光の射さない、闇に包まれた空間。
まだ扉は開いているはずなのに、外からの明かりも通さない。
『スヴァルトホルムの館』の玄関ホールは、そんな場所だった。
横にも縦にも、それなりの広さがありそうだ。ただ、全員揃って暗視能力を保持していても、正確なところまでは分からなかった。
がちゃんと、背後から扉が、続けて鍵が閉まる音がした。
閉じ込められた。
だが、この程度は想定の範囲内。最も経験の浅いクラリッサも、慌てた様子はない。
「このシチュエーション、レポートで何度も読みましたわ」
「アベル。まずは、状況把握を優先しよう」
「義兄さん、《燈火》の呪文を――」
ルシェルの提案にうなずこうとした直後、正面にぼんやりとした光が出現した。
エルミア、クラリッサ、そしてアベルが一斉に武器を構え、ルシェルが呪文書を手にしたまま後ろに下がる。
その間に、光がひとつの像を結んだ。
3メートル以上はある、巨大な虚像。
象牙のように白い肌をした、長い長い黒髪の女。髪の間から垣間見える目も口も漆黒の闇で、首はあり得ない方向に折れ曲がっている。
生者ではありえない、非実体の存在。
その身に纏う薄絹よりも白い肌は淡く発光し、足があるはずの場所には無が広がっていた。
ゴースト。
恨み、憤り、憎み、哀しみ、嘆き。
負の感情を残して死した存在のなれの果て。
巨大さは恐怖を緩和せず、むしろ、マイナスを際立たせる。
「――――OooooOHhhhh」
闇の入り口のような口からは、怨嗟の声。
漆黒の虚のような眼窩からは、止めどなく赤い血が垂れ落ちていた。
吸血鬼でも、食欲のそそられない光景。
「俺が前に出る! クラリッサも一緒に!」
「承知しましたわ!」
アベルとクラリッサが移動を開始したタイミングで、ゴーストが体と同じぐらいの長さの腕を横に振るった。
「――――OooooOHhhhh」
禍津風。
風が三つ渦巻き、それが消えると床に同じ数の魔法陣が出現する。
そこから、糸で引き上げられたかのようにフルプレートを身につけ、ロングソードとラージシールドで武装したモノが姿を見せた。
そう。人ではない、モノ。
兜や小手、鎧の隙間から見える白骨。それが、超常の存在であると雄弁に物語っている。
カタカタカタ。
カタカタカタ。
カタカタカタ。
髑髏が三つ、狂ったような笑い声を上げた。
「虚仮脅しか」
だが、それに恐怖を感じる者は誰もいなかった。マリーベルが意外そうな顔をするが、事態は止まらず動き続ける。
「本体を叩く!」
「分かった。だが、それなりに高位のスケルトンのようだぞ、気をつけろ!」
エルミアが警告とともに矢を放ち、正面のフルアーマースケルトンに命中させた。いや、相手は避ける素振りすら見せなかった。
矢では、スケルトン相手に分が悪い。脳はなくとも、その程度の認識はフルアーマースケルトンにもあるのだろう。
もちろん、そんなことはエルミアも分かっている。
エルミアの矢を受けたフルアーマースケルトンは数メートルも押しやられ、そのまま転倒した。ダメージはほとんどないようだが、戦線復帰には時間がかかるはず。
ゴーストへの道が開いた。
「いきますわよっ!」
そこへ飛び込んだのは、クラリッサ。
真っ直ぐゴーストを目指すが、簡単にはいかない。左右から、フルアーマースケルトンが盾を突き出して迫ってきた。
「えい、やあっ!」
邪魔されるのは、分かっていた。むしろ、囮になるのが目的。
クラリッサはタイミングを合わせて、スピアの石突きを床に突き立て、しなりを利用して高く跳んだ。
闇の中、褐色のダークエルフが銀髪をなびかせる様は、実に絵になる。惜しむらくは、アンデッドたちが賞賛する感性を持ち合わせていないこと。
突撃をやり過ごしたクラリッサが、飛び降りながらフルアーマースケルトンの頭部を両足で蹴り飛ばす。
体勢を崩すと同時に、クラリッサが胸を揺らしながら着地。
倒れてきたスピアを掴んで一回転させ、石突きで突いた。
タイミングも、踏み込みも、力の入れ方も、完璧。
