ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十八話 ロートル冒険者、告白する

公開日時: 2020年9月6日(日) 18:00
文字数:4,379

 階段を飛び下り、下水道を駆けるアベル。

 明かりはないが、吸血鬼ヴァンパイアとなった今、なんの不自由もない。だが、アベル自身がその事実を意識しているかは分からない。


 斧を片手に下水道を駆け抜けるアベルの顔には、焦燥だけがあった。


「ちっ。どこにいやがるんだよ、そのヤバイモンスターってのは」

「せめて、特徴だけでも聞くべきだったのう」


 二人の声が、地下空間に木霊する。

 そう、二人の声しかしない。争う音など皆無だ。それがさらに、アベルの心をざわめかす。


 マントの合わせ目から顔を出したマリーベルが、妖精のように空を飛んでアベルの肩へと移動した。

 アベルはそれを無視し、ずんずんと奥へと進んでいく。


 下水は慈愛の神アルシアがもたらした魔道具マジックアイテムにより処理されているため、綺麗とまでは言えないが、不衛生さはあまり感じられない。

 当然ながら真っ暗で、つまり、アベルにとってはまったく不自由ない環境。吸血鬼ヴァンパイア化した肉体は、疲労も痛みも訴えることはなかった。


 コンディションは問題ないのに、結果だけが出ない。モンスターにも、助けを求める新人たちやルストにも遭遇しない。

 それが、アベルの強靱とは言えない精神にストレスをかける。


「急く気持ちも事情も余には分からぬが、成果を得たければ落ち着くことじゃな」


 アベルの感情を逆なでしかねない言葉。


「……そうだな」


 だが、だからこそ効果的だった。

 天井がアーチ状になった場所でアベルは立ち止まり、うつむいて息を吐いてから強めに頭を振った。


 一度立ち止まると、自分の姿も客観的に見ることができる。


「……明かりも持たずに斧を手にして徘徊してるって、俺めちゃくちゃ不審人物じゃねえ?」

「それ、必要な感想じゃったか?」

「いや、なんとなく気になって」

「まあ、冷静になったのであれば、なによりではあるな」


 見た目だけなら、かなりアベルが『ヤバイモンスター』だった……などとは言わず、マリーベルは忠告を口にする。


「内なる獣に囚われるなとは言わぬ。それもまた、吸血鬼ヴァンパイアゆえな」

「落ち着かせたいのか、暴走させたいのか、どっちなんだよ」

「両方じゃな」

「あっさり言いやがって……」


 忌々しそうに唾を吐き、アベルの手が煙草を求めて彷徨う。

 けれど、アベルは衝動をこらえた。


「なんかモンスターを見つける血制ディシプリンだっけ? なんかないのかよ」

「なくはないが、探すのはモンスターで良いのかの?」

「……ヤバイモンスターが、何体もいるっていう可能性は、あんまり考えたくねえんだがなぁ」


 マリーベルの言う通り、探すのであれば訓練生トレイニーたちや、ルストだろう。

 なにしろ、どんなモンスターが徘徊しているのかも分からないのだから。


「情報収集を怠ったツケかよ」

「理解したら、手首を切るのじゃ」

「ハードすぎるだろ、そのお仕置き」


 顔を引きつらせながら、それでもアベルはマリーベルの言葉に従った。

 カッツから買い取った斧――魔化された、逸品だ――を左の手首に押し当て、軽く引き切る。


 アベルの手首から血が。生命の源たる血液が流れ落ちた。


 それが床に落下する寸前、血が霧散する。


 消滅したのではない。


 大気へ。否、世界へ拡散したのだ。


「我らは血から成り、血は我らそのものである」


 数日前のアベルなら、「は? 血は血だろ? なに言ってんだ?」と否定していたはずだ。


「分かる……見える……」


 けれど、命血アルケーの実在を感じ、なにより、結果を示されたら、なにも言えない。

 今、アベルの視界には下水道の光景が広がっていた。もちろん、目の前の景色ではない。


