Nostalgia

ヴィクトリア朝蒸気機関譚
大塚已愛
大塚已愛

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公開日時: 2021年2月27日(土) 18:05
更新日時: 2021年3月14日(日) 19:35
文字数:3,071

ジシュカが取った戦法は、ピーシュチャラという銃を使ったものだった。ピーシュチャラは黎明期の銃器である。それゆえ欠陥も多く、命中精度や発射速度、そして殺傷能力さえもが弓に劣るような代物だった。唯一の利点は『引き金さえ引ければ、訓練せずとも誰にでも――女子供にも使えること』くらいである。しかし、その一点こそが弓にも劣る火器の最大の武器でもあった。


 ジシュカが使った戦術はワゴンブルという、ピーシュチャラを山ほど積んだ荷車でグルリと円陣を組み、少数で全方位に対応できる陣形だ。円陣の中には十数人の狙撃手しか用意せず、かわりにそれらを何十カ所にも配置した。


 数の圧倒的優位に加え、相手が農民だと知っていた十字軍は、この陣形に対して特に警戒はしなかったらしい。ターボル派が剣でも槍でも無い、棒のようなものを持っているのは見えていたが、特に深く考えもせず、当時の常套戦術であった騎兵突撃で彼等を蹂躙しようと試みた。


 しかし、従来なら、馬の蹄に蹴散らされて死んでいく筈の農民達は、騎兵が荷車に近づいたその時に、大量に積んでいたピーシュチャラを一斉射撃したのである。


 ピーシュチャラの殺傷能力は弓よりも低い。しかし、火薬の爆音は馬を驚かせて制御不能にしてしまう。騎兵の優位は文字通り人馬一体の機動力にあるが、それが失われてしまえば、あとは重い鎧で迅速に動き回ることも出来ず、騎士達はなすすべも無く身軽な農民達に殺されていったという。


「ジシュカは、戦闘のど素人しかいないって自軍の構成を踏まえて、誰にでも使える武器であるピーシュチャラを大量に用意したんだ。そして、それを荷車に搭載することで即席の移動要塞に仕立てあげ、無敵の軍隊を作り上げたって訳だ。ま、そんなこんなで第一回異端撲滅十字軍は大失敗してね。ラデツキーが一万の軍を率いて合流した頃には十字軍はほぼ壊滅状態で、教皇の使者なんかも戦死してたと日記には書いてあったんだ。結局ラデツキーは報告書もローマへ提出出来ぬままに自分の領地に戻り、その後に起こった第二次戦争異端撲滅十字軍にも参加して戦死したそうだ。だから日記もそのままで、その日記帳に挟まれた件の書簡も現代に残っていた、ということらしい」


 かなり横道に逸れたけど、まぁ必要な説明だから仕方ないかな、と呟くと、ジャン・ジャックはまた紅茶で喉を潤した。


 メアリはメアリで、自分のルーツの話がここまで壮大な話に発展していくとは思ってもおらず、内心ただただ混乱していた。そもそもルーツと言われても、まだ曾祖父と祖父の話しか聞かされていないのだ。戸惑うのも無理はない。


 しかし、流れが変わったのはジャン・ジャックが次に語り出した話からだった。


「さて、いよいよここからが本筋だ。まじない横町でラデツキーの日記と書簡を買った青年貴族は、実は《千夜鶏鳴結社》のメンバーの一人でね。ラデツキーがローマ教皇に送るはずだった報告書の書簡を読み、慌ててそれをキャヴェンディッシュ卿に報告したんだ。報告書には、修道院に隠されていた秘密が記されていてね。そこには彼等が悪魔と契約をし、生きた文字で綴られた書と、そして神をも畏れぬ所業に手を染めていたという証拠が記されていたらしい。ただ、青年貴族がキャヴェンディッシュ卿に書簡を渡したのにはもう一つ理由があって、『その修道院が千年も前に滅んだはずのグノーシス派の流れを組む異端集団である』という文言があったからなんだ」


