『どうやら、ここがゴールらしいな』
『いかにもそれっぽい感じでぐわんぐわんしてる 間違いなさそう』
スーシャの表現は具体性に欠けていたが、実際に目の前の光景を見れば納得できるものでもあった。
地水火風光闇。源素の暴威をくぐり抜けてたどり着いた先にあったのは、巨大な天球儀だった。
アベルたちからの距離は、10メートルほど。
縦横斜めに走る金属のリングで形作られた球の内部に、 黄、青、赤、紫、白、黒。地水火風光闇の象徴色をした1メートルほどの球体が存在し、無茶苦茶な軌道でぐるぐると回っていた。
あれこそが、暴走したエレメンタル・リアクター。
そして、エレメンタル・リアクターの中心にある、手のひら大の宝石が、コアであるエレメンタル・ストーン。
それを交換すれば依頼完了だが、そう簡単にいきそうになかった。
エレメンタル・ストーンを中心に純粋な源素力が噴き出し、荒れ狂い、 黄、青、赤、紫、白、黒が順々に入れ替わる。
『ほんと、コフィンローゼスがなかったら、どうなっていたことか』
エレメンタル・リアクターを前にして、コフィンローゼスを突き立てたアベルが、それを背もたれにして座りこんだ。
光と闇の巨人を倒した後も、雨のように降ってくる石筍をコフィンローゼスを傘のように使って避け。行く手を阻む溶岩は、コフィンローゼスをいかだのようにして渡った。
アベルが言う通り、コフィンローゼスがなかったら、無事にここまでたどり着けたとは思えない。
『ご主人様どうしよう ここに住みたいぐらいだったのに終わっちゃう』
中の吸血鬼は、苦労を苦労とは思っていない様子だったが。
『それはさすがに勘弁してくれ』
念話で心底ごめんだと伝えながら、アベルはコフィンローゼスの蓋を少しだけ開いた。素早く手を入れ、中から、預かったエレメンタル・ストーンを取り出す。
『じゃ、行くか』
『ご主人様と一緒ならどこへでも』
エレメンタル・ストーンを左手に堅く握りこんだアベルは、応えない。
「《金剛》」
ただ、血制を使ったアベルは、少しだけ笑っていた。
『ややデレ』
『せめて、疑問形にしてくれ』
届きそうにない抗議を口にし、コフィンローゼスを前面に押し立てて、暴風の源へ。
しかし、その足は、すぐに停止を余儀なくされた。
「くっ。体が重てえ……」
あまりにも強すぎる源素力により、アベルの体が抑え付けられる。
『ご主人様なにか来る』
相変わらず具体性のないスーシャの言葉。
アベルはすぐさま、コフィンローゼスを支える腕に力を込めた。
「ぐはッッ」
氷塊を遙かに超える衝撃が、正面からもアベルとコフィンローゼスを襲う。肺から空気がなくなり、痺れるような痛みが頭の天辺から爪先まで通り抜けていった。
そこへさらに、左からも混じりっけのない源素力が襲いかかってきた。
咄嗟に、顔をかばうように腕を出す。
ガンッと鈍い音がして、全身を覆っていた《金剛》の赤い靄が消え去った。
それと同時に、万色の源素力が頬を裂き、物理的な圧力となって体を打つ。
耐えきれず、アベルは吹き飛ばされた。
「こりゃ、ローティアが自爆を選んだのも分かるぜ」
源素力そのものを打ち付けられたアベルの腕はあらぬ方向に曲がり、切り裂かれた頬からも、止めどなく血が流れている。
「源素王様は、よっぽど吸血鬼が嫌いと見える」
エレメンタル・ストーンを握ったまま、アベルは立ち上がった。
口の中にたまった血を吐き出し、茨の鎖でつながったコフィンローゼスを構え、敢然と嵐へ立ち向かう。
目指す先には、エレメンタル・リアクター。
その中心であるエレメンタル・ストーンまで、わずか10メートル。
しかし、その10メートルが遠かった。
1秒に、数センチ前進できればいいほう。少し進んでも、また押し戻される。
コフィンローゼスの陰に隠れ、なるべく姿勢を低くしての行軍だったが、手足の末端を中心に、細かい切り傷が増えていった。
再生しても再生しても新たに生まれた傷口から血は溢れ出し、ひん曲がった腕は悲鳴を上げたくなるほどの苦痛を送ってくる。再生が間に合わない。
だが、アベルは止まらない。
手足の傷は、治っては傷ついてを繰り返す。
再生というよりは修復と呼ぶ方がふさわしい光景。
アベルは絶対に曲がらない。
しかし、すでに意気込みでどうにかなる領域を越えつつあった。
吹き荒れる源素力は、すでに物理的な壁となってアベルの前に立ち塞がっている。
それでも道をこじ開けるかのようにアベルは進んでいくが――心よりも先に肉体が悲鳴を上げた。
「ぐっ……」
右足を前に出した瞬間、膝の辺りでぽきりと折れる。
意地で、苦鳴を飲み込んだ。再生なら、勝手にする。
むしろ笑みを浮かべ、前進を続けた。
同時に、肩の付け根の肉が吹き飛ぶ。
『ご主人様だいじょうぶ?』
足が砕ける。
『無理してる 一度下がってもいい』
骨格が形成され、腱と血管がまとわりつき、筋肉が再生していく。
恐るべき速度で再生が始まっているが、やはり、形になるまで時間がかかってしまう。
『駄目だ。血を無駄にはできねえ』
命血を燃やし、再生は勝手に行われる。さらに、血制も使用している。
もう、後には引けない。
これも、吸血鬼の能力なのか。本当にきつい痛みは遮断されている分だけ、ましだ。