 猛スピードで拡散した血。それに映し出された光景が広がっているのだ。


「闇を見通す瞳など、児戯に過ぎぬ。命血アルケーが広がる限り、彼方の光景すら、掌中にあると同じこと」


 血が微細な粒子となって周囲へ飛び散り、情報を運んでくる。


「これ即ち、《霊覚オースペック》の血制ディシプリンなり」


 確かに、有用な血制ディシプリンだ。しかし、便利とまでは言えない。

 どこまでも拡散していく命血アルケーから無作為に送られた、とんでもない情報量がアベルの脳を酷使する。


 砂漠に落ちた黄金の粒を探し出すような作業。


 それを、アベルはやり遂げた。


「――いた」


 数区画向こうから、こちらへ近づいてくる一団が見えた。

 なにから逃げているのかまでは分からず、怪我人を抱え、運んでいる人間もボロボロだが、無事なようだ。


「《疾風セレリティ》」


 両足に赤い靄がかかり、アベルの姿が一瞬でかき消えた。

 無意識に血制ディシプリンを発動させ、アベルは下水道を疾駆する。


「アベル。急ぐのは良いが、『流水の枷』には気をつけよ」

「大丈夫だ。俺を誰だと思ってる」


 自慢ではないが、日々こなしてきたネズミ狩りのお陰で土地勘は完璧。

 支流を越えずに移動することなど、容易いことだった。アベルはさらに速度を上げ、空気を斬り裂き移動する音に、驚いたダイアラットの鳴き声が混じる。


「昔、俺は死んだことがある」


 ダイアラットが走り去っていくのには目もくれず、アベルは独り言のように言葉を紡いだ。


 なぜ、唐突に身の上話を始めたのか。今は、悠長に話をしている場合ではないのではないか。

 そんな常識的な言葉は、マリーベルから出てこない。


「ということは、蘇生の儀式でも受けたのかの」

「ああ。仲間が財産をかき集め……。それだけじゃ足りず、装備まで売り払った金でな」


 結果、アベルは復活を果たした。

 しかし、パーティは解散してしまう。


 仲間は皆、冒険者を引退したのだ。


 堅固な防御でパーティを支えたドワーフのゼイエルグは家業の鍛冶屋を継ぎ、支援と回復のスペシャリストだった司祭プリーストのイェルクは王都の神殿に奉職した。

 エルミアが森林衛士になったのも、安定した収入を求めたという経済的な理由が大きい。


 冒険者を続けたのは、アベルだけ。


 いや、逆だ。そこまでして蘇った以上、アベルには冒険者を続ける以外の選択肢は存在しなかった。


「だから、俺は、俺だけは……って、しがみついてきたわけだ」


 それは、吸血鬼ヴァンパイア化を越える呪いだった。


「冒険者の他に、なにができたんだって言われたら、なにも言えねえがな」


 罪の意識に突き動かされ、それでも、当初は楽観的だったのだ。

 器用なバイプレーヤーだったアベルは、自分一人でもどうにかできると思っていた。


 だが、それは誤りで、的確な判断で穴を埋めるアベルの強みは、パーティあってこそ。ソロの冒険者として活躍できるほどの実力はなかったのだ。


 立ち回りは良くとも、打撃力が足りず。

 魔法の知識はあっても、魔法そのものが必要な場面に出くわしたらお手上げ。


 そこから、転落が始まった。


 気づいたときには、もう遅い。万年Cランクの上に、この年だ。他のパーティに入り込むこともできなかった。


 だから、最後には続けることだけが目的になっていた。冒険者でさえいれば、仲間たちとつながっていると思えたから。


 あのとき自棄になったのは、それすらただの重荷になってしまい、本当に限界に達したからなのだろう。


「なるほどのう。新人たちを、自分たちと同じ目に遭わせたくない。だから、こんなに急いでおるわけか」

「ああ、そうだ」


 ごまかしや、偽悪的な台詞を口にすることなく、アベルは素直にうなずいた。


「そうすりゃ、ゼグやイェルク……みんなの判断が間違いじゃないって言えるからな」

