ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十八話 ロートル冒険者、ペットを手に入れる(その1)

公開日時: 2020年9月13日(日) 00:00
文字数:3,564

 巨狼と対峙し、ハルバードを構えて前に出ようとしたアベルが、唐突に動きを止めた。


「俺に考えがある、しばらく時間を稼いで欲しい」


 ハルバードを地面に突き立て、皆へ指示を出すアベル。


「ほう……」


 マリーベルは、感心したようにアベルの横顔を見つめる。

 いや、実際に感心していた。


 なぜなら、それは、マリーベルが出そうとしていた指示とまったく同じだったのだから。


「……義兄さんっ! 任せてください!」

「ただ、悪いけど、目は潰さないでくれ!」

「承知しましたわ……ッッ」


 得意技を禁止されても、クラリッサは文句を言わない。《ダーククラウド》で視界を奪えずとも、もうひとつの武器である敏捷性は健在。


 スピアを構えたまま、巨狼へと突撃する。


「グオォォォンンッッ」


 恐れず刃向かおうとする愚か者に鉄槌を加えるため、巨狼は前肢を振り上げた。


 黒い瞳には、怒りの色。

 アベルは、それをじっと見つめていた・・・・・・・・・


 落石もかくやの勢いと迫力で、巨狼の足が振り下ろされる。


 牙も爪も必要ない。

 叩き潰せば、それで終わり。


 正しい。その判断は、正しい。


 命中さえ、すれば。


「《加速ヘイスト》」


 巨狼が前肢を振り下ろした直後、ルシェルの呪文書から3ページ分飛び出してクラリッサの周囲を飛び回り、消えた。


 その瞬間、クラリッサの体が羽のように軽くなる。


「止まらず、走り抜けてください」


 返答する暇はない。

 クラリッサはぐんっと加速し、巨狼の前肢をすり抜けた。背後で地響きが発生し、土埃が舞う。

 だが、それだけ。クラリッサは無傷だ。


「助かりましたわ!」

「義兄さんのためですから」


 アベルが時間を稼いで欲しいと言った。

 その願いを叶えるために、クラリッサが必要だっただけ。決して、助けるためにしたことではない。


 たった一言に、それだけの意味を込めるルシェル。


 それをどう思っているのか。少なくとも表面上はなんら変わらず、澄み切った表情のエルミアが矢を二本つがえた。


「風よ、疾く我が矢を運べ――《双爪レッド・タロンズ》」


 風の属性石から力を授けられた二本の矢が、風を纏い、風を切って巨狼へと飛んでいく。

 外しようがない巨大な的。


「ウオォォォンッッ」


 だが、巨狼が不機嫌そうに体を振ると、あっさりと矢は力を失って地面に落ちた。


 巨狼の瞳に、一瞬だけ、翳りが宿る。

 アベルは、それを見逃さなかった・・・・・・・


「《穿刺万行》」

「《加速ヘイスト》」

「刃よ、疾く風を斬れ――《双爪レッド・タロンズ》」


 クラリッサのスピアの穂先が。

 呪文の支援を受け、ロングソードに持ち替えたエルミアの連撃が、巨狼に迫った。


 そう。迫っただけ。

 すべて、分厚い毛皮に阻まれ、肉を斬り裂き、骨を砕くには至らない。


「堅いっ」


 それは果たして、誰の言葉だったか。

 間違いないのは、それが総意だということだけ。


 時間稼ぎが目的のため、まだエルミアたちも本気とは言えない。だが、この前哨戦だけで巨狼の脅威度を計るに充分。


「……それがどうした。これはアベルから私への願いだ!」

「わたくしたちの、ですわ!」


 文字通り足止めをするため、再びスピアとロングソードが放たれる。巨狼の前肢目がけて迫る刃は、先ほどよりも鋭さがあった。


 けれど、今度は届きもしない。


「ウオオォォッッンン」


 それと同時に、巨狼は飛んだ。

 しなやかで、優美で。思わず見惚れてしまいそうになる、自然の力。


「なにぃっっ!?」

「きゃあああっっっ」


 その衝撃波で、エルミアとクラリッサが跳ね飛ばされた。

 助走もなく、膝のバネだけで一気に後衛へ。


 巨狼が音を立てて着地し、アベルをじっと見下ろす。

 それを、アベルは正面から受け止める・・・・・・・・・


「義兄さんには、指一本触れさせません」


 その前に、ルシェルが立ちふさがった。

 アベルを、あらゆるものから守る。その誓いを果たすかのように。


「《火球ファイアボール》」


 手には、轟々と音を立てる《火球ファイアボール》。広範囲に破壊をばらまく《火球ファイアボール》を保持したまま、少しでも精神集中を乱せばどうなるか。


 自爆も辞さない。

 覚悟を伝えるように、ルシェルは巨狼をにらみつける。


 その肩に、背後からアベルがそっと手を置いた。


「大丈夫だ、ルシェル」

「義兄さん……」

「準備はできたぜ」


 アベルは、巨狼の黒く澄んだ瞳から視線を外すことなく、穏やかに言葉を紡いだ。

 それだけで、マリーベルは、アベルの考えが自らのものと寸分違わないと確信する。


