Nostalgia

ヴィクトリア朝蒸気機関譚
大塚已愛
大塚已愛

38

公開日時: 2020年10月13日(火) 18:00
文字数:2,616

「ラリー、あんたはそこから絶対動くな」


 隣にいるローレンスに向かって言い置くと、エルドレッドは一人で勝手に喋り続けるジャン・ジャックの首筋をひっつかみ、自分の背後に飛ばす。


 鉄人形を戒めていた鎖が弾け飛んだのはその瞬間だった。一瞬前ほどまでジャン・ジャックが居た場所めがけ、鉄人形が腕を突き出す。


 床板が吹き飛び、破片が散った。床に大穴があくほどの一撃に、ジャン・ジャックが爆笑する。


「う~わ、凄いね! 思った以上の出力だ。リミッターとか振り切れちゃってる?」


「黙ってろ、舌を噛む」


 鉄人形の二撃目から庇うべく、再度ジャン・ジャックを放り投げ、エルドレッドが短く言った。エルドレッドの判断で、すんでの所で圧死を免れたジャン・ジャックが、面白そうに笑いながらも首を捻る。


「そもそも目とかは見えないし、耳も聞こえてない筈だけどねぇ。なんで私の居場所がわかるんだろ?」


 独り言のようなその問いに、エルドレッドがジャン・ジャックを更に遠くに放り投げながら答える。


「余程あんたが憎いんだろうよ」


 巧い具合に計器の上に放り投げられたジャン・ジャックは、すとんとそこに腰掛けた格好になる。


「まぁね、憎悪ってのは感情の中で二番目に強いもんだしねぇ。でもさ、こうなったのはそっちの自業自得であるのに、それを棚に上げてこっちばかり憎まれるのもなんだかねぇ。もう少し反省を促すように調整する方向で行こうかな」


 二人の会話の間も、鉄人形は狂ったように暴れ回る。ジャン・ジャックの元に行こうとしているのか、行く手を阻む巨大な鉄の計器を引き裂いた。一気に蒸気が噴き出して、歯車や螺子が内圧に負けたように周囲に飛び散る。放っておけば、他の機械も破壊しつくし、すぐにジャン・ジャックの元に辿り着くに違いない。


 微かに溜息をついてから、エルドレッドが低く言った。


「……壊すぞ、いいな?」


 ジャン・ジャックが足をぶらつかせながら、仕方なさそうに言う。


「しょうがないなぁ。緊急停止の命令も効かないみたいだしね。私が言うこっちゃないけどさ、憎しみって怖いよねぇ。あ、素手はだめだよ。全身を再調整する羽目になるのは流石に面倒くさいからさ」


 その言葉に軽く舌打ちをすると、エルドレッドは面倒そうに、手に提げたキューケースの留め具を外す。


 中から現れたのは、一振りの黒鞘に入った日本刀だった。柄糸も黒であり、ただ一カ所、下緒にだけ、真ん中に金糸が使われている。地味すぎる拵えであり、刀でもあった。


 日本刀は剃刀の如き切れ味を持つのは有名ではあるが、しかし、鉄の塊を切れるわけもない。しかし、ジャン・ジャックもエルドレッドも特に気にする様子もなかった。


 鯉口を切り、鞘から白刃が抜かれた瞬間。


 酷く澄み切り、そうして眩暈を覚えるほどの高音が空気を裂く。


 白刃をひっさげて、エルドレッドは機械側面に出ているボルトへ爪先を引っかけるようにして、天井近くまで一気に昇った。


 天井を踏みしめるように膝を撓めると、そのまま日本刀を構え、暴れ回る鉄人形の真上めがけて跳躍する。


 その光景をのんびり眺め、ジャン・ジャックが小さく呟く。


「寛大に与えることにより増大する(Auget largiendo.)。まったくキミ達兄弟はねぇ、ほんとに特性がふざけてるよ」


 その言葉が終わるのと、鉄人形の頭に白刃がめり込むのとはほぼ同時だった。兜割り、という言葉があるが、正しくその通り、その刃は綺麗に鉄人形の頭だけを割っていた。鉄人形の断面から、どろりとした灰褐色の液体が零れ落ちる。まるで生き物のように痙攣した後、鉄人形は動きを止めた。倒れることさえしなかった。


 その頭から刀を引き抜き、上着から取り出した白布で刀身に拭いをかけるエルドレッドに、ジャン・ジャックが大袈裟に拍手喝采してみせる。


「相変わらず小器用だねぇ、キミ。首を刎ねれば済むところを、敢えて手間をかけて、再生できないように脳を潰してやる、ってのは慈悲かな? それとも嫉妬かな?」


 それを聞いても、エルドレッドは何も答えなかった。ジャン・ジャックは更に続ける。


「ホント、キミも素直じゃないねぇ。折角罰を免罪されてるんだから、もう少し開き直ればいいのに」


 よっこいしょ、っと声をかけて、計器の上から飛び降りると、ジャン・ジャックは動かなくなった鉄人形に近づいた。伸び上がるようにして、頭部の裂け目を見分する。


「さっき繋げたばっかりの神経まで焼き切っちゃったかな、これは……。慈悲八割、嫉妬二割、ってとこだね、こりゃあ。そういうねぇ、屈折してるところが実に良いね、キミは。やっぱり屈折の才能があるんだよ」


「そんな才能など、あってたまるか」


 怒りの籠もった声で吐き捨てるエルドレッドに、ジャン・ジャックはひらひらと片手を振るのみだ。それが余計にエルドレッドを苛立たせる物らしく、また、奥歯を噛みしめる音が響く。


 その音を心地好く聞くように、ジャン・ジャックが独り言のように呟いた。


「まったく、キミは実に不幸だよ。キミのお兄さんとは異なって、私に引き取られてしまったんだから。お兄さんと立場が逆なら、そもそもこんな風に屈折してなかったろうね。まぁ、お兄さんの方を私が引き取ったとして、キミみたいに良い感じに屈折させる事は出来なかったろうけどさ」


 上機嫌で呟きながら、ジャン・ジャックはローレンスを呼ぶ。


「さて、ローレンス君、一つ素材が駄目になっちゃった。残りは幾つだったっけ?」

 先刻の位置から微動だにしないまま、ローレンスが思案し言った。


「貴公がリバプールから仕入れてきた分は、あと六つほど。私達が仕入れた分は五つ丸々手つかずだよ、ジャン・ジャック殿」


「ああ、結構あるもんだね。リバプールの分はこのまま実験に使って、残りの五つは本番用に取っておこうか」


 上機嫌で告げるジャン・ジャックを、エルドレッドが嫌悪感を隠しもせずに見つめる。その視線をわざと無視して、ジャン・ジャックは陽気に告げる。


「『幸運は私たちの最初の努力に微笑む(Aspirat primo Fortuna labori.)』もんだからね。計画も終盤にさしかかったところで『命の冠の少女』が見つかるなんて運が良い。これぞ天の采配だ。まったく運命の女神は前髪しかないから、ひっ捕まえるのが大変だけど、努力は報われるってのはいいね」


 高らかな笑い声が地下室に木霊する。


 まるで涙のように、今度は透明な液体が鉄人形の頭から漏れたのは、多分何かの偶然だった。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート