「しかし、これは本当に悪趣味だな……」
ゴーストを倒したことで、その存在が明らかになった地下への階段。
クローゼットの奥から続くそれを慎重に下りながら、辟易したようにアベルが肩をすくめた。
その動きでわずかにバランスを崩したマリーベルが、アベルの髪を掴む。
「確かに、少しやり過ぎかとは思うがの」
「全然少しじゃねえ」
指で軽く押してマリーベルの手から髪の毛を取り返し、アベルはため息をついた。
クラリッサのスピアにかかったままの《燈火》の呪文は、今でも有効。安全を期して周囲を照らしているが、それで余計な物まで見えてしまう。
まず、足下の階段。
最初は普通の階段だったのだが、途中から階段がガラスのように透明になり、中身が見えるようになった。
大小様々な白骨という中身が。
白骨がゼリー寄せのように集められ、階段になっている。
正気を疑いたくなる光景だが、それだけではない。
壁には、一定の間隔でオブジェが設置されていた。
壁に埋まり苦悶の表情を浮かべる人間の老人。
カラカラにひからびたドワーフの若者。
串刺しにされた草原の種族男。
逆さ吊りになったエルフの女。
他にも、どうやってか鮮度を維持した死体で作った卑猥な形のオブジェや、白骨を加工し、飾り立てた食器など、冒涜的な物体がいくつも存在していた。
いかにも動き出して襲ってきそうな気配だが、アベルは、もう特に警戒をしていない。
先頭を行くエルミアも、他の二人も同じ。
なぜか。
「言うた通り、これも、芸術の一種であろう。余の趣味ではないが、理解はできるぞ」
「館そのものは普通だったから、スヴァルトホルムの人たちも良くないハッスルをしちゃったみたいだな」
吸血鬼的には、前衛芸術の一種のようなのだ。これが。
廊下に花を飾るのと同じ感覚だと言われては、どうしようもない。
もしかすると、表は普通だけど裏はこんな感じにすることが、いいセンスだと思っていたという可能性もある。本当に、どうしようもない。
さすがに、年頃の娘が直視するのは厳しいのか。最後尾のアベルとマリーベルを除き、全員が黙々と階段を下っている。
だが、それはアベルの思い違い。
それぞれが物思いに耽っているため、静かな行軍になっているのだ。
エルミアは、表面上はまったく感じられないが、緊張しつつ興奮していた。
恐らく、この先がゴール。そしてそれは、アベルとのゴールにもつながっているはずだった。
そう。アベルと同じモノになるのだ。
誰が吸血鬼になるかはマリーベルが選別して決定するということだが、他の二人には負けていないと断言できた。
功を焦らず、パーティとして行動したのは当然。その中で、しっかりと斥候の役割を果たし、戦闘でも貢献し、ゴーストの依代も破壊した。
そしてなにより、アベルとのコンビネーションはまったく損なわれていなかった。これが本当に嬉しい。
無言で、なんら意識することなく装備の受け渡しをしたときには、感動で涙が溢れそうになったほどだ。
そういった相性を考えれば、誰が血の花嫁になるべきかは議論の必要もない。
なにしろ、花嫁なのだ。他に適任者がいるとは思えない。
そう確信しているが、誰を選ぶかはマリーベル次第。吸血鬼なりの基準もあるだろう。
だから、エルミアは、油断していなかった。
それに、競っているつもりはないが、ルシェルもクラリッサも大したものだとエルミアは思っている。
ルシェルが冒険者になると言ったときには心配したものだが、確かに、Bランク相当の実力を身につけていた。
ルシェルの支援がなかったら、どうなっていたことか分からない。
自爆覚悟でクルィクの前に立ち塞がったのも、アベルと組むことだけを考えれば、評価すべきだ。
こっちがそれくらいの覚悟でいないと、なんだかんだと言いながら、アベルがもっと無茶をするのは経験上分かっている。
その点ではクラリッサは、少なくとも血の花嫁になる上では好敵手たり得ない……と思っていたのだが。
アベルがゴーストの攻撃――今思い出しても腹立たしい――を受けた後、真っ先に動いたのはクラリッサだった。
普段の態度からは見えなかった、その献身性。素直に認めなくてはならないだろう。
だが、結局のところ、すべては自らの行動次第。
もう二度と間違えないと誓ったのだ。
アベルとともに生きるためなら、どんな努力を惜しむこともない。
ルシェルは、反省しきりだった。
アベルがゴーストの攻撃――今思い出しても腹立たしい――を受けてしまった。メイド服で浮かれていたつもりはないが、油断だと言われたら反論できない。
やはり、探索中は防御が手薄になってしまう。
探索中の安全が確保できる呪文がないか、帰ったらしっかりと調べておかねばならない。
それにしても……と、ルシェルは思考を切り替える。
義兄さんに血を吸ってもらえたのは、めくるめく体験でした。
そう感慨に耽りながら、ルシェルはうっとりとため息をついた。
初めては鮮烈できらきらした体験だったが、二度目は湯に浸かりながらうとうとするような心地よさがあった。
やみつきになってしまいそう。
その体験のお陰で、血の花嫁への考え方も変わってきた。
血の花嫁になれば、アベルに血を提供するだけでなく、アベルの血を吸うこともできるようになる。
つまり、この感覚をアベルにも味わってもらえるようになる。
それはとても、素晴らしいことのように思えた。
それだけに、吸血を経験せず、血の花嫁になると宣言した姉には畏敬の念を抱かざるを得ない。