「……すまぬ、アベル。余は話のオチに気づかなかったようじゃ。もう一回、最初から頼む」

「ねえよ! 真面目な話だよ! 謝るなよ!」


 疾走しながら絶叫――吸血鬼ヴァンパイアなら容易いことだ――するアベルの肩で、小さなマリーベルがツインテールを揺らして笑う。


「ぬかしおる。汝が真面目な話などと。下水に雨でも降らすつもりか」

「それ、地上は大災害だろ!?」


 そうツッコミの声を上げながら、アベルは肩から力が抜けるのを感じていた。

 マリーベルの思惑通りなのはしゃくに障るが、どうやら、気負いすぎだったようだ。


「汝は、変にシリアスになるぐらいなら、少し調子に乗ったほうが良い」

「今の流れのどこに、俺が調子に乗る要素があったんだろうか」

「気にするでない。立派な冒険者になりたい。うむ。立派な願いではないか」

「そう端的にまとめられると、寒気がするな」

「余の願いとも、まあ、一致する部分がないでもないしの」


 マリーベルの願い。それはどういうものなのか。もしかして、アベルを吸血鬼ヴァンパイアにしたのと、関係があるのか。


 アベルが疑問を口にしようとした、その瞬間。


「アベルさん!」

「ルスト! みんなも無事か!?」


 見覚えのある冒険者が、下水道の角を曲がって姿を現した。

 マリーベルが素早くマントの中に引っ込み、アベルは叫びながらスピードを落とす。


「なんとか……無事……です……けど」


 ルストが率いていた冒険者たちの一団も足を止め、苦しそうに肩で息をする。


 敗残兵とは、今の彼らのことをいうのだろう。


 全部で十名ほどだろうか。《霊覚オースペック》で見つけたときと同じく、ボロボロで疲労困憊。

 仲間の肩を借りねば、まともに歩けない者もいる。しかも、大半が武器も失っていた。


 にもかかわらず、誰一人としてへたり込まないのは、さすがと言えた。


「頑丈そうな部屋にこもっていたんですが、侵入されそうだったので脱出しました。でも、変わったクラーケンに追われて、正直限界です……」


 代表して、ルストが状況を説明する。正確には、ルスト以外に、そんな余裕がある者はいなかった。


「分かった。ここは俺に任せて、先に行け」

「そんな!?」

「限界なんだろ? それに、カッツが助けを呼んできてくれるさ」

「なら、せめて僕だけでも……」

「行け!」

「――はい!」


 珍しい、鋭いアベルの声。


 叱責にも近い言葉に後押しされ、ルストたちが最後の力を振り絞って移動を再開する。

 アベルのことを、すまなそうに見る瞳が印象的だった。


「さすが、余の子よ。今のは、なかなか、格好良かったぞ。ここは俺に任せて、先に行け! なかなか、言えるものではない」

「……忘れろよ。思い出しただけで吐きそうだ。だいたい、先って言うか、この場合、出口へ行けだよな」

「心底、シリアスに弱い男よの……。生きるのに向いておらんわ」


 あきれたようにと表現するには優しく、マリーベルが微笑んだ。


「なんか、マリーベルが優しげだと逆に不安になるんだけど」

「どういう意味じゃ!?」

「俺、もうすぐ死ぬのかなって」

「汝は、もう少し吸血鬼ヴァンパイアの自覚を持たぬか!」


 マリーベルがアベルの耳を引っ張ってやろうと紅葉のように小さな手を伸ばしたところ、下水道を滑るように泳いで、モンスターが姿を現した。


 それは、確かにルストが報告した通り、イカのモンスター――クラーケンだった。


 無機質な。感情のこもらぬ黒い瞳で、アベルとマリーベルを睨めつける。下水道の壁と天井に一杯に広がる巨体は、海魔と呼ばれるにふさわしい。


「あー。こいつは、確かにヤバイ」


 ただ、一般的なクラーケンと決定的に違う点があるとしたら。


「って、いやいやいや。どいつが本体だよ、こいつ」


 十本ある足。


 その先に、サメの頭部が融合していることだった。

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