「……なんだ?」
そこは、広い草原。見渡す限りの緑の絨毯が広がっていた。
空には、太陽。空の青は深く、白い雲とのコントラストで、より青く見える。
風はさわやかで、このまま寝っ転がって昼寝をしたくなるほど穏やか。
武器もウェストポーチもなく、アベルは普段着で、草原の中にいた。
「あれ……?」
違和感に、アベルは頭を抑えた。
つい、最近。ほんの少し前に、同じ光景を見た気がする。
既視感。
その出所を探ろう……として、重要なことに気がついた。
「って、太陽!?」
吸血鬼となったアベルには、毒でしかない陽光。遮るものはなにもない。直射日光に身を晒している。
しかし、それがアベルを蝕むことはなかった。
暖かく、すべての生命を祝福している。
「館がある場所と、同じような感じなのか……?」
そもそも、館のベッドで寝ていたはずではなかったか。
いつの間に、きちんと着替えてこんなところに来たのだろう?
「やっぱり、同じことを考えたことがあるような……」
違和感。
得体の知れないなにかに、襲われているような気味の悪さ。
とにかく、警戒は怠らない。
そして、この草原を抜けよう。
「ゥワンッ!」
分からないなりに今後の方針を定めたアベルの耳に、聞き覚えのある鳴き声が聞こえてきた。
咄嗟に、聞こえた来た方向――背後を――を振り返る。
「ゥワンッ!」
美少女が、背中まで伸びる赤い髪をなびかせ、走っていた。
そう。少女だ。
顔いっぱいに満開の花のような笑顔を浮かべ、ヴェルミリオ神がもたらしたブラジャーも付けていないようで、大きな胸が上下に忙しなく動いている。
頭からは犬の耳が生え、興奮にぴくぴくと揺れていた。
ふさっとした尻尾と一緒に両腕をぶんぶんと振って、アベル目がけて駆け寄ってくる少女。
「な、なんだ!? 獣人!?」
満面の笑顔を見るに、危険はなさそうだ。
その敵意のなさが、逆に、アベルの行動を狭める。
「ワォンッ!」
数メートル離れた場所からジャンプし、アベルに飛びかかる。まるで、肉食獣と、獲物だった。
受け止める格好になったアベルは数歩たたらを踏み、そのまま草原に押し倒される。
ふたつの膨らみが胸板で潰れるが、努めて無視。
草の青臭さが鼻孔をくすぐり、視界には獣人の美少女が大写しになった。
「もしかして……」
押し倒された衝撃や危機感よりも、デジャヴにかられ、そちらのほうが気になる。
どこが……というわけではないが、全体的に見覚えがあった。
「まさか、クルィクか!?」
「ゥワンッ!」
正解と! 言いたげに吼え、押し倒す態勢でレロペロレロペロとアベルの頬を遠慮なく舐める。
見た目は美少女だが中身がクルィクだと思うと、くすぐったいだけ。
「クルィク! 本当にクルィクかよ! マジか。えええ、どういうことだよ」
匂いはないどころか、どこかさわやかな香りすらする。
くすぐったさはあるが、決して不快ではなかった。
知り合いに出会えた嬉しさで、アベルが遠慮なく髪と耳をくしゃくしゃに撫でる。力一杯。
「フゥゥゥン……」
すると、獣人化したクルィクから力が抜け、アベルの胸板に顔をこすりつけながら気持ちよさそうな声を出す。
調子に乗ってあごや首筋も撫でながら、アベルはどういうことなのかと考える。
部屋で寝ていたはずが、草原にいて。
太陽を浴びても、なんともなくて。
草原には、獣人化したクルィクがいた。
わけが分からなかった。
「というか、クルィク。お前、メス……女の子だったのかよ」
知らなかったというか、確かめてもどうなるものでもなかったのでスルーしていたと言うべきか。
思わぬ形で性別が明らかになり、アベルはしみじみと驚く。
クルィクは、それに傷ついたような表情を浮かべた。
「ご主人様、ひどい」
「しかも、喋った……だと……?」
さっきまで、鳴き声だったのに。
「お話ししたいと思ったら、できた」
「ええぇ……」
それ、できていいやつなんだろうか?