 ここで一旦言葉を切って、ジャン・ジャックは意味ありげに笑って見せた。


 再度出てきたグノーシス派という単語に、メアリもまた言いようのない不安を覚える。自分の曾祖父が作った組織とフス戦争。これらの点と点が繋がって、線になっていく仮定がなんとはなしに不気味に思えた。


「今思えば、その書簡さえなかったら、我々の悲劇はなかったんだよねぇ。三十年戦争で消失でもしてくれていたら、いや、ボヘミア王国が消滅さえしなかったのなら……多分、こんなことにはならなかったよ」


 メアリの不安を更にかき立てるように、ジャン・ジャックがぽつりと言った。今まで躁病を疑うくらいに高揚していたあの喋り方とはまるで違う、透明な声だった。声が纏う暗い緋色も、一瞬だけ透き通る。


――これは一体……? 声の色が変わるなんて初めて見たわ……


 メアリが驚いている間に、ジャン・ジャックの声は直ぐに戻った。何事も無かったかのように語り出す。


「さて、件の書簡と日記を受け取ったキャヴェンディッシュ卿は、私財でその修道院を探す事にしたらしい。日記には例の村の名前も書き込まれていたからね、場所の特定自体は楽だったそうだよ。問題は何処を調べても修道院が建っていたという痕跡がなかった事だった。完全に十字軍……いや、ローマ・カトリック教会によって存在を抹消されていたってことだね」


 ジャン・ジャックの言葉に、メアリは強い違和感を覚えた。反射的に尋ねてしまう。


「待ってください。存在を抹消だなんて事が現実に出来るのですか? だって、彼らの親兄弟や親戚もそうですが、関わり合いになった人は少なくないはずです。彼らはその修道院や村の人々を覚えているのではないでしょうか。実際にラデツキーの日記にはこうして記録が残っているわけですし……」


 メアリの疑問に、ジャン・ジャックが薄く笑った。話の腰を折られた事より、メアリがその疑問に辿り着いたことが嬉しいようだ。


「出来る、と信じているから教会はそれをやったんだよ、シャーロット嬢。さっき話したヤン・ジシュカだが、ローマ・カトリック教会は彼の存在も消そうとして、ジシュカの死後に墓を壊したり彼の記録を改ざんしようとした。ま、ジシュカの場合はカトリックの敵であるプロテスタントが背後にあったし、ボヘミア公国の公式記録にもその名があるから消しきれなかったが、片田舎の小さな村の、しかも世捨て人が集う修道院ならばそれも可能だと踏んだんだろう。君の言うとおりラデツキーの日記の様なイレギュラーもあるが、成功した例もいくつかあるんじゃないのかな?」


「何故、そんな事がわかるんですか?」


「逆に『ない』と言い切れる証拠もないだろう?」


 問いに対して問いで返された。これは悪魔の証明なのだと思い直し、メアリは口を噤むことにした。形の上ではジャン・ジャックに言いくるめられたが、あまり反発して待遇が悪くなっても困る。


 メアリを生かすも殺すも彼の胸先三寸なのだ。


 沈黙したメアリを僅かに目を細めて眺めると、ジャン・ジャックは話を続けた。 


「さて、どこまで話したか……。あ、そうそう、ラデツキーの日記に記された場所にあるはずの修道院が何処にも無かったというだったね。普通ならそこで諦めるのだろうが、さすがは稀代の天才科学者だ。彼は地面の下に目を付けた。地上に建てられた部分は破壊することが可能だけれど、一方で地下にある建造物は破壊できない事に気がついたんだね。そうして彼は発見してしまったんだよ。修道院の地下室をね」


「地下室……」


「そう、地下室だ。そして更なる地下へ続く隠し階段まであったらしい。隠し階段のその先の、厳重に封印されたその部屋の中にあったもの。それこそが、この修道院が十字軍を派遣されたあげく、あらゆる記憶を消され、存在を抹消された証だった」


 発見された例の書簡、そこには彼等が悪魔と契約をし、生きた文字で綴られた書と、そして神をも畏れぬ所業に手を染めていたという証拠があったと綴られていたと、ジャン・ジャックは言っていた。


 つまり、そこにあったものこそが『そう』なのだろう。

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