「やっぱ、庭が欲しいな、庭が」
「家の話だったはずでは……?」
出だしから話が飛躍するアベルに、小さなマリーベルは一周回って哀れみの視線を送る。
「庭付きかどうかで、立地とかも変わってくるだろ? となると、最初に決めておかないとな」
「買うにしろ作るにしろ、大枠は決めておかねばならぬか。まあ、良かろう。それで、庭でなにをするんじゃ? 罠でも仕掛けるのか?」
「吸血鬼こえーな。庭といったら、家庭菜園だろ」
書き物をするテーブルもないため、二人揃って床に寝そべりペンを走らせていく。
冒険者のアベルは当然としても、マリーベルも気にしていない。床は汚いという概念自体が存在しないのだろう。
「トマトとか、吸血鬼らしくていいんじゃねえか?」
「一度きっちり、吸血鬼のあるべき姿について、語り合わねばならぬな」
「ソバなんかも、いいよな。簡単に育てられるのかな?」
「知らぬ。あと、教育の部分を無視するでない」
「でも、救荒作物ってぐらいだから、素人でもいけるだろ」
「まあ、良いが……。しかし、ソバか。ヴェルミリオ神が持ち込んだ作物じゃな」
「ってことは、マリーベルは食ったことねえのか」
芸術神ヴェルミリオが、この世界にもたらしたものは多岐に渡る。恐らく、その忠実な信徒ですらすべてを把握しきれないほどに。
ソバもそのひとつで、それを食するための、ハシ、ダシ、ショウユなどをも同時にたらしたのだ。
本来は芸術を司る神だが、世界を再構築した神として盛んに信仰される由縁だった。
「いいよな、ソバ打ち。なんかこう、誰にもできそうだけど、果てがない感じがして」
「なんだか分からぬが、こう、前向きなのに枯れているように感じるのはなぜじゃろうな」
「とりあえず、農業ができる庭は必須ということで」
「……盛り上がっておるが、本当に良いのか?」
「なにがだよ」
水を差され、不満そうに聞き返すアベル。
宿の床に寝転がるアベルを見下ろしながら、マリーベルがため息をついた。
「我らは農作物と違って、日の光を受けたら大変なことになるぞ」
「……しまった」
根本的すぎて気付かなかったと、アベルが頭を抱える。
陽の差さない時間帯に世話をすることはできるだろうが、それできちんと育つ保証はない。
「まあ、汝の女に一声かければ、代わりに農作業ぐらいしてくれそうじゃが」
「やっぱり、庭と言えば犬だよな! 犬を飼おう、犬を」
「同居は、そんなに嫌か……?」
当然のようにマリーベルはスルーし、アベルは紙の隅に『犬!!』と大書して丸で囲んだ。
「次は、家の間取りだな、間取り。絶対に外せないのは、寝室か」
「最も長い時間を過ごす場所であることは間違いないの」
「他は……」
紙にそこそこの大きさの部屋を描き、そこでアベルの手と思考が止まる。
「……他に部屋って必要だっけ?」
「汝は、寝室で食事をするつもりか」
「いや、飯は外で食うだろ?」
「自分で調理はせぬのか……」
「ああ。だから、台所なんていらねえな」
「ソバ打ちの話は、一体なんだったんじゃ……」
どうしてこうなったのかと、マリーベルが額を抑えて首を左右に振った。その仕草だけ見ると、外見とは裏腹な老成した雰囲気が感じられる。好きで醸し出しているわけではないだろうが。
「逆に聞くけどよ、マリーベルの家にはどんな部屋があったんだよ」
「余か? 家というよりは屋敷ゆえ、参考になるかは分からぬが……」
そう前置きしてから、マリーベルが指折り数えて部屋をあげていく。
「まずは、サルーン……玄関ホールじゃな」
「いきなり参考にならねえぞ」
「談話室、応接室、遊戯室、シガールームに、居間と食堂」
「それ、全部一纏めにできるんじゃね?」
「衣装部屋に、書庫、書斎。厨房、洗濯室、貯蔵室。他は、執事やメイドの部屋もあったの」
「よし。育ちがまったく違うってことは痛いほど分かったぞ」
却下却下却下と、アベルが手を振ってはねつける。
「なんじゃ、そっちから意見を求めておいて」
「いろんな意味で、俺が悪かった。まあ、なんだ。マリーベルの部屋ぐらいは用意してもいいな」
「ほう。それは、殊勝な心がけじゃな」
「どうせ、来るなって言ってもついてくるんだろ?」
「余は、別に構わぬがな。汝の女たちが押しかけても、自分でなんとかするんじゃぞ」
「……是非、お越し下さい」
