ロートル冒険者、吸血鬼になる

小説家になろうで3,000,000PV突破! これがベテラン冒険者の生き様?
藤崎
藤崎

第十一話 ロートル冒険者、現状を認識する

公開日時: 2020年9月10日(木) 18:00
文字数:3,191

「…………」

「…………」


 エルミアの家を出て――泊まっていくように誘われたが、全力で断った――定宿に戻ったアベルとマリーベル。


 二人ともベッドに突っ伏し一言も喋らないのは、もう夜も遅いから……というわけではない。


『…………』

『…………』


 その証拠に、念話ですら会話は一切ない。


『…………』

『…………』


 どれだけ、そうしていただろうか。


『なんというか、覚悟が違ったな……』


 ようやく、アベルがぽつりとつぶやいた。


 クレイグなんていう、間男には負けたくない。そんなアベルの気概は、それを遙かに上回るエルミアの情念にかき消されてしまった。

 今となっては、あの男のことなど、どうでもいい。本当に。


 そのつぶやきには、これだけの思いがこもっていた。


『そうじゃな……』


 アベルの隣で俯伏せに横たわるマリーベルも、そう同意するのが精一杯。

 それでも、きっかけはできた。

 マリーベルが、重たそうにしながらもベッドから身を起こし、宙に浮かぶ。


『さすがの余も、まさか血の花嫁ブラッド・ブライドを持ち出してくるとは思わなんだ』

『簡単には、なれないんだよな?』

『お互いに信頼関係がなければ、絶対にの』


 裏を返せば、それさえあればなんとかなるのだ。そして、アベルとエルミアの前には――特に、エルミアの前には――障害はないも同然だった。


 それは、アベルも認めざるを得ない。


『となると、エルミアが吸血鬼ヴァンパイアになるかどうか……か』

『反対か?』

吸血鬼ヴァンパイアもそんなに悪いもんじゃないけど、生き死にの問題以外でなるのもどうかなって思うぜ』


 アベルもよろよろと身を起こしながら、頭上のマリーベルへ念話で答えた。

 それは、過不足ないアベルの本音。


『そうか。そんなに悪いものではないか』


 マリーベルが後ろを向いたため、アベルからは、そのときの表情を確認できなかった。


『しかし、そうじゃな』


 ツッコミを受ける前に、マリーベルは空中で振り返って話を進める。


『血族がほとんどおらぬ現状、純粋に吸血鬼ヴァンパイアの視点で見れば拒む理由はないのじゃが……』

『……そういう事情もあるのか』

『じゃが、そうなるとクラリッサやルシェルを引き入れぬ理由もなくなる』

『さすがにそれは飛躍しすぎ――』

『――と、言い切れるかの?』


 アベルは沈黙した。

 つまり、そういうことだった。


『まあ、野放図に増やすつもりもないゆえ、安心するが良い』

『そのつもりだったら、俺以外も吸血鬼ヴァンパイアにしてるか』

『うむ。あまり増やしすぎて吸血鬼ヴァンパイア狩人ハンターに目を付けられても困るからの』

『今時、吸血鬼ヴァンパイア狩人ハンターなんているのかよ。吸血鬼ヴァンパイアなんて、ほとんどおとぎ話じゃねえか』

『執念深い連中じゃからのう』


 それはさておきと、マリーベルは軽く咳払いをした。


『まあ、誰を吸血鬼ヴァンパイアとするかは、公平に試験でも行うとするかの。うむ。予想外ではあるが、結果としては予定通りでもある』

『もしそこで、誰もマリーベルの眼鏡にかなわなければ……』


 少なくとも、現状維持は可能だ。

 それに意味があるかどうかはともかく。


『じゃが、逆に、花嫁候補が複数生まれることになる可能性もあるのだぞ』

『ええ……』

『余も吸血鬼ヴァンパイアの端くれ。血族を選定するに当たって、不正は許されぬ。王の誇りに誓っての』

「……仕方ねえか」


 マリーベルの立場と選択を理解し、実際に言葉に出しながら、アベルはベッドに倒れ込んだ。王を自称するマリーベルのプライドの問題まで、巻き込むわけにはいかない。


『それよりも、アベル。事ここに至っては、現実から目を逸らすのは許されぬ所行であるぞ』

『現実って、俺に厳しくないか?』

『誰にでも、そうじゃ』


 その愚痴には取り合わず、マリーベルはアベルの腹の上に勢いよく着陸した。


『うげっ。ベッドに降りろ、ベッドに』

『なんか良さそうな的だったのでな』

『虐待だぜ、まったく』


 マリーベルの脇に手を入れベッドへ下ろしてから、アベルはため息とともに口を開く。


