この世界であって、どこでもない場所。
吸血鬼の王と、その執事が語り合う。
「まったく……。油断したとは言いとうないが、不覚を取ったことは認めねばならぬの」
「私めの責任でございます、マリーベルお嬢様」
「気にするでない。本当に奴等が動くとは、思いもせなんだ。余と同じく、時代の徒花となれば良かったものを」
吸血鬼の王、忌々しいと、盛大なため息。
「それでも、私めはマリーベルお嬢様の執事でございますので」
「分かった。次はない……これで良いな?」
「承知いたしました」
男装の執事、頭を下げる。
「しばらく、引っ込んでおらねばならぬの」
「安全のためには、それが一番かと」
「……アベルは、大丈夫かの」
「恐らくは」
吸血鬼の王、再び盛大なため息。
「じゃが、スーシャもおるし、エルミアもルシェルもクラリッサもあれじゃし、スーシャもおるし……」
「マリーベルお嬢様」
「な、なんじゃ?」
「僭越ながら、アベル坊ちゃまとはいえ、今は他人の心配をしている場合ではないかと」
吸血鬼の王、不満げに執事をにらみつける。
「なにを言うか。余がおらなんだら、アベルが――」
「どちらかといえば、助けが必要なのは、こちらでございます」
「それはそうじゃが……」
吸血鬼の王、勢いがしぼむ。
「まずは、ご自分の心配をなさいませ」
「……それは苦手じゃな」
「分かっております」
男装の執事、間髪入れずに答える。
吸血鬼の王、不満げに頬を膨らます。
「そもそも、余を探そうとするかどうか。それが、問題ではないか?」
「それは杞憂でございましょう。アベル坊ちゃまは、いい人でございますよ」
「まあ、それは余も認めるがの」
吸血鬼の王、無力感に苛まれ天を仰ぐ。
そして、時は過ぎゆく。
「分かりましたわ」
「え? マジで分かったのか?」
巨人の坑道から、館へ戻った翌日。
アベルは、館の応接室で、アベルは時折壁際をちらちらと見ながら、クラリッサへ依頼の顛末を語り終えた。
肉体的にも精神的にも疲れ果て、報告ができるようになるまで一日が必要としたのだ。
「わたくしの理解を超えていることが、分かりましたわ」
しかし、語られたクラリッサは、たまったものではない。
アンデッドナイトだと思われていたローティアが、実は次元航行船の船外活動用端末だった。
この時点で、クラリッサは途方に暮れた。続きのほうが衝撃的だと、誰が想像するだろう。
その次元航行船は、絶望の螺旋の眷属を押しとどめ。なおかつ、巨人の坑道そのものとも言える存在だったなどと。
巨人の坑道の仕組みと秘密が明らかになったが、まったく嬉しくはなかった。
しかも、アベルが――そして、スーシャも――いなければ、次元航行船は自爆していたところで、様々な方面に被害が出かねなかったのだという。
アベルが、コフィンローゼスを――嫌々ながら――足置きにするというご褒美を与えているところから、間違いないようだとクラリッサは判断していた。
「どうして、アンデッドナイト退治の依頼が、こんな大事になるんですの?」
「それを言われると、なにも言い返せねえんだよなぁ……」
「そもそも、次元航行船というだけで、もう……」
同時にため息をつく二人。
なぜか、視線が床に伏せるクルィクへと向いた。無意識に、癒やしを求めていたからかもしれない。
「ゥワンッ! ゥワンッ!」
当のクルィクは、理由も分からず注目され、散歩に行くのかと歓声をあげていた。
「違うからな」
「クゥン……」
クルィクが哀しそうな鳴き声をあげ、尻尾をだらんと垂らす。
可哀想だが可愛い。
クラリッサは、心が軽くなる思いがした。この気持ちが、ヴェルミリオ神の言うMPが回復した状態ということなのだろうか。
『クラリッサ奥様が癒やしを求めるのも分かる』
『なぜ、俺を省いた?』
『ご主人様にはスーシャがいるから常時癒やしの泉状態のはず』
『その自信、どっから溢れてくるんだ。その毒の沼地を埋め立てるぞ』
『あふん』
スーシャの言い分はともかく、クラリッサに心労をかけていることは、アベルも理解していた。
ローティアの件だけであれば、紆余曲折色々あったが、とりあえず現状維持には持ち込めた。
しかし、重傷を負ったエルミアは吸血鬼となり、マリーベルとウルスラは行方が分からない。
一度に、処理しきれるはずもなかった。
ちなみに、吸血鬼に転化したばかりのエルミアはベッドで眠りについており、ルシェルはそれに付き添っている。
「こうなったら……」
こめかみを揉みながら、クラリッサが言う。
「お父様に、直接、説明をしてもらうしかありませんわ」
「えおうふッ?」
「え? そんなに驚くことですの?」
クラリッサとしては、当然の結論だった。
ローティアの存在を明らかにするわけにはいかないが、かといって完全に隠蔽もできない。
下手に冒険者ギルドを通じて報告するぐらいなら、個人的なコネクションを用いてトップ……即ち責任者である領主に事情を説明するのが手っ取り早い。
もちろん、話せる部分と、そうでないところを切り分けた上での話ではあるが。
「いや、ほら。あれだ。明日になっても戻ってこないようなら、マリーベルを探しに下水に潜るつもりだったからよ」
「ですわよね。そこも心配ですわよね……」
アベルの、本心ではあるが完全に真実ではない言葉に、クラリッサが考え込む素振りを見せる。
「あまり表に出たくはありませんが、お困りなら説明に行きますですが?」
そこに、ずっと壁際で控えていたローティアが割り込んできた。
「うわっ。そういえば、いたのでしたわね……」
「あの存在感なのに、どうして忘れられるのか」
「いえ、鎧が壁際に立っていると、調度品のようではありません?」
アベルには、まったく共感できない感想だった。
「実家の城館にも、ありますし」
「分かります、分かります。立派なお屋敷ですから、廊下に置いてもらいたい衝動に駆られるですよ」
どういうわけか、クラリッサとローティアが分かり合ってしまった。
とりあえず、正常化した今は次元航行船から離れても大丈夫……というよりは、エレメンタル・リアクターが暴走した状態がイレギュラー。
「この館に長期滞在しても、まったく問題ないですよ?」
「人の家を幽霊屋敷にしようとするの、やめてもらっていいですかねぇ!」
せっかく、ゴーストを退散させたのに、元に戻してどうするというのか。
それはともかく。
「でも、そうですわね……」
少し冷静になったのか。クラリッサが人差し指で唇を軽くなぞる。
「下手にアベルの存在を表に出すぐらいなら、ローティアさんに協力してもらったほうがいいかもしれませんわ」
「それ、まずいんじゃ……。いや、そうか」
反対しかけたアベルだったが、話の展開を予想して即座に結論を覆す。
「次元航行船の話をするのなら、どっちにしろローティアと会わせろという話になりそうだしなぁ」
「まあ、何事も無ければ今後200年か300年は維持できそうですから、急がなくてもいいですよ」
というわけで、領主――クラリッサの父親――との会談は、先送りが決まった。
「その分、Bランクへの昇格もずれ込むことになりますわよ?」
「いいさ」
コフィンローゼスから足をどけながら、アベルは言った。大変な思いをしたわりには、あっさりとしたもの。
「他に、やることがいくらでもあるからな」
エルミアのこと、マリーベルのこと。
アベルにとって、どちらもこの上なく重要だった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!