黒い棺を前面に押し立て、左右から襲いくる源素力に翻弄されながら、アベルは進んだ。
『でも、スーシャが無理そうならすぐに引くからな』
『そういうのずるいご主人様ずるい』
『わけが分からねえ』
それぞれ、自分の限界を自分で判断する。
なにがずるいのか分からない。
念話は続かず、体を再生しながら、少しずつ少しずつ。
けれど、確実に進んでいくアベル。
ボロ雑巾のようなという比喩が、まだ穏当に聞こえるような状態で、残りの距離が半分程度になった頃。
『色が変わった』
エレメンタル・リアクターから吹き荒れる源素力の色が、 黄、青、赤、紫、白、黒を順に入れ替わるのではなく、銀一色に変わった。
色が変わろうが関係ないと、銀の嵐へ分け入ったアベルの右手が解けた。
人体は織物ではないのだ。そんなことが起こるはずがない――というのは、人の常識。
実際に、指先から掌の半分まで消失しているのだ。常識を語っても、なんら意味はない。
コフィンローゼスがバランスを崩すが、腕を引いてなんとか持ちこたえる。
「良かった。これ、全然痛くねぇ」
誰にアピールするでもなく、アベルはなんでもないと手を振った。実際、既に再生は始まっているし、吹き飛ばされて後退させられるよりはずっといい。
『スーシャ、コフィンローゼスは大丈夫か?』
『ご主人様より全然丈夫』
エレメンタル・ストーンの周囲を覆う、銀の嵐。
刃の森へ侵入するかのように、アベルは物質化した源素領域へと踏み込んでいく。まずは、入り口を作らなければ。
『そいつは、安心だ』
アベルは、コフィンローゼスを振り上げた。
盾がなくなり、アベルの顔が半分なくなった。
それでも。関係ないとアベルは、全力を込めた。
黒い棺と銀の嵐が激突する。
押し込もうとする黒。
反発する銀。
天球儀が、さらにぐるぐるぐるぐる加速する。
アベルにできることは、ひとつだけ。
「《剛力》!」
とにかく、全力で殴りつける。ただ、それだけ。
押し切ろうとする、コフィンローゼス。
甲高い音を立てて悲鳴を上げる、エレメンタル・リアクター。
源素の嵐に、空隙が生まれた。
「だあぁぁぁっっ」
そこに、無理矢理体をねじ込んだ。
「《疾風》」
同時に、血制で一気に加速する。コフィンローゼスを担いだまま金属のリングを駆け上がり、周囲を巡る六つの球体に触れないよう進んでいく。
暴走するエレメンタル・ストーンは、もう目の前。
左腕を、そこへ差し込んだ。
「ぬおぉぉっっ」
ローティアから預かった代替のエレメンタル・ストーン。
それを握った左手が白骨化し、即座に再生し、暴走するエレメンタル・ストーンへと伸びていく。
だが、足りない。
荒れ狂う源素の嵐に阻まれ、届かない。
『ご主人様スーシャは貴方とともに』
そのとき、コフィンローゼスの蓋が開く。
「スーシャ?」
淡い水色の髪が目元まで伸び、同じく色素の薄い瞳を覆い隠している美少女が現れた。
年齢は十代半ばほどだろうか。だが、白いドレスを纏った佇まいには年齢を超越した雰囲気があり、実際のところは分からない。
また、顔が半ば隠れているような状態だが、気品は隠しきれなかった。花がほころぶような笑顔を浮かべる儚げな彼女は、まさに、お姫様そのもの。
こうして見ると美少女だよなと、アベルは不覚にも見とれてしまう。
そのスーシャが、荒れ狂うエレメンタル・ストーン目がけて、身を投げた。
その小さな体で源素の奔流を受け止めるため。
嵐が、凪いだ。
「無茶しやがって!」
アベルの拳が、荒れ狂っていたエレメンタル・ストーンに届いた。
八つ当たり気味に、必要以上の力でエレメンタル・ストーンが弾き飛ばされる。
間髪入れず、新たなエレメンタル・ストーンを台座に置いた。
風が、止んだ。
同時に、力を失い、アベルとスーシャ。そして、コフィンローゼスが落ちていく。
茨の鎖の接続が切れた黒い棺が最初。
蓋が開いたその中に、アベルが落下し、続けて落ちてきたスーシャを受け止めた。
「スーシャ!」
「吸血鬼だから大丈夫 なんの問題もない」
スーシャが言う通り、白い肌には傷ひとつ残っていなかった。
それはつまり、大怪我をしたということ。
思わず怒鳴りつけようとして……アベルは寸前で飲み込んだ。
理由はふたつ。
ひとつは、人の事を言えないと自覚したから。
もうひとつは、スーシャがあられもない姿をしていたから。
「服は破れてるじゃねーか」
スーシャのドレスがほぼ残骸と化していた。
アベルは、慌てて目を背ける。
いけない。いろいろな意味で、いけない。
「ちょいデレ」
「それ、ややデレとどう違うんだ……」
アベルのぼやきには答えず、スーシャが静かに微笑んだ。ただそれだけで、ごまかされてもいいかなと思ってしまう。
本当に、喋らなければ美少女だ。
「とにかく、これで一件落着か」
明らかに異常をきたしていたエレメンタル・リアクターが、今はゆっくりと回っている。
アベルは、スーシャを抱いたまま、その光景をぼうっと見上げる。
「Bランクへの昇格、大変すぎだろ」
達成感よりも、安堵感が遥かに強かった。
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