 同時に、アベルの成長ぶりに感心していた。


 マリーベルには――ウルスラにも――なんの意味があるのか分からなかった、クレイグとの果たし合い。

 だが、それをきっかけにアベルは変わったようだ。


 必要以上に自らを卑下せず、常に自信を持つとまではいかないが、自分に疑問を持つことが少なくなった。


 自己肯定。

 それは、吸血鬼ヴァンパイアとしての自分を認めるのと同じこと。


 血を吸われたクラリッサの変貌も、それが良い方向に作用したからに違いない。


 アベルは、確実に吸血鬼ヴァンパイアとして成長している。


『要は、意思じゃ。傲慢に、尊大に、我ら吸血鬼ヴァンパイアにできぬことはないと知れ』


 アベルが初めて血制ディシプリンを使用する際に、マリーベルが贈った言葉。

 未だ、傲慢とも尊大とも言えないが、アベルは自分自身を探し出したのだ。ようやく。


吸血鬼ヴァンパイアの瞳には魔が宿る。魅了し、統制し、束縛する魔眼」


 ルシェルの肩に手を置いたまま、アベルは巨狼の瞳から目を離さない。

 次第に、自分と他者の境界が薄くなっていくのを感じながら、巨狼を見つめ続ける。


「それ即ち、《支配ドミネイト》の血制ディシプリンなり」


 暗転。


 気付けば、アベルの目の前に、アベル自身が映っていた。

 ハーネスレースのときと同じだ。


 支配に成功した。


 確信した瞬間、その映像はぶつんと途切れてしまった。


 巨狼が支配に抵抗した。


 それにアベルが気付くよりも先に、身を震わせる。自分の体などないのに。

 思わず、自分で自分を抱いていた。恐怖ではなく、体の芯から凍えるような寒さに。


 ――孤独感。


 そう、アベルの体が震えているのではない。

 心が震えているのだが、それはアベル自身の感情ではない。


 支配し、束縛するには、相手と一体化するリスクも負う。ハーネスレースで、馬の自由に走りたいという欲求に逆らえなかったように。


 アベルは、巨狼の心に触れていた。


『そうか。寂しかったんだな』


 アベルの目……いや、心に、広大な森の中、たった一匹。いや、一人でうずくまる巨狼のビジョンが広がる。


 遠吠えを上げても、虚しく消えていく。

 どれだけ走っても、一人。


 癒されぬ孤独は、歳月を経る毎に積み重なっていく。


 それはそうだ。

 何百年も、来るかどうか分からない外敵を待ち続け、待ちぼうけを食らってきたのだ。


 その間、誰にも会わず。

 誰にも褒められず。


 それでも、与えられた命令を忠実に守り続けてきた。


『偉かったな』


 アベルの心から、自然と言葉が漏れる。

 ぽろりと飛び出た、装飾のない、心からの言葉。


 アベルが感じていた寒さが、少しだけ和らいだ。


『俺たちも、まあ、そっちからすると敵と言えば敵みたいなもんだけど……』


 マリーベルが聞いていたら、「余計なことを言うでないわ!」と怒られそうな前置きをしてから、アベルは続ける。


『お前のご主人様を助けるつもりではあるんだ。俺の親は、親友だしさ』


 家をどうにかしたいという下心があるため微妙な物言いになてしまった。


『協力、してくれないか?』


 けれど、だからこそ、気持ちが伝わったのかもしれない。


「アオォォォンンッッッ!」


 それは、意識の中で聞いたのか。実際に、放たれた遠吠えだったのか。


「くっ……」


 どちらかは分からないが、それをきっかけに、アベルの意識は元に戻った。視界も正常に戻り、その衝撃でアベルは頭を振る。


 そんな状態でも、アベルはしっかりと認識していた。

 巨狼が伏せの体勢で、人懐っこく尻尾を振っているのを。


 そのまま、匂いをつけるように巨体をアベルにこすりつける。


 先ほどまでの猛々しさなど、どこにもない。この上ないほど、アベルに懐いていた。


「義兄さん、まさか……」

「ああ。もう大丈夫だ。助かったぜ」

「アベル、あなたという人は本当に……」


 ルシェルとクラリッサは驚きあきれつつも、さすがはアベルと、喜色満面。

 一方、エルミアに、驚きはない。この程度当然と、あっさり受け入れていた。そんな元妻も、誇らしさは隠しようがない。


「アベルだからな。犬を手懐けるぐらい、造作もないことだ」


 いや、隠すつもりもないだろう。もしエルミアに巨狼と同じような尻尾があったら、ばっさばっさと振られているところだ。


「クゥゥン~~」

「こら、余まで巻き込むでないわっ」


 巨狼が甘えるように鼻先をこすりつけると、その濡れた鼻先でマリーベルが被害を受けそうになった。

 あわてて空中へ避難する血の親を眺めつつ、アベルが笑いながら首の横の毛を撫でてやる。


「フゥワアンッ、ワンッ」

「ほうほう。いいのか?」

「アベル、もしかして言葉が分かりますの……?」

「ああ。こいつが、館まで案内してくれるってさ」


 当たり前のような顔をして、アベルは言った。

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