神からの贈り物、という割りに、教授の言葉には微かな嫌悪もあるようだ。その事に首を傾げつつ、フォッグ二世は更に尋ねる。
「では、彼女が共感覚の化け物だと言う理由は? 共感覚というのは、それほど珍しい能力ではないのでしょう?」
興味深げに尋ねるフォッグ二世のその問いに、教授は一口深く煙草を吸い、ふぅ、と一気に吐き出した。殆ど無感情に言い放つ。
「あの娘は音を色と数字で見る。しかし、正確には見ているわけではない。耳に聞こえる音をすべて脳で分解し、認識しやすい色と数字に計算しなおし、視覚として情報を得ているだけだ。共感覚というのは先ほども伝えたとおり、脳の疾患という説もあるが、しかし、もう一つ人為的に誘発できるケースがあるというのを知っているかね?」
「いえ……」
素直に首を振るフォッグ二世に、教授は生徒へ講義するような顔になる。しかし、普通の講義と違うのはその内容だ。
「人為的に共感覚を体感できるのは、阿片や大麻などの麻薬を摂取した時だ。古代の巫女がしばしば麻薬を摂取して未来を予見したという話があるが、それも共感覚によって未来を計算した結果だと考えられている。それは、君にも馴染みだろう? しかし、そういった便利な一面がある一方で、一つの刺激に対して認識する感覚が増えれば増えるほど、脳に対する負担は大きい。阿片患者の脳がぼろぼろになる所以だな。幻覚は共感覚の産物なのだ。つまりは脳を酷使している事になる」
「……つまり、共感覚者は阿片中毒者と同じようなものだというわけですか?」
教授の言葉に、多少眉を顰めながらフォッグ二世が訊いた。どことなく、怒ったような風でもある。教授は意味ありげに唇の端を歪めて言った。
「そこまでは行かない。これは程度の問題だ。行き過ぎればそうなるというだけの話さ。通常の共感覚者は、多少脳が疲労しやすいくらいで、日常生活に於いては何の支障も無いだろう。問題は、普通では無い共感覚者の方だ」
そんな矛盾を口にすると、教授は短くなった煙草を手近にあった灰皿に押しつけ、二本目の煙草を取り出す。
軽く咥え、燐寸を擦り火を付けた後、深く煙を吸い込み、吐いた。土耳古煙草の癖
の強さが宙に舞う。
「音を色付いた数字という形で『見る』上に、更に、彼女はその微妙な声のトーンさえ、数値の変化として感じるらしい。音の反射まで『見える』そうだ。そこまで凄まじい感覚だ、脳への負担は想像も出来ん。一つの刺激に対して二つ以上の感覚で知覚できる尤もわかりやすい例は、阿片の末期中毒者だそうだが、あの娘の共感覚はそれ以上だ。普通ならとても耐えられまい。しかし、彼女は正常なのだ。それどころか、その共感覚を利用して凄まじいまでの桁の暗算までこなせる。彼女を化け物と言わざるを得ないのは、そう言う理由だ」
教授はまるで溜息を吐くように、大量の煙を吐き出すと、ほんの僅かに頭を振った。
「なるほどねぇ……。しかし、まぁ結局は、計算が得意な共感覚があるだけの子でしょう? 化け物よばわりは、些か大袈裟なように思いますけどね」
「大袈裟な物言いなのは認めよう。しかし、我々からすれば大袈裟であっても、《王立医師会》や君の囲っている連中は、果たして何と言うものだろうな、フォッグ卿。立場や視点を変えた時に意味が変わる事ほど恐ろしいものは無い。マクベスではないが、綺麗は汚い、汚いは綺麗、というわけだ」
教授の言葉に、フォッグ二世が肩を竦める。
「彼等が見ている世界が我々と違いすぎるというのは認めますよ。しかし、私は彼等を囲っているわけでは無い。彼等は私の趣味の協力者ですよ、教授。貴方と同じく、ね」
貴方と同じく、という言葉を殊更に強調するフォッグ二世の言葉にも、教授は表情一つ変えなかった。代わりに二本目の煙草を盛大に吹かし、無駄に煙を部屋に撒く。徐に言った。
「用件というのはまさにそれだ。手間をかけて悪いがね、フォッグ卿。彼等に繋ぎを頼まれてくれないか? 是非とも訊きたいことがあるのだよ」
「訊きたいこと?」
あからさまに不審げなフォッグ二世に、教授がすっと背中を丸くした。内緒話でもするように告げる。
「何、簡単なことだ。生きた脳と脊髄の使い道について、《王立医師会》の連中の意見が聞きたいのさ。私達には思いも寄らぬ事が、《少数派》の彼等には日常茶飯事だからな」
「それは可能ですが……。でも、繋ぎであるなら、私ではなくウィルに頼んだ方が早いのではないですか? そもそも同じ屋根の下に住んでいるのだし」
少し首を傾げて問うフォッグ二世に、教授がひとつ、鼻を鳴らした。
「私と彼との間の契約には、《少数派》への仲介は含まれていないからな。それに、彼では代償が払えまい」
その言葉に、フォッグ二世が、ああ、と一つだけ頷いた。
「なるほどね。確かにウィルが支払える代償は一つだけですし、それを欲しがるのはラーゼス技師しかいませんからね。でも、教授は代償を如何支払うおつもりですか? 貴方の組織はもう……」
やや警戒するようなフォッグ二世のその言葉に、教授薄く笑って言った。
「忌々しいことに、確かに私の力は最盛期の半分以下だ。では、代償はメアリ・ジズというあの少女でどうかね? 彼等はあの娘に興味があるのではないかな? 正確には、彼女の中身に」
その言葉に、フォッグ二世がぎょっとしたような表情を浮かべる。
「あの子ですって? でも、教授、彼女は貴方の……」
少し早口に告げられる言葉を、教授は皆まで言わせなかった。煙草を燻らせ、ニヤリと笑う。
「かまわんさ。何せ、私は彼女の後見人なのだから。彼女をどう扱おうが、私の自由だ」
煙と共に囁く声は、どうにも悪魔的だった。
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