時は、レヴナントを倒し、スーシャと衝撃的なファーストコンタクトを行った直後に遡る。
「とりあえず、ご主人様どうこうは別にして、だ」
いつまでも足下に這いつくばれたままでは、精神的に保たない。
ゆえに、アベルは追いすがるスーシャを引きはがし、話を逸らすことにした。
「棺の中には誰もいなかったはずなんだが、どっから出てきたんだ?」
「いましたずっと棺の中の部屋に」
ドレスが汚れるのも構わず膝立ちになっているスーシャが、句読点のない早口で答えた。
「棺の中の部屋?」
「『スヴァルトホルムの館』と、周囲の森。それと同じ理屈であろう」
「つまり、あの棺がゲートになってて、どっかにあるスーシャの部屋とつながってたってことか」
それは、棺の中には誰もいないはずだ。
にじり寄ってこようとするスーシャを牽制しつつ、アベルは納得する。ちなみに、エルミアたちは、まだフリーズしていた。森育ちとお嬢様育ちには刺激が強すぎたらしい。
当然の反応だ。アベルだって、当事者でなければ逃げたい。
「スーシャは、人の夢に入り込み命血を奪うことができる希有な吸血鬼ゆえ、理想的な形態ではあるのう」
「そういう吸血鬼もいるのか」
吸血鬼もいろいろだな……と感心したところで、また別の疑問が湧いてくる。
「でもそれなら、俺がいくら棺をぶん回しても関係なさそうなんだが?」
「完全に切り離されてはいないある程度連動している」
「ああ。完全に切り離すと、逆に外の様子が分からないか」
そもそも、棺を振り回すのがおかしいというマリーベルからのツッコミは黙殺した。
そこに、ようやく再起動を果たしたエルミアがアベルとスーシャの間に割って入った。
「アベル、本当にあれを使うつもりか?」
「あなたはご主人様の奥様?」
「ああ」
エルミアは躊躇なくうなずいた。
罪悪感もない。完全に自然体。
「ちょっ、姉さん!?」
「エルミアさん、少しはためらう場面ではありませんの!?」
ルシェルとクラリッサの抗議にも、エルミアは動じない。そもそも、二人の抗議も手加減気味。それは、同じ状況だったら、無条件で肯定している自覚があったからだろう。
「私の認識と周囲の認識に乖離があるだけだ」
「普通、それを虚偽とか妄想と呼ぶんじゃが……」
「分かったエルミア奥様」
奥様呼びは継続し、スーシャが訴えかける。
「安心してスーシャはご主人様が欲しいわけではない使って欲しいだけ」
「住み分けができる。そう言いたいのか」
「ええぇ……」
スーシャの主張は今さら驚くべき内容でもなかったが、それが通じてしまったことにアベルが戦慄する。
エルミアは、一体、どこへ行こうとしているのだろう。これも、自分が蒔いた種なのか。
「であれば、いくつか確認したい」
アベルの懊悩も、ルシェルとクラリッサの抗議も跳ね返し、エルミアが会話の主導権を握った。
「アベルの体を両断した光線。棺を使うとして、あれは、どうなるのだろうか」
「絶対に二度とありませんというかごめんなさいあれは自動発動でスーシャにもどうにもできませんでした」
「まあ、棺を暴いたのはこっちだしな」
アベルは、もう気にしてはいない。
「むしろ、あれを敵に向けられたり?」
「できます疲れますけど」
「スーシャの命血と棺の機能は、リンクしておるということじゃな」
どういう仕組みかまではアベルには分からなかったが――正直、あまり興味もない――血制のように、いろいろとできそうだということだけは理解する。
コストさえ無視すれば、ではあるが。
「そちらの主張と要望は理解した」
「じゃあ――」
「私は反対しない。だが、アベルをまた同じような目に遭わせたら……」
「はう」
エルミアから視線と声とでプレッシャーをかけられ、スーシャはぴゅーっと棺の陰へと逃げ出した。
なにも言わず、首だけ出してこくこくこくこくとうなずいている。
