「ちっ。騒ぎになる前に、やるかッ」
シャークラーケンは、下水道に栓をするかのような大きさだったが、ミニ・シャークラーケンはそこまでではない。
よく見れば、すべての足からサメが生えているわけでもなかった。
それでも、シャークラーケンに連なるモノであることは間違いない。自由にしたら、どんな被害が出ることか。
『初めての海産物楽しみ』
『ぬるっとするだけだと思うぞ』
『楽しみアップ』
「アウェイク」
スーシャに返事をすることなく、茨の鎖でコフィンローゼスとつながるアベル。
「《疾風》」
続けて血制を使用。
ミニ・シャークラーケンには気付かれたが、相手の反応速度の上を行って殴り抜ければいいと、狭い下水道を加速する。
ミニ・シャークラーケンは足を波打たせサメの頭部を放ってくるが……遅い。
目論見通りだ。アベルは、神速で懐かしいサメの頭部をかいくぐる。そして、小さく、同時に鋭くコフィンローゼスを振り下ろし――
「って、やっぱダメだ!」
――ミニ・シャークラーケンに命中する寸前、無理矢理軌道を変え、下水道の床を打ち付けた。
『わふんっ』
『喜ぶのかよ!』
『意外性が合って素敵さすがご主人様 なにも返せないのが心苦しい』
『なんで、ちょっと律儀なんだよ!』
いや、念話で戯れている場合ではない。
コフィンローゼスを打ち付けたアベルは、その勢いのまま一回転。天井ギリギリまで跳躍し、ミニ・シャークラーケンを飛び越えた。
「危うく、殺すところだった……」
『ご主人様どういうこと?』
『あいつも、マリーベルと同じで主神に封印されてたみたいでよ』
やや腰を落とした姿勢でコフィンローゼスを構え、目の前の封印魔獣を警戒しつつ、念話で答える。
『分かった マリーのところに案内してもらえるかも』
『そういうことだ』
無論、言葉は通じない。仮に通じたとしても、交渉になるかは疑問だ。本当に、あのシャークラーケンと親子関係にあるかは、別にしても。
けれど、アベルには《支配》の血制がある。
クルィクのように情を交わすことはできないだろうが、ミニ・シャークラーケンがどこから出てきたか調べる――
「って、これじゃ集中できねぇ」
――以前に、サメの頭部が飛んできて、アベルを食らおうとした。
バックステップで軽く回避するが、これでは《支配》の血制を使用することができない。
『足とか全部もげばいける』
『無力化させるな』
『そうそれ』
『言い方を考えろー!』
無駄だが、言っておかねばならない。
注意を受けるということは、期待の裏返しという意見もあるし、アベルも、それには賛同する。
しかし、スーシャは、その例外だ。
言われなくなったら肯定したと見なし、どんどん酷くなっていく。どうせ腹が減るからと言って、飯を食わずに済ますことはできない。それと一緒だ。
食事と違って、身につくかどうかは分からないのだが。
『スーシャが食事と同じぐらい大切と認識されている』
『その前向きさ――』
『見習っても構わないご主人様』
『――ちょっと、いらっとするな』
『わふん』
スーシャは、どこまでも嬉しそうだった。
『嬉しいので新技を公開しちゃう』
『そんなのあったのかよ』
『疲れるからなるべくやりたくなかった』
「そんなこったろうと思ったよ!」
特に驚くには値しない。
ただ、それと感情は別物なので、とりあえず、またしても近づいてきたサメの頭をコフィンローゼスで強打した。
手応えは充分。
サメが血と脳漿をまき散らし、下水道の床を跳ねる。
『今ので頑張れる』
『……で、新技って、具体的にどんなんだよ?』
こちらを警戒するミニ・シャークラーケンを油断せず観察しながら、アベルはあまり期待せずに問うた。
『スーシャがコフィンローゼスを操作する 短時間だけだけど』
『防御は任せられるってことか?』
『そういうこと こっちから当たりに行く勢いでご主人様を守ります』
「あー。うーん。そう来るか、そう来るのかぁ」
納得とあきれと諦観と。
様々な感情がない交ぜになったが、背に腹は代えられない。
『あれだよな。戦神と名高いエグザイル神の盾も、自律稼働して勝手に身を守ってくれるんだったよな。それと同じだよな』
それから、イスタス神の神剣も、自動的に敵を攻撃する権能を有していたはず。
実に、英雄的な能力だ。
アベルは、そう納得した。無理矢理。
それに、実際のところ、他に手立てもない。
『じゃあ、少しの間だけ、頼んだぜ』
『任されました』
抑揚のない早口なのに、どこか嬉しげ。
深く考えないことにして、アベルは茨の鎖を解いた。
しかし、コフィンローゼスは倒れず、ミニ・シャークラーケンとアベルの間に立ちふさがる。
意図の分からぬ行為に、ミニ・シャークラーケンは警戒してすぐには手出しをしてこない。
好機だ。
黒く感情の浮かばぬ、ミニ・シャークラーケンの無機質な瞳。
シャークラーケンとよく似たそれを、アベルはコフィンローゼスの陰から凝視する。
アベルの瞳が赤く光った。
次第に、自己と他者の境が希薄になっていく。
得体の知れない感覚に抵抗するかのように、ミニ・シャークラーケンが狭い下水道で足を波打たせ、サメの頭が飛んでくる。
『ご主人様の邪魔はさせない』
そのすべてを、コフィンローゼスが勝手に動いて遮った。
『あふん ああでもご主人様に操ってもらったほうが気持ちいい』
暗転。
気付けば、アベルの目に、コフィンローゼスとアベルが映っていた。
今までよりも早く、《支配》に成功した。
しかし、ハーネスレースやクルィクの時のような共感は発生しない。
ミニ・シャークラーケンから伝わるのは、生きとし生けるものへの憎悪だけ。
だから、アベルは命を下した。
帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、帰れ。
戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ。
元の場所で、大人しく、していろ。
暗転。
目の前に、コフィンローゼス。その向こうに、ゆらゆらと足を揺らすミニ・シャークラーケンが見える。
アベルの視界が、元に戻った。
『ご主人様大成功』
『……マリーベルなら、《支配》の本当に使い方って言いそうだな』
血でつながった親のことを思い出しながら、アベルはミニ・シャークラーケンの動きを見つめる。
強烈な刷り込みを受けたミニ・シャークラーケンは、先端にサメの頭部がある足を動かし、ずるずるっと器用に歩き出した。
『いや、歩くと言っていいものなのかどうかしらねえけど』
足を使って移動しているのだから、歩いてはいるのだろう。
珍しいその姿を眺めつつ、アベルは道を譲る。
ミニ・シャークラーケンは、アベルもコフィンローゼスも見えていないかのように、下水道を移動していった。
『道案内の一丁上がりだな』
『マリーへのいいお土産になる』
『そうかぁ? まあ、今回も助かったぜ、スーシャ』
『ご主人様のそういうところいいと思う』
『あ、そりゃどうも』
釈然としないものを感じつつも、アベルはコフィンローゼスを引きずってミニ・シャークラーケンを追いかける。
その進む先には、マリーベルがいるはずなのだ。
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