衝撃がそのまま浸透し、フルアーマースケルトンたちが抱き合うように倒れ伏す。
「もしかして、わたくし天才だったのでは?」
調子に乗っているのではなく、自分がやったことが信じられないというクラリッサ。
とりあえず、任せても問題ないだろう。
その間に、アベルはマリーベルに問いかける。
「まさかあの幽霊がスーシャって娘じゃないだろうな!?」
「似ても似つかぬわ!」
「そいつは、安心したぜ!」
ゴーストには、司祭の祈祷と相場が決まっている。
では、それがない場合は、どうすればいいのか。
「ルシェル!」
「《魔器》」
純粋魔力の力場が、アベルのハルバードを包み込んだ。打てば響くような反応に、アベルは自然な笑顔を浮かべた。
魔法の支援を受けた上で、殴る。
これこそ、司祭がいない場合のゴースト対処法。
もう一度死ぬまで、殴るのだ。
「《疾風》」
温存は悪手。
ルシェルの呪文を確認した瞬間、アベルの姿がかき消える。
「なんと……」
その場に置いていかれたマリーベルが、関心とも驚きともつかない声をあげた。
それは闇に溶けて誰にも届かなかったが、闇に紛れたのはアベル自身も同じ。
超高速で移動しても、この闇の中でも超知覚で認識するゴーストが見失うことはない。
それを意識してか、アベルは無意識に《影惑》の血制を発動させていた。
以前、エルミア、ルシェル、クラリッサの包囲から逃げ出した後、そういうときには《影惑》の血制を使えと冗談交じりで言っただけなのに。
アベルがどこにいるのか、血の絆で結ばれたマリーベルにも分からない。
「――――OooooOHhhhh」
それが、ゴーストであれば、なおさら。
突然、反応が消え去ったことに、虚無の瞳をさらに大きくさせた。
そんなことなどつゆ知らず、ルシェルの支援を受けたアベルは、エルミアとクラリッサが確保した道を駆け抜ける。
ゴーストにとっては、真っ正面からの奇襲。
「――――irhoi!?vh;aehfi!?」
助走をつけて飛んだアベルが、ハルバードを大きく振りかぶった。
生命の属性石から溢れ出た命血が両腕を靄のように覆い、闇の中でアベルを輝かす。
「《剛力》」
必要なのは、力と勢い。技巧は置いてきた。
ハルバードが壊れるかもしれない。そんな心配も意識の外。アベルは、買ったばかりの武器を全力で振り下ろした。
「なにがなんだか分かんねえが、天に帰れ!」
叩き付けた瞬間、アベルが感じたのは反発。恨みや妬みを物理的な力に変換したら、こうなるのだろうか。
ゴーストの眉間に突き立てた斧頭が、気を抜いたら浮きそうになった。押し返そうとする力を、アベルは、さらなる力で抑え付ける。
「俺が言えたことじゃないけどなッッ!」
皮肉とともに、ハルバードを振り切った。その衝撃で、ポールアームが半ばから砕け散る。
「――――fjijvfa@]^ZHoa;la!!!!!!!!」
意味をなさない悲鳴が衝撃波となって、アベルを吹き飛ばす。
だが、それは崩壊の序曲。
使い物にならなくなった武器を片手に着地したアベルが見たのは、眉間からひびが広がっていくゴーストの姿。
そのひび割れから、さらに光が吹き出す。
ゴーストは、恨み、憤り、憎み、哀しみ、嘆きがこもった視線をアベルに向けると、それを最後に非実体の体が崩壊した。
後に残ったのは、煙。
煙のように消えたという比喩ではない。
文字通り白い煙になって、何処かへと逃走したのだ。
それを合図にしたかのように、玄関ホールに、光が戻る。
明るくなって、初めて気付いた。
壁には、肖像画が掛けられていた。描かれているのは、優しげに微笑み、子犬を抱いている少女。
淡い水色の髪は目元まで伸び、同じく色素の薄い瞳を覆い隠していた。十代半ばほどだろうが、実際の年齢は分からない。
花がほころぶような笑顔を浮かべた、儚げな美少女。
「スーシャ……」
それは、この『スヴァルトホルムの館』の女主人の肖像画だった。
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