Nostalgia

ヴィクトリア朝蒸気機関譚
大塚已愛
大塚已愛

第三章

37

公開日時: 2020年10月12日(月) 18:00
文字数:3,508

第三章


 石造りの古い地下道は、予想以上に音が響く。天井から滴る水滴が落ちる音も勿論そうだが、荒々しく響く革靴の足音もそうだ。


 その足音は、酷く苛立っているようだった。剥き出しになったパイプや何らかの計測機に躓いては、時折それらを蹴り倒す。とはいえ、避けるのももどかしいほどに急いでいる、というような音では無い。何処までも不機嫌な音だった。


 実際、その青年は不機嫌だ。


 年の頃は二十代前半だろうか。白と見まごうほどの淡いプラチナ・ブロンドの髪と、緋色の目は、まるで白子アルビノのようだった。しかし一方で、その肌の色は至って普通で、白人種には違いないが、白子と言うほどでも無い。


 錆色のディットーズとボウラーハットを身につけた長身は、苛立ちを隠さずに大股で奥へと進む。真っ直ぐ前を見据えるその緋色の瞳は、濃い嫌悪感に染まっていた。何に腹を立てているのかはわからないが、自分自身もその対象であるらしく、青年は障害物にガンガンとその体をぶつけている。


 手にしているのは、少し大きめのキューケースだ。自分の体はあちこちにぶつかるに任せているが、しかし、そのケースだけは何にも触れないようにしているらしい。


 通路の最奥にある鋼鉄の扉を乱暴に開くと、あちこちに巨大な計器や何かの機関が所狭しと置かれていて、まるで迷路のような様相になっている。そのせいで、十碼四方に満たないこの部屋で、迷子になるのも難しくはなさそうだ。


 青年は入り口に立ったまま、嫌悪感をあらわにした声で、一人の男の名を呼んだ。


「ジャン・ジャック、来てやったぞ。いきなり呼び出して何の用事だ」


 すぐに、その不機嫌極まりない声とは全く異なる、異様なほどに明るい声が奥から聞こえた。


「何の用だ、って言われてもねぇ。キミを呼ぶ用事なんて、大体ひとつかふたつしかないだろ。大体は、力仕事か汚れ仕事かのどっちかだし、そうじゃなかったら、ちょいと《開けて》中身を見せてもらうくらいなもんだよ」


 何処までも陽気であり、また、人を食ったような言い方だ。それを聞いた青年が、更に不機嫌の色を濃くする。


「まぁ、とにかくこっちにおいでよ、エルドレッド。昨日の仕事の残りもあるしね」


 部屋の奥から、相変わらず陽気な声でジャン・ジャックが青年を招いた。エルドレッドと呼ばれた青年は、その言葉にあからさまな不快の色を浮かべる。しかし言うことには従うようで、床に据え置かれた計器や器具を蹴り倒しながら、乱暴に部屋の奥に進んでいった。


時折計器を移動させるせいで、迷路が更に複雑になっていくのだが、進む側には関係がない。


 部屋の奥に近づくにつれ、何かの唸り声が長く聞こえる。それは機械の駆動音のようでもあり、人の唸り声のようでもある。剥き出しになったケーブルやパイプからも、蒸気の漏れる音がした。それはまるで墓地で聞く幽鬼の呻き声のようで、聞いていて心地好い物ではないのは確かだ。


 きっかり三分後に辿り着いた部屋の最奥には、十呎を優に超える鉄の人形が据え置かれていた。


 バケツをひっくり返したような形状の頭が載った、ずんぐりとした巨大な胴に、それを支えうるだけの太さを持った短い足。そんな子供の工作のような単純なシルエットに対し、左右に着いた腕だけは酷く細かく作り込まれ、大きさこそ違うが、まるで人間の腕のように繊細そうだ。人の腕と違うのは、指が三本しかない、という点だろうか。


 鈍い色を放つ鉄の四肢は、鎖で雁字搦めにされており、頭と思しき部分には、子供の落書きのような単純な記号で、人の顔のようなものが書かれている。その顔は明らかに笑顔を模したものであるが、しかし、この鉄人形から感じるのは、笑顔からはほど遠い、もっと悪意のある何かだ。


 鉄人形の四方には足場が組まれ、その天辺にはジャン・ジャックが腰掛けていた。今日は、半ばトレードマークになっている保護眼鏡を外し、右目に拡大鏡を嵌めている。何かの作業中らしく、上着を脱いだラフなウェストコート姿で腕まくりをし、鉄人形の内部を弄っているようだ。その手付きは繊細で、何か有機物で出来た紐のようなものを内部に組み込んでいるらしい。少し離れた場所では、ローレンスが腕まくりをし、水槽の中に灰色の塊を沈めているのが見えた。


