「わかりました。貴女はメイフェアにお住まいなのですね。ご自宅は裕福で、立派な跡継ぎにも恵まれた。そして最近、貴女のお屋敷では、新しいメイドを雇われたばかりです。そのメイドは若くて美しく、非常に働き者ですが、古くからいらっしゃるガヴァネスとは折り合いが悪いでしょう。一方で貴女は近頃どうも寝不足で、体調も芳しくない。それは深い悩みがあるからです。違いますか?」
メアリは、断言に近い言い方をあえてする。それを聞いた婦人が、大きく眼を見開いた。驚いたように言う。
「そう……、確かにその通りよ。私はメイフェアに住んでいるし、確かに裕福だと言われる家だわ。息子もいる。新しく出来の良いメイドも雇ったし、古くから居るガヴァネスとも仲が悪いわ。でも、どうしてそれがわかったの……?」
ヴェールの奥で微笑んで、メアリは静かに彼女に言った。
「占いの結果です。私はカードとこの石の配置が導き出した答えをただ読んだだけ。貴女の過去は、このカードが教えてくれました」
ある意味で寝言のような説明だったが、その婦人はそんな答えでもあっさり納得したようだ。多分、素直な質なのだろう。
「流石だわ。ロジャー氏のいう通り、貴女は凄い占い師なのね……」
感心したように呟く女性に、メアリは少しばかりいたたまれない。これは別に占いの結果ではないからだ。
実を言えば、メアリに占いの才能は一切ない。育ての親であるジェーンに占いのイロハを叩き込まれはしたのだが、それらが当たったこともなければ、天啓めいたことを感じたことすらなかった。
彼女の家の事情がわかったかといえば、それは単なる推理の結果だ。
メイフェアに住んでいるというのは、彼女が乗ってきた馬車を見てわかった。正確には、馭者台に置いてある地図のおかげだ。彼女の馭者は、あらかじめここへ来る為の道順を調べていたのだろう、赤い線で地図にここまでのルートを書き込んでいた。その線の始点がメイフェアだった以上、どこに住んでいるかを察するのは簡単だ。馭者着きの馬車を持っているのだから、彼女が裕福だというのはいうまでもない。
新しいメイドを雇ったという事は、彼女の服装を見ればわかる。こんな夜中であるのに、彼女はアイロンがきちっとあてられたブラウスを着ていたが、その袖口がほんの僅かに、シミとも呼べない程の薄い黒で汚れているのだ。これはおそらく、新聞用のアイロンと、衣服用のアイロンを間違って使ってしまった結果だろう。
朝刊はインクが乾いていないままに配達されるため、裕福な家の執事は、主の手が汚れないよう、新聞にアイロンをあてて乾かすのが習いだった。古くからいる使用人ならば、新聞用と服用のアイロンを間違えるはずがない。新しく雇われたメイドだからこそ、間違えてしまったのだ。そのメイドが働き者だという事もまた、ブラウスを見ればわかる。サテンシルク製のブラウスは光沢があって美しいが、すぐに皺になり、アイロンをかけるとなれば一苦労だ。それなのに、ここまで丁寧に皺を伸ばし、完璧なまでにしっかりとアイロンをかけられるということは、彼女が非常に有能で、且つ仕事熱心であるという証拠だった。
メイドとガヴァネスの仲が悪いというのは、彼女の指輪を見ればわかる。上流階級では、跡継ぎを産んだ正妻に、大きな宝石の付いた美しい指輪が与えられる。彼女の指輪は、三十年ほど前に流行したデザインだ。彼女の息子は三十歳前後である事もそれでわかる。
彼にガヴァネスが付けられているというのは、彼女が身につけている毛糸の肩掛けがヒントになった。昔は教育だけをしていれば良かったそうだが、昨今のガヴァネスは、編み物や刺繍なども仕事としてさせられる。肩掛けの柄から察するに、それは本来は息子の為に編まれたはずだ。途中で気が変わり、『奥様』用になったのだろう。ガヴァネスは、多分、息子と良い仲なのだ。しかし、当の息子は、最近表れた若いメイドと良い仲になっている。だから肩掛けを送る相手は変更されたし、泥棒猫のメイドとは仲が悪い、というわけだ。
最後の寝不足云々だが、そんなものは彼女の目の下に浮いている隈を見れば一目瞭然である。きっと、占い師の元に来たのも、そのせいに違いない。
メアリは占いの才能はからっきしだが、しかし、こういう目端はとても利く。人間は、必ず『自分』を身に纏って生きている。服装だけでなく、仕草や癖、雰囲気などと言ったもので、自分を無意識にアピールしているのだ。それを読み取り、さも占いの結果のように話す事で、メアリは自分を凄腕の占い師のように見せかけていた。
人を騙すのは良くないことで、確かに後ろめたさもある。しかし、占いで過去を当てるのと、推理で過去を当てるのに大した差はないはずだった。そもそも人は、自分が信じたいことしか信じない。
事実、その推理ですっかりとメアリを信用したらしいその婦人は、声を潜めるようにして問うてくる。
「あまり詳しいことは話せないのだけれど、それでも占いは出来るのかしら?」
「勿論それは可能です。ただし、あまりに情報が少なすぎますと、カードを読み取るときの解説が不正確な物になってしまうかも知れませんが、それでもよろしいですか?」
メアリの言葉に、婦人は静かに頷いた。
「ええ、それは仕方のないことだもの。本来は私一人の胸に納めておくべき事だけれど、でも、あまりに重荷で……」
言い訳のようにそう呟くと、婦人は決心を固めたようだ。メアリはタロットカードを切りながら、彼女の言葉を一言も聞き漏らさぬようにする。婦人は、ゆっくりと、けれども慎重に話し出す。
「きっかけは今から三十年以上も昔の事なのだけれど、当時私はとても高貴な身分のお方に仕えていたの。その方が再婚をされた事が、そもそもの始まりだった。再婚と言っても、世間には公表できない類いのものだから、秘密結婚ということになるわね。――その方が再婚相手に選んだ相手が、使用人だったから」
言葉から察するに、その高貴な身分の方というのは、どうやら女性のようだった。裕福な家の婦人が仕えている相手ならば、かなり上の貴族階級の人間だろうか。貴族の女性が夫の死後に、使用人とそういう関係になるというのはさほど珍しいことではない。しかし、再婚となると些か特殊だ。
英国の女性には、夫の死後、遺産を受け取ることが出来なかった。男にしか相続権がないからである。こういう場合は大抵が息子や親戚の庇護下に入るものなのだが、それは、いくら肉親とはいえ、完全に他者に生殺与奪権を握られるという事に他ならない。そんな状態で使用人と再婚など、普通は考えないものだろう。
自分の母親が使用人と結婚すると知って、反対しない息子はまずいない。父親への裏切りだと思う者だっているはずだ。それを押し切って使用人と再婚なんぞをした日には、生活費を打ち切られるか、或いは精神病院に入れられてしまうかもしれなかった。それでも結婚したいなら、秘密結婚となるのは十分に理解できる。
婦人は更に話を続けた。
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