アベルは逆に心配になるが、できているものはどうしようもない。
「まあ、元々、こっちの言葉は分かってたみたいだもんな……」
それに、話がしたいと思っていたというのは素直に嬉しかった。健気だ。
「ところで、クルィクはどうしてこんな姿になったんだ?」
「なんか、頑張ったらできた!」
「そっかー」
努力は素晴らしい。
それが報われたのなら、なおさら。
「そりゃすごいな」
「えらい? えらい?」
「ああ。偉いぞ」
アベルが褒めると、クルィクがばっさばっさと尻尾を振った。
「クルィクは分かりやすくていいな……。しかし、ここはどこで、一体、なにが起こってるんだろうな?」
「うううん……?」
「まあ、分からないよな」
仕方がないことだ。アベルだって、どうして太陽が平気なのか分からないのだから。
アベルはクルィクを体からどかして、立ち上がった。このまま、クルィクと遊んでいるわけにもいかない。
「クルィク、人かなんかいる場所、分かるか?」
ごまかすように言ったが、重要なことでもある。
「こっち!」
そう声を上げると、クルィクがアベルの背中を押した。
「こっちでいいのか? ていうか、走るのは確定なのか?」
「……ダメ?」
「ダメじゃないけど……」
「やった!」
主人と二人きりで、思いっきり走れる。
その喜びに、クルィクの顔は輝いていた。
「……なんだ、この夢」
唐突な覚醒。
クルィクが人間になった夢。それも、性別違いで二種類。どういうことなのか。さっぱり、理解できない。
しかも、なぜ赤毛だったのだろうか。クルィクは黒い狼だというのに。
わけが分からなかった。
「……水。いや、酒でも飲むか」
変な夢など忘れるに限る。そして、二度寝だ。至福。
「……おや?」
しかし、起き上がろうとしたところで、妙な重みがかかっていることに気付いた。
眠い目を擦りながら、暗がりを見通す吸血鬼の視覚で見れば……。
「クルィク……?」
大型犬と遜色ないほどの大きさになった、巨狼がいた。
「ゥワンッ! ゥワンッ!」
「え? は? なんだ? どういうことだ?」
起き抜けのアベルにのしかかり、頬から鼻から目から口から。ペロレロペロレロとなめ回すクルィク。
戸惑いながらも、それを受け止めあごの下を撫で、顔全体を包み込むようにマッサージするアベル。
ぶんぶんと、クルィクの尻尾が左右に揺れた。
夢で見たのと、同じように。
『ご主人様 夢アンケート調査にご協力ありがとうございました』
「あの夢はスーシャか!」
コフィンローゼスからの念話に、アベルは思わず叫んでいた。
撫でる手は止めなかったのはさすがだが、いきなりの大声にクルィクが「キュゥウン」と不思議そうに鼻を鳴らした。
撫でてなだめつつ、アベルはスーシャへ念話を送る。
『アンケートって、どういうことだよ』
『クルィクの進路?』
スーシャは、人の夢に潜って命血を得る吸血鬼だという。
ならば、望む夢を見せることも可能なのだろう。
進路というのは、ちょっと意味が分からなかったが。
『その結果ショタやケモミミ美少女に有意な反応がなかったので』
クルィクを、人化ではなく小型化させたらしい。
『つまり、有意な反応ってのを示したら……』
『どっちかになってた クルィクも同意の上で』
『なんて危険なことを……』
恐怖しかなかった。
『冒険の邪魔にもならないお手頃サイズ スーシャともども存分に使って 愛して』
『使うのはコフィンローゼスであって、スーシャじゃないんだが』
『些事』
普段は早口で句読点がない喋り方をするのに、一言で切って捨てられた。
『……ところで、こんな状況でも、棺から出てこないのか?』
『必要?』
『いや、そういうわけじゃないけど……』
『不要 スーシャは不要 はぁはぁ』
『念話で息荒げる必要ないよなぁ!』
経緯は、とても他人に話せるものではないが。
「ゥワンッ! ゥワンッ!」
とにかく、クルィクもパーティに加わることになりそうだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!