「次って、もう。義兄さんは私と会えて嬉しくないんですか」
わざとらしく頬を膨らませ、エルフの美少女が軽くアベルの胸を叩く。
行為だけを観察すればカップルのように思えなくもないが、もちろん違う。それは、二人の容姿がかけ離れているから……というわけではない。
「特になんの感情も浮かばないな」
「無関心は酷いです、義兄さん」
「おいおい。いい加減、義兄さんはやめろって。この前も言っただろ?」
アベルを義兄と呼ぶルシェルは、エルミアの実の妹だ。
エルフの特徴である金色の髪と笹穂型の耳は、同じ。
その髪を肩口のあたりで切り揃え、白い厚手のローブを身にまとった彼女は、前途有望な魔術師だった。
見る度に厚みを増す呪文書が、それを雄弁に物語る。
もはや、義兄と呼ばれる理由はない。今となっては、赤の他人だ。
「この前のことなら、私も言ったはずですよ」
にもかかわらず、エルミアとよく似ているが幼くはつらつとした美貌のルシェルは、いたずらっぽくアベルのことを見上げている。
「義兄さんは義兄さんですよ? 姉さんと義兄さんの関係は変わっても、私と義兄さんの関係は変わりません」
「いや、そこが変わった時点であれだよな? 完全に義兄と呼ぶ根拠を失ってるよな?」
「じゃあ、先生のほうがいいですか?」
「ルシェルたちの指導をしたのなんて、一年も前のことだろう」
訓練生の研修は、通常、Cランクの冒険者に任される。
これは単純に数の問題で、よりランクの高い冒険者を宛てがうには、訓練生の数が多すぎるのだ。
「それに、そんな大層なもんじゃない」
そのCランクの冒険者にしても、充分な報酬が約束されているから請け負っているだけで、決して喜んでやっているわけではない。
時間的な拘束や煩わしさもあり、CランクからBランクへの早期昇格を目指すのが一般的だ。
門番などと呼ばれる冒険者は、ろくなものではない。
「そんなことはありませんよ。義兄さんの指導のお陰で、私たち、今度Bランクになれそうなんですよ」
「そうか、そうか。もう、Bランクに……」
適当に流しかけたところで、その意味を理解しアベルは目を見開いた。
「へー。ほー。はー。ふ~ん。なるほど、なるほど……」
驚きを隠し通せたのは、僥倖だった。
まばゆい。
直視できないぐらい、輝いている。
若さに。
希望に。
そして、未来が。
「Bランク様がまぶしすぎて、まともに見たら目がつぶれそうだぜ」
「もう、義兄さんったら。吸血鬼じゃないんですから」
アベル流の祝福だと勘違いして、ルシェルが控えめに肩を叩いてくる。
もちろん、そんな高尚なものではない。
軽薄な言葉を返すだけで、なにか祝いの品を贈ろうかなどと、気の利いたことも言えない。
たった一年でBランクなんて、大したもんじゃないかという社交辞令も思いつかない。
他の仲間たちはどうしたんだと、当然の疑問を口にして会話を続けようという気にもなれない。
一刻も早く、ここから離れたかった。
「おっ。悪いが、これからいつもの依頼があるから。また今度な」
「ごめんなさい。クラリッサさんに怒られちゃいますね」
ぺろっと舌を出して笑うルシェルに、邪気の欠片もない。
純粋で純真で、アベルは全幅の信頼を寄せているのが分かる。
だからこそ、辛かった。
後輩に追いつかれるどころか追い抜かれ、なけなしの矜持が悲鳴をあげる。
逃げ出すようにギルドを飛び出したアベルは、無意識により一層猫背になって、早足で下水道へと降りた。
暗く。
じめじめとして。
悪臭がこもった地下空間。
まるで自らの未来を暗示しているかのようで……。
「あーもー! こんちくしょーー!!」
アベルの中で、なにかが切れた。
「やめやめやめ。やめだ! そうだ、引退だ!」
気づいたら、叫んでいた。
暗闇の世界に、やけ気味の声だけが響いていく。
冒険者をやめる。
引退する。
今の今までまったくそんなつもりはなかったのに、一度言葉に出してみると、とてもしっくりきた。
そうだ。しがみつく必要なんてない。探せば、どこかの用心棒でも小作人でも、働き口はいくらでもある。南の大森林で木こりになったていい。
その仕事とネズミ狩り。どこが違うと言うのか。
「そもそも、続ける必要なんてなかったんだよ! こんちくしょーー!」
発作的な興奮状態に見えるが、それは正確ではない。
きっかけは、端から見れば些細なこと。
だが、とある事件でパーティは解散を余儀なくされ、妻とも別れ、一人になって感じていたストレスが、ついに限界を超えたのだ。
「冒険者なんて、今日を限りにやめてやる!」
夢を諦め、それでもしがみついていた冒険者という生き方を放り投げてしまうほどに。
大声が反響して、その声に驚いた普通のネズミが悲鳴を上げ走り去っていった。
「ははは。ネズミも、そりゃ逃げるよな。俺みたいな、どうしようもない男が叫んでるんだもんな」
急に落ち着いたアベルが、天井を見ながらつぶやく。
自嘲を超えて、自傷に近かった。
それでも、依頼を投げ出すようなことはしない。
バックパックから火口箱を取り出してたいまつに火を着けると、アベルはショートソードを抜いて、一人下水道の奥へと進んでいく。
最後の依頼をしっかりと果たし、それから胸を張ってやめてやる。
――そのはずだった。
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