さすが、一度は、アベルを射止めたことがある女性だ。
だが、負けるつもりはなかった。
そして、それはクラリッサも同じだろう。
血の花嫁――ひいては吸血鬼になる気がないと宣言したクラリッサだが、この体験をした以上、どう意見が変わっても不思議ではない。
それに、ここまでアベルに真剣だとは思わなかった。
途中でリタイアする可能性も、ルシェルは織り込んでいた。しかし、それはクラリッサへの侮辱となる考えだった。
クラリッサもまた、アベルを想っている。
それは、誰にも否定させない事実。
もちろん、ルシェルに負ける気は――姉も含めて――存在しなかったが。
クラリッサは、まず、アベルのリーダーシップに感心していた。
クルィクとの遭遇も、ゴーストとの初戦も、しっかりと指揮を執っていた。特に、きちんと決着を見据えていたのがいい。
もちろん、時間や状況の制約があり完璧とはいかなかったが、実戦で完璧を求めるべきでないのは、受付嬢が本職のクラリッサでも分かる。
やはり、アベルは人の上に立つべき人間なのだ。
エルミアやルシェルは、アベルのことを知っているがゆえに気付かないだけなのだ。そう思いを新たにした。
その一方で、エルミアとルシェルへの警戒感は畏敬の念へと変わりつつある。
領主の城館にモンクの冒険者が滞在したとき、クラリッサは教えを請うた。
筋がいいと褒められたが、『気』の習得までは適わなかった。
それが、今回、アベルの危機を前にして才能が一気に開花。気の働きで、ゴーストを撃退できたのだろう。
でなければ、生身のダークエルフがそんなことをできるはずがない。常識で考えれば、それ以外にあり得ない。
それを、二人は素手で行った。
愛。
それ以外に考えられない。
強敵だ。
だが、だからといって諦めることなど、それ以上に考えられない。
クラリッサは、そっとうなじに手で触れた。アベルの牙が突き立てられた場所を。
もう、アベルから離れられない。
そんな予感――いや、確信が芽生えていた。
「行き止まり……?」
全員を現実に引き戻したのは、地下への階段の終着点。
床には、鉄格子がはまり、とても動かせそうにない。
鉄格子の先はまた暗闇だったが、《燈火》の呪文と吸血鬼やエルフの視覚は、玄関ホールと同じぐらいの大きさの部屋があることを知らせていた。
20メートルはあるだろうが、この先に、スーシャ・スヴァルトホルムがいるはず。
だが、まずは鉄格子をなんとかしなくてはならない。
「ふむ。これはまた随分と古いタイプのセキュリティじゃな」
「いや、古いかどうかは知らねえけど、進めなきゃセキュリティもなんもないだろ」
「あ、こういうことかもしれません」
ぽんっと手を叩き、ルシェルが言った。
「吸血鬼は霧になれるのでしたよね?」
「なるほど、そういうことですの」
「吸血鬼特有の発想だな」
遅れて、アベルも気付いた。
「霧になって、この鉄格子の間を通れってことかよ」
「うむ。じゃが、吸血鬼以外を排除する構造はエレガントさに欠けると、廃れていった方式じゃ」
「安全でいいじゃえねか」
「実利一辺倒なところが、必死すぎるじゃろ……と、美意識に合わなくなっていったのよ」
めんどくさいな、吸血鬼。
そう、親不孝なことを思ってしまったが、アベルは口をつぐんだ。ここでみっともないケンカはできない。
「となると、壊すしかないか」
「じゃな。赫の大太刀でどーんといくか」
「いやいやいや。なんで、心臓剣が絡むときだけノーキンになるんだよ」
かつて、国の要職にありながら力技でしか解決ができなかったノーキンという男に起因するスラングを口にしながら、アベルはマリーベルをジト目で見つめた。
「では、どうするんじゃ? やっぱり、赫の大太刀で破壊したほうが早くないかの?」
「こうすりゃいいだろ――《剛力》」
アベルの両手が、真っ赤な霧のようなものに覆われた。
「くっ、おおおおお……」
そのまま、アベルは格子の間に手をかけ、ひねり、引き千切った。
鉄が飴細工のように曲げられ、人が一人余裕を持って通れるほどの穴が空く。
「はぁ……。これで、通れるだろ」
「すさまじいですわね」
「ハルバードが壊れるのも、当然だな」
「お疲れ様です、義兄さん。あとは私が――《浮遊》」
ルシェルが、自らとマリーベル以外に《浮遊》の呪文をかけた。これで、落下しても問題なく着地できる。
仕事をやり遂げたルシェルは、アベルの腕の中に飛び込んだ。
「おおうっと」
「ルシェルさん、なにをしていますの!?」
「節約です」
「なら、私が運んでも問題ないな」
アベルに抱かれて降りるつもりだった妹を引きはがし、エルミアがお姫様抱っこの要領で抱きかかえた。
「姉さん、このままだと足が、足が引っかかる気がするんですが!?」
「なせばなる」
「物理は、物理は超えられません」
「理術呪文の使い手が、なにを言っていますの」
とにかく、アベルたちは鉄格子の先へ降り立った。
ここが、『スヴァルトホルムの館』の終着点。にもかかわらず、階段やその途中にあった不気味なオブジェは一切ない。
縦横20メートルはあるだろう、広大だが空虚な空間。
存在しているのは、ひとつだけ。
部屋の中心に一段高くなっている場所があり。
そこには、棺が安置されていた。
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