平身低頭で――物理的に、これ以上は無理なのだが――アベルは負けを認めた。紙に、自分の寝室よりも大きなマリーベルの部屋を描く。
「そういや……。吸血鬼だからって、棺桶を用意しなくてもいいんだよな?」
「そこは、個人個人で異なるのぅ」
アベルの意外な質問に、マリーベルは遠い目をした。体は現在にあるが、意識は過去へと飛んでいる。
「豪華に飾り立た棺に従者を入れ、寝込みを襲いに来たものをあざ笑う者もおったし」
「さすが、吸血鬼」
「棺など使わず、地面に潜って陽光を避ける者もおった」
「アントハルクかよ」
まるで、地中から襲ってくる琥珀色の蟻男だと、アベルはあっけにとられた。
「あとは、棺に魔法を仕込んで侵入者を撃退する者もおった。というか、うちの叔父であるが」
「昔は、みんな棺で寝てたんだな」
「灰になった後のことを考えると、それが一番じゃからの」
「へー」
自分も死んだら灰になるのか……とすら、アベルは思わない。他人事のように相槌を打って、家の大枠を決める作業に戻る。
「とりあえず、棺桶はいらないか。代わりってわけじゃないけど、せっかくだから煖炉付きの居間でもあったほうがいいか」
「悪くはないの。庶民的で」
「庶民的は余計だ。そこで、煙草とか酒を楽しむんだからな」
まったくそんなことは考えていなかったのだが、口にしてから、いいアイディアではないかと思い直す。
幸い、かなりこぢんまりした家になりそうなので、予算も余りそうだ。
「なるほど。家はそこそこにして、いい酒のコレクションをしたほうが、結果として幸せになれるのか……」
「ならば、地下室ぐらいは、用意したらどうじゃ? 吸血鬼といえば地下室じゃぞ」
「地下室かぁ。最悪倉庫にはなるか」
「籠城もできるぞ」
「使いたくねー」
だが、必要性を感じたのか、間取り図に居間と煖炉共々、地下室も書き加えられた。
「こんなもんか。なんか、最初に考えてたより地味になっちゃったな」
「汝が無趣味で枯れてるのが原因だと、余は思う」
「ううむ。そこまで言うんだったら、鍛冶か錬金術のスペースでも用意するか?」
「お、意外な心得が――」
「完全な、素人だけどな!」
「――なかったか。別に自分で作った粉でなくても構わんから、ソバ打ちから初めよ」
マリーベルがアベルからペンを奪い取って、広めの炊事場を書き足す。
「使いそうにないけど……。いや、燻製してつまみを作る手もあるか……」
「これで、かなり家っぽくなったのではないか? 余のお陰よな」
「なぜ、マリーベルの手柄みたくドヤ顔……」
と、そこは気になったが、他に家に求める要素も思い浮かばない。とりあえず、完成とすることにした。
「こいつをベースにして、不動産屋に相談するか。夜からでも、やってるところはあるだろ」
「じゃが、本当に良いのかの?」
「……なにがだよ」
「あの女子らの部屋を用意せず、本当に良いのか?」
正面からの、ごまかしや逃避を許さない問いかけ。
それでも、アベルは目を逸らし、言葉にならないうめき声を発する。
マリーベルはなにも言わず、ただ静かに答えを待った。
「なんというか、あれだよ」
「うむ」
「みんな、俺のことを勘違いしてるんだよな」
「確かにの。そして、余にもそれを助長した責任がある」
マリーベルが重々しくうなずき、円を描くようにしてアベルの周囲を浮遊する。
「そこで、対話じゃ」
「対話って」
「女子らの誤解を解け。誤解を解いて失望されるのが嫌なら、責任を持って口説き落とすのじゃ」
「ええぇ……」
「どっちもせねば、本当にただのクズに成り下がるぞ」
びしっと指を突きつけられ、アベルはまたしても沈黙を余儀なくされる。
完全にマリーベルの言う通りで、なにも言えない。
大人に真実を突きつけるのは、いつだって子供の役目なのだ。
「……これも、マリーベルの善行かよ」
「そういうことじゃ」
「完全に、近所の世話焼きおばちゃんじゃねーか」
「アベル……」
別方面から反撃を試みるアベルへ、マリーベルが心の底から心配そうな視線を向ける。
「こういうのは、言われておるうちが華じゃぞ」
「あ、はい」
わりとシリアスなトーンで言われ、アベルは思わずうなずいてしまった。
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