ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十二話 ロートル冒険者、斬り飛ばされる

公開日時: 2020年9月25日(金) 00:00
文字数:3,057

「《疾風セレリティ》」


 取るものも取りあえず。

 慎重に考えた結果でもなく。


 ただ、頭に鳴り響く警告に従って、アベルは距離を取った。


 逃げた。


 血制ディシプリンまで使って、薔薇園を踏み荒らし。とにかく、彼女から距離を取った。


『スーシャ大丈夫か!?』

『たぶんきっと恐らくは』

『こいつはやべえな』


 いつもなら、新たな刺激に狂喜乱舞するはずのスーシャ。

 それなのに、怒るでもなく、極々常識的な返答。事態の深刻さに、めまいがする。


 そう。めまいを感じる余裕があった。


「手出しは無用だぞ」

「……申し訳ございません」

「分かればいい」


 度量の広さを見せ、彼女はウルスラを解放する。


 どうやら、アベルが《疾風セレリティ》で逃げ出した直後にウルスラが加勢をしようとし、彼女が腕をひねって止めたようだった。


 アベルが逃げた間に起こった出来事。展開が早すぎる。


「もう、わけ分かんねえな!」

「アベル、もう、良い。余が、ここに残れば……」

「マリーベルは、黙ってろ」

「なにを言うか。余の問題じゃろうが!」


 わけの分からないことを言うマリーベルを、アベルは無視した。マリーベルだけの問題であるはずがないというのに。

 コフィンローゼスを腕に絡めて、再び彼女と対峙する。


「目の色が変わったな。私がその気になれば、すべてを終わらせることができると気付いたか」

「さてな。吸血鬼ヴァンパイアなんで、自分じゃ目の色を確認できねえんだ」

「それは、すまなかった」

「《疾風セレリティ》」


 配慮が足りなかったと謝罪する彼女へ、血制ディシプリンを使用して距離を詰める。

 アベルは、それを返答とした。


 赤い靄のようなものが、アベルの両足にまとわりつく。命血アルケーを燃やして、目にも止まらぬ速さで走る。


 薔薇の花びらを巻き上げながら近づいてくるアベルに、彼女は目を細めた。


「まったく。綺麗に咲いていたものを」


 無造作に。

 まるで戦いの場にいるとは思えない大ざっぱさで、彼女は歩き出した。


 迎え撃つ……わけではない。


「《剛力ポテンス》!」


 血制ディシプリンの併用。

 アベルは、《疾風セレリティ》の超加速と《剛力ポテンス》の筋力増幅を組み合わせ、コフィンローゼスを振るった。


 茨の鎖でつながった黒い棺が、暴風のように彼女を襲う。


「このままにしておいたら、あとで私が怒られそうだ」


 しかし、彼女にとってはそよ風と同じ。

 端から見ても、アベル自身にも、どうやってコフィンローゼスをかわしたのか分からない。


 分からないが、コフィンローゼスを振り下ろしたアベルを素通りし、彼女は薔薇園へと足を向けた。

 その結果だけが、眼前にあった。


『放置された』

『神様相手にそれだと、ただ見捨てられただけじゃねえか』


 エリ・エリ・レマ・サバクタニ。

 ルシェルやクラリッサがこの念話を聞いていたら、ヴェルミリオ神が記した創作伝承の一節を思い出していたかもしれない。


 けれど、彼女が次に取った行動を目の当たりにし、そんなことを考える余裕は消し飛んだ。


「《癒やしの手レイ・オン・ハンズ》」


 彼女が踏み荒らされた薔薇園へ向けて、手をかざす。


 すると、どうしたことだろうか。


 まるで時を巻き戻したかのように、薔薇園が再生していく。


 数秒後には、完全に元通り。


 いや、彼女の美しさは、薄闇も打ち払う。薔薇園に彼女が佇んでいるという付加価値が与えられ、より一層美しくなった。

 主観ではない。客観的な事実として。


「いやいや。俺が知ってる《癒やしの手レイ・オン・ハンズ》と全然違うぞ。俺の《キュア》と、大差ないはずだろ」


 神が聖堂騎士パラディンに与える癒やしの力。

 それを神自身が行使したら、どうなるのか。


 信徒たちからすると垂涎ものの光景。


 けれど、アベルにとっては、絶望でしかなかった。


「圧倒的な差を見せつけて、心を砕きにきやがった……」

「ん? なんの話だ?」


 戦慄するアベルに対し、なんのことか分からないと、彼女が振り返る。