 エルドレッドはますます眉間の皺を深く寄せ、そうしてジャン・ジャックに声をかける。


「来たぞ。さっさと用件を言え」


 どこまでも無愛想で不機嫌なその声に、ジャン・ジャックがようやく顔を上げた。右目に拡大鏡を嵌めたまま、薄い茶色の左目でエルドレッドを見て笑う。


「まったくキミは、本当にせっかちだねぇ。今からこれの起動実験をするからさ、一緒に見ようと思って呼んであげたんだ。まぁ、実際は、ただの保険みたいなもんだけど」

「保険……」


 にこにこしながら言うジャン・ジャックとは対照的に、エルドレッドはますます機嫌が悪くなる。露骨に不快感を隠さないエルドレッドに、ジャン・ジャックがにこやかに言った。


「だからまぁ、力仕事……、いや、汚れ仕事になるのかな、まぁそんなもんだよ。でもまぁ、キミは罰とは無縁だから、気に病むこともない」


 とことんまで明朗な口調のまま、ジャン・ジャックは作業に戻る。その手元を一瞥し、エルドレッドが小さく溜息をついた。

 それに気付いたジャン・ジャックが陽気に言う。


「神経はねぇ、やっぱり一から作るより、既存のものを使った方が効率が良いんだよ。ローレンス君の腕は素晴らしいね、手慣れている。実に綺麗に肉から剥がしてくれた。ま、三日くらいでボロボロになっちゃうけどさ、まぁその都度取り替えれば良いだけだしね。リヴァプールで彼等に出会ったのは運が良かったね。おかげで新鮮なストックが十も確保できたし」


 上機嫌で解説するジャン・ジャックに、エルドレッドが呆れたように首を振る。理解できない、或いは付き合いきれないと言うような表情であるが、しかし、何も言わなかった。ジャン・ジャックは下手くそな鼻歌を歌いながら、更に作業を進めていく。


 憮然とした表情でそれを見つめるエルドレッドに、手をハンカチで拭いながらローレンスが隣に並ぶ。それを横目で眺めながら、エルドレッドが少し怒った風に言う。


「あんたの腕は知っている。でも、こんな何の医療設備もない場所に長時間いるのは感心できない」

 その言葉に、ローレンスが少し笑った。相変わらず貴公子然とした微笑みだ。


「心配してくれてありがとう、エルドレッド。転ばないように気をつけているし、今更メスで手を切るようなこともないさ。それに、脳内で出血が起こったら、どこにいようと関係ないしね」


「そういう事は言うな。扉さえ開いたら、そうしたら、きっと何とかなるはずだ。『素材』さえ手に入れば……」


 ぶっきらぼうに告げるエルドレッドに、ローレンスがまた微笑む。穏やかな声で言った。


「……そうだね。それに期待するよ」


 その言葉を最後に、二人は黙ってジャン・ジャックの作業を見守る。


 数分後、すべての作業を終えたらしいジャン・ジャックが、わざとらしい音を立てて蓋を閉めた。この男の行動は、大体が、総てに於(おい)て過剰に見える。物事は万事が過剰でなければならないかのような錯覚を覚えるほどだ。


 足場から飛び降りて、ジャン・ジャックがローレンスに声をかける。


「じゃあ、そろそろはじめるとしよう。エルドレッドがいるからね、出力は最初から全開にするから気をつけてね」


「ああ。わかっているよ」


 短い返事とほぼ同時に、ジャン・ジャックが手近にあったレバーを落とす。蒸気の音が一気に周囲を満たし、鉄の匂いが周囲に満ちる。ジャン・ジャックが愉しげに二人に言った。


「やっぱりさ、兵器って言うのは、高出力・重装甲ってのが格好いいよね! 繊細な自動人形も良いけどさ、無骨な鉄の塊の方が、まさに無敵! って感じで格好よくない?」


「……あんたのセンスは俺にはわからん」


「空に聳える鉄(くろがね)の城って感じで格好良いじゃないか。男の子はねぇ、幾つになってもこういうのが好きなんだよ。ビスクドールなんかより、断然ブリキの兵隊のほうがいいよね、ローレンス君」


 極力会話をしたくないような素振りのエルドレッドをあっさり無視し、ジャン・ジャックはローレンスに話を振る。ローレンスが苦笑しながら答えた。


「ビスクドールもブリキの兵隊も、どちらも違ったさがあるよ、ジャン・ジャック殿」


「まぁ、それはそうなんだけどさ。どっちかっていうと、面白味の問題でね?」


 ジャン・ジャックは、一人で勝手に話を進めていく。その間も蒸気の音が空間に満ちていくが、その中に、軋むような奇妙な音が混ざりはじめている事にエルドレッドが気がついた。

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