『もう、あり得ないとか、俺なんかにとか言わねえよ』

『ほう。ようやくか』

『ああ。エルミアも、ルシェルも俺のことを好きなんだな。男女の関係の意味で』


 エルミアに関しては、多少、そういうことがあるかも知れないとは思っていた。

 だが、一度別れているわけだし、身勝手な男の未練だと思い、その考えは封印していたのだ。


 一方、ルシェルが気安いのは、親戚のお兄さん感覚だと信じて疑っていなかった。その内側にあんな想いを秘めているとは、予想も想像もできずにいた。


 そんなアベルでも、吸血鬼ヴァンパイアになりたいと言い出したエルミアや、家のことを話したら感極まったルシェルと相対すれば、勘違でもうぬぼれでもないと分かる。


『今なら分かるぜ。その気持ちを受け止めるため、マリーベルは俺に自信を付けさせようとしていたってな』


 今でも、気を抜くと「俺なんかが……」と言いそうになる。受け入れるにしろ謝絶するにしろ、それでは駄目なのだ。

 まず、事実を事実として認められなくては。


 アベルは、ようやくそれを理解した――のだが。


『まだ足りぬな』


 マリーベルは、厳しい表情で首を振った。ツインテールにした黒絹のような髪が、一緒に揺れふんわりとした香りを運ぶ。


『エルミアやルシェルだけではない。クラリッサも、じゃぞ』

『クラリッサ?』


 白い髪に褐色の肌。ダークエルフの受付嬢。

 きつく見えるが凛とした彼女の姿を思い浮かべ……。


「……マジで?」


 思わず、口に出して驚きを露わにしてしまった。

 壁を見るが、苦情が来る様子はない。安心したが、それどころではなかった。


『まあ、あの姉妹に比べるとアピールが控えめではあるが、間違いないの』


 まさに、青天の霹靂。

 自然崇拝者ドルイド呪文には、実際に雷を落とすものもあるので不可能ではないが、驚きという意味では変わりない。


 アベルは、本当に雷に打たれたかのようにしばらく硬直する。


『ただの仕事上のパートナーが、あんな大それた隠蔽を行うはずがなかろう』

『そう言われると、そうだけどよ……』


 それ以上の否定の言葉はなく、アベルは無言で考え込んだ。

 そして、思い出す。

 クラリッサとの出会いと、今までのやり取りを。


『冷静に考えると、クラリッサと一番仲のいい冒険者は俺か……?』

『無差別に優しくしすぎた反動じゃな。反動と言えば、知っておるか? 幸運度保存の法則という学説があってだな――』

『ただの印象論だろ、それ』


 それどころではないと、話の途中で切って捨てた。

 マリーベルも本気で予断を挟むつもりはなかったようで、本質に迫る。


『で、誰を選ぶのじゃ?』

『…………』


 当然と言うべきか、アベルは答えられなかった。

 それは決められない逡巡ではなく、誰かを選んだらどうなるのか分からないという恐怖にも似た不安で。


 そのアベルをいたずらっぽい微笑で見下ろすマリーベルが、悪魔のように念話でささやく。


吸血鬼ヴァンパイアとなった汝は、もはや法や常識の埒外。一人に絞ることもないのじゃぞ?』

『…………』


 やはり、アベルは答えず、ベッドの上を転がる。

 二周三周と繰り返したところで、ぴたりと停止した。


『それ、俺が許してもエルたちが許すと思うか?』

『あ、まあ、そうじゃな……』


 少しからかうつもりが、とんでもない未来を引き寄せそうになった。

 後悔したマリーベルは、気を取り直して口を開く。


「ともあれ、明日には諸々事態が進むであろう。否、進めてみせるゆえ、今は心と体をゆっくり休めるが良い」


 酒でもタバコでも、好きにせよと言うマリーベルに胡乱げな瞳を向けたアベルだったが、軽く首を振った。


「いや、そういう気分じゃねえな」


 これもまた、青天の霹靂と言うべきか。

 ベッドから起き上がったアベルは、部屋の隅へと移動する。その先には、冒険用具が詰められたバックパック。


「久々に、こいつらの手入れでもしてやるわ」

「……ほう。それはそれは」


 ロープや楔、七つ道具セブンタブなどを広げるアベルを、マリーベルが上から眺める。


 遊んでばかりの息子が、真面目に勉強をするようになった。


 それを喜びながらも、寂しく思う。母親の表情で。

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