「このまま帰ったら、アルシアに怒られるから、癒しただけなのだがな」

「そういうところだよなぁ、ほんと」


 アルシア神の名を気軽に出す彼女に、彼我の違いを思い知らされる。


 神。


 吸血鬼ヴァンパイアも大概だと思ったが、それ以上だ。


 それでも、諦めるつもりは毛頭ない。


『スーシャ!』

『任されました』


 薔薇園を背にする彼女を正面に捉え、アベルはコフィンローゼスを全力でこれでもかと地面に突き立てた。

 茨の鎖を通して、衝撃が伝わるほど。


『これくらいがいい』


 黒い棺の蓋に描かれた、双頭の鷲の紋章。

 その目が開き、光線が発射された。


 左右に放たれた光線が横に移動し、彼女を中心に交差する。


「まるで、びっくり箱だな……と、――なら言いそうだ」


 籠手と一体化した大型の盾を構え、その光線を弾き返した。アベルを両断した光線も、無力。


 だが、予想通り。これが決め手になるとは思っていない。


 本命は、別。


 光線が放たれた瞬間、アベルはコフィンローゼスの陰から抜け出し、心臓に手を突き入れた。


「人であらんとするため、我、怪物となる」


 走りながら取り出した心臓を握りつぶし、命血アルケーが焼尽されるのを感じながら、一振りの刀を生み出した。


 身巾12センチ。長さ120センチ。

 強い反りがあり、真紅の刀身でありながら、冴え冴えとしたカタナ。


 時折、生き物のように脈動するのは、心臓が元になっているからか。


「おお、すさまじいな」


 すさまじいと評したのは、冴え冴えとした美しい刀身か。それとも、心臓を握りつぶた覚悟なのか。


 アベルは、それも気にならない。


「《疾風セレリティ》」


 彼女を足止めし、最大火力を叩き付ける。


「《剛力ポテンス》」


 頭にあるのは、ただそれだけ。


「くらえええええっっっっ!」

「これを避けるのは、非礼に当たるな」


 超速から放たれる一撃。

 絶対命中の確信。


 不意に、アベルは右腕に熱を感じた。


 違和感に目をやると、右手がなかった。なくなっていた。


「なん!?」


 手首から先が斬り飛ばされた。

 本当の意味でそれに気付いたのは、手と一緒に赫の大太刀ハート・オブ・ブレードがくるくると飛んでいき、城壁に衝突して爆発してから。


 がらがらと、城壁が崩れ落ちる音がする。それは、赫の大太刀ハート・オブ・ブレードの威力を証明するものでもあったが……。


「慰めにもなりゃしねえ」


 腕を押さえながら、なんとか離れようと後退しながらアベルは首を振った。


 このままでは、勝てない。

 そうなったら、狩人ハンターと相対している、エルミアは、ルシェルは、クラリッサは。そして、クルィクはどうなるのか。


 アベルの心臓が、冷たい手で鷲づかみにされたように跳ねた。


 けれど、それは油断。アベルは、自分の立場を把握していなかった。


「外の心配とは、私も軽く見られたものだ」


 彼女は、剣を捨てた。

 いや、捨ててはいない。一瞬で、鞘にしまったのだ。早すぎて気付かなかっただけ。


 そして、アベルが稼いだ距離を、一瞬で無にする。


 目の前に、神の美貌が出現した。


「なにを……」

『ご主人様気をしっかり持って!』

「私の拳は、対吸血鬼ヴァンパイアに実績充分だぞ」

「かっあぁ……ッッ」


 岩のよう。

 それが、第一印象だった。


 堅く鋭く力強い拳がアベルの心臓に突き刺さり、肺から空気がすべて抜ける。

 体をくの字に折り曲げ、アベルは胃液をぶちまけた。


 彼女は、もちろん、その飛沫の一滴すら受けない。彼女の美が、それを許さない。


「まだまだだな」


 彼女が拳を引くと、アベルがどさりと地面に倒れ伏した。

 吸血鬼ヴァンパイアが、ただの一撃で崩れ落ちた。


「アベル!」


 今まで傍観者だった。いや、そうさせられていたマリーベルが、アベルの下へ駆け寄った。

 ドレスが汚れるのも構わず抱き起こし、彼女を視線で威嚇する。


「このアベルの言葉が信用できない。ゆえに、剣で聞くそういう話でしたな?」

「ああ」

「ならば、余が自ら信頼を示しましょう」


 思い詰めたような表情のマリーベルが、牙をむき出しにした。


 それは、子をかばう野生の動物のそのものだった。

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