とても、悪徳のスヴァルトホルムと呼ばれた吸血鬼の一族とは思えない。
「あまりスーシャをいじめるでないわ。スーシャが善良な吸血鬼であることは余が保証する」
「なんかこう、善良な吸血鬼という部分に矛盾を感じないでもないが、俺も悪いヤツじゃないと思う。でも、俺のためにわざわざ言ってくれて、ありがとうな、エルミア」
「アベル……」
頬を上気させ、エルミアがアベルを見つめる。感動の面持ちだ。
アベルは、ちょっとお礼を言ったぐらいでなぜそうなるのか分からなくて、挙動不審になっている。
どうやら、希望が通りそうだとスーシャは長い髪で隠された色素の薄い瞳を輝かせた。
「マリー好き」
「ふんっ。友として、当然のことを言ったまでよ」
「あ、私からも確認したいことがあります」
あえて空気を読まず、ルシェルがさらに割って入る。
雰囲気的にスーシャが受け入れられようとしているが、それはそれこれはこれだ。
「率直に言いますが、役に立ちますか?」
「あなたは……」
「ルシェルです」
「ルシェル奥様が言いたいのは大きさの話?」
「そうです」
姉同様ためらわず肯定するルシェル。
アベルはツッコミたいところだったが、その間がない。あっさりと話が流れていく。
「でっかくはなれないけどちっちゃくするのは大丈夫最悪背負ってもらうだけでも役に立てるはず」
「では、緊急時に棺の中へ退避するのは?」
「それは24時間いつでも歓迎」
「いえ、そこまでは結構ですが」
「残念」
聞きたいことは聞けたし、姉には後れを取ったが追いついた。ルシェルは一歩身を引き、矛を収める。
「ところで、奥様ってのは止めねえ?」
「わたくしからも、ひとつ」
最後に、クラリッサが手を挙げて発言する。またしても、アベルのツッコミは流された。
「わたくしは、クラリッサですわ」
「クラリッサ奥様」
「上にいたゴーストについて、説明していただけますわね?」
「あれは森羅万象に恨みを抱いて死んだ邪神の徒」
相変わらず、句読点の存在しない小さな早口。
棺の陰から頭だけ出して、それでも律儀にスーシャは答えた。
「イスタス神の使いとかに捕捉されたときスーシャの身代わりになる予定だった」
さすがに、撃退までは期待していなかったらしい。
あれが吸血鬼のなれの果てだと誤認させる。それが、主な目的だったようだ。
「スヴァルトホルムとは無関係だったのか、あれ」
「時間がなかったので幽霊屋敷をそのまま移築して地下室とつなげたから」
「ただの事故物件じゃねーか!」
「ぞくぞくします?」
「悪い意味でな!」
「ご主人様なら大丈夫きっと気持ち良くなる」
控えめに可愛らしく親指を立てて、スーシャはアベルを祝福した。
いや、呪いか。少なくとも、マリーベルは、自分の知るスーシャとのギャップに苦しんでいる。
「だから館はご主人様たちに使ってもらえるとうれしいクルィクも喜ぶ絶対」
「引っ越しですか……。確かに、寝室は、たくさんありましたね」
「ですわね。いえ、ここはいっそエルミアさんの家も……」
ルシェルが、館での共同生活に思いを馳せる。いや、クラリッサは、それ以上のことを考えているようだ。
「家の扱いは、ともかく」
まずは、棺の扱いを決めるのが先だ。
「黒い棺は俺が武器として使わせてもらうということで、いいよな?」
「違う黒乃薔薇棺間違えないでご主人様」
「コフィンローゼス」
正式名称を言い渡され、アベルはそのまま言い返していた。
コフィンローゼス。
「コフィンローゼスか……」
いい年をした大人が振り回しても、問題がない名前だろうか?
少しだけ、アベルは棺を武器にしようなどというアイディアを後悔した。
同時に、マリーベルの気持ちが分かったような気がした。
少しだけ。
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