Nostalgia

ヴィクトリア朝蒸気機関譚
大塚已愛
大塚已愛

81

公開日時: 2021年2月23日(火) 18:05
文字数:3,118

「トマス・デーナ卿はいざ知らず、キャヴェンディッシュはやはり天才だったよ。彼は様々な文献を解読し、そして研究を続けていた。そうしてついに、十六世紀に吹き荒れた魔女狩りの嵐の折、異端として処刑された錬金術の一派、西方学派の技術の一部を現代に蘇らせる事に成功したんだ。これで漸く神の不在の世界を作り替えることが出来る――となったその矢先、まぁ寿命だったと思うんだけど、キャヴェンディッシュ卿はあえなく他界したんだそうだ。キャヴェンディッシュ卿は案外気前が良くて、実験結果は総て《千夜鶏鳴結社》のメンバーには公開していたのだけれどね。それを真に理解できたのはただ一人、トマス・デーナ卿の子息、モーリス・デーナ卿という若者だった。彼がキミの祖父にあたる人物さ」


「お祖父様……」


 会ったことも見たこともない男の名前を出され、メアリはかなり戸惑っていた。自分の家族は父だけだと思っていたが、過去の人物だとは言え、次々に家族が増えるのは不思議な気分だ。


 そんなメアリを放っておいて、ジャン・ジャックは更に続ける。


「さて、そのモーリス・デーナ卿なんだが、彼の専門は物理でね。しかも天才の域に達するほどに有能だった。父親のトマス・デーナ卿よりも遙かに学者としての才能があったのだが、もう一つ、野心の方も上だった」


「地位や名誉を欲した……ということでしょうか?」


 メアリの問いに、ジャン・ジャックが面白そうに笑って言った。


「いやいや、地位や名誉なんてちゃちなもんじゃないよ。キミは自分の祖父がどれほど化け物じみた野心家だったか知らないからそんなのんきなことを言う。デーナ卿が欲したのはね、神の力さ。彼は神になりたかったんだよ」


「神ですって?」


 それは確かに地位や名誉よりも凄まじい望みだが、あまりに突飛な回答だった。メアリは思わず鸚鵡返しにその単語を繰り返す。


 あっけにとられて見開かれたメアリの目を見て、ジャン・ジャックが愉快そうに呵々と笑った。


「そうそう、普通は『神の力』なんて突拍子も無い言葉を聞いたら、十中八九今の君みたいな顔をする。さっきも言ったが、ダーウィズムを経て神の存在が否定された、この科学の時代に何を言い出すのかと思うだろう。私だってそう思うよ。だけどね、これは本当のことなんだから仕方がない。野心の塊のような男が欲したのは神の力だ。この世界を救済したいという願いは父親譲りだったが、彼と違うのは、神から力を奪うことで自らの手で世界を作り替え、それで救いを成そうとしたことだった」


 恐ろしいことをサラっと言われ、メアリは更に絶句した。奪う、という単語から醸し出される恐ろしさに気付いたからだ。


 一方で、ジャン・ジャックはそんなメアリの反応が面白くて仕方が無いらしい。楽しげな口調で更に続ける。


「デーナ卿は神の力を求めるがあまり、ニムロデ王と似たようなことをしたんだよ。いや、それよりももっと非道な事を、かな」


 ニムロデ王とは聖書に出てくる『バベルの塔』を作った王の名前だ。ノアの子ハムの孫で、クシュの子とされる。彼は『創世記』においては地上における最初の勇士で狩人とされており、彼が治めた土地はバベル、ウルク、アッカド、カルネなどを含むシンアルの地からニネヴェ、カラ、レセンのあるアッシリア地方にまでわたると伝えられていた。


 彼の愚行で世界の言語は総てバラバラにされてしまい、意思の疎通も上手く出来なくなったというのは有名な話だ。


「バベルの塔の話は子供でも知ってるから詳しくはしないけれど、まぁ自分の力を過信して、天まで届く塔を作ろうとして失敗した愚か者達の物語、簡単に言えばそんなところかな。デーナ卿がやったのは天まで届くような高い塔を建てる事じゃあなかったけど、それよりももっと恐ろしい事だったよ」


