件が繋がるというのは自明の理だ。しかし、何のために死体を盗むのかがわからん。犯人が死体愛好家とでもいうなら別だが……」


「しかし、そんな些細な事件に、何故『殿下』が関わっていらっしゃるのです? 死体愛好家の英国人の犯罪など、ちょっと気の利く役人と警察にでも任せればいいのでは……」


 訝しげに訊くフォッグ二世に、暫く沈黙を保っていた青年が静かに言った。


「これが『些細な事件』であるのなら、そもそも私の所にまで話は来ない。英国政府の中で私の生存を知っているのは、父とその側近以外は居ないのだからね。これは、日本政府からの警告だ。君が思うより、意外に事は大きいらしいよ、フィリアス」

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