「恐ろしい……事?」


 思わず問い返してしまったメアリに、ジャン・ジャックが今までとは違った笑いを浮かべて見せる。


「そう。ようやっと呪いの話に入れるね」


 顔では確かに笑っているのに、ジャン・ジャックは少しも笑っていないようだ。むしろ、こみ上げる何かと戦っているようにも思えた。


 事実、彼が話の続きを語り出したのは、一拍置いたその後だ。ゆっくりと、まるで見てきたことのように語り出す。


「今からちょうど九十年前、まだキャヴェンディッシュ卿もトマス・デーナ卿も存命中の頃の話さ。英国の若い貴族が、ボヘミアのまじない横町と呼ばれる通りを訪れた。彼は骨董品を集めるのが趣味でね。正規のルートでは手に入りにくい掘り出し物を探しにわざわざ海を渡ったんだ」


「掘り出し物、ですか?」


「ああ。当時の東欧というのは些か特殊な状況でね。ナポレオン戦争によって神聖ローマ帝国が解体され、その余波で結構な数の貴族が没落したり、食い詰めた国民が賊になったりと割合物騒な状態だった。貴族が没落すると何が起こるかと言えば、彼等が宝物庫にしまっておいたお宝が市場に流れるんだよ。美術品や先祖伝来の甲冑だとか、宝石や金の装飾品の類いがほとんどだが、中には金にはなりそうもない、奇妙なものも市場に出回る。例えば数代前の先祖の日記だとか、贋作の絵画、どう見てもただの紛い物であるユニコーンの角だとか、そういう怪しいものが大半だが、中には本当に不可思議なものも売られているんだ」


 ジャン・ジャックの言うとおり、ボヘミア王国は一八〇六年にオーストリア帝国に吸収されている。ボヘミアは十四世紀に黄金時代を迎えたが、その後、度重なる戦乱や内乱などで徐々に疲弊していき、五百年後にヨーロッパ中を蹂躙したナポレオンという嵐に耐えきれずに滅んだ。


 九世紀に始まったボヘミアという国の歴史は長い。当然その身に抱えた貴族や財産の数も相当な物だったろう。そんな国が失われるのだから、確かに幾つかの貴族は没落し、そして夜逃げ同然に亡命をするしかない筈だった。


「価値のある美術品や骨董品ならオークションや他の貴族達に高値で売れるが、古いだけでとくに価値のない、宝物庫の隅で埃をかぶっているようなガラクタは当然ながら買い手がつかない。そういったものは捨てるよりはマシだからと、市井の骨董屋なんかに二束三文で引き渡されるんだ。ボヘミアの状況を知って海を渡ったその貴族は、そういったガラクタの中にこそ掘り出し物があることを知っていた。例えば煤だらけの薄汚いランプが、磨けいてみると見事なガラス細工だった事もあるし、ただの真っ黒な板きれだと思った物が、高名な画家のテンペラ画だったなんてこともある。だからこそ、同じような好事家に根こそぎ奪われる前に海を渡ったんだろうね。そして、結論から言えば、それは大正解だった」


 そこまで話すと、ジャン・ジャックは自分の目の前に置かれた紅茶を飲んで喉を湿らす。ふぅと一息つき、そうして続きを語り出す。


「ボヘミアのまじない横町は、その名の通り占い師や自称魔女、そして古物商がひしめき合う場所でね。東欧のやっかいな品物は、だいたいがここにある店に持ち込まれる。件の貴族がそれを手に入れたのも、まじない横町で一番古い骨董店の一つだった」


「それとは一体なんですか? 美術品ではないようですが」


 意味ありげに言葉を切るジャン・ジャックを促す為に、メアリはあえて問いかけをする。


 彼との会話の中で、メアリは自分が試されていると度々感じていた。おそらくは、話をきちんと理解しているのか、あるいは敵地でも冷静でいられるかというテストだろう。合格したって碌な事にはならないだろうが、失敗したら輪を掛けて碌な事にならない筈だ。


 だからこそメアリは、ただ漠然と話を聞いているだけではないことを、問いかけという形で証明する必要があった。

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