「そこで、余はアベルに願ったのじゃ。どうか、あの悪しき魔獣を倒すため、我が眷属になってはくれぬかと」
「そういうことだったのか」
「そうなると、義兄さんが断るはずありませんね」
「ですわね」
あのあと、夜闇に紛れて場所を移し、アベルの定宿へと移動。アベルの部屋で、小さなマリーベルを中心に、今までの経緯が語られていた。
かなり、盛られて。
『おい、俺の知ってる話と違うぞ!?』
『馬鹿正直に語っても仕方あるまい』
ちなみに、アベルの抗議は受け付けられない。それどころか、ベッドへ追いやられている。
エルミアたちは一階の食堂から持ち込んだ簡素な椅子に座っているので、待遇としては悪くはないのだが。
結果、アベルは下水道の異変に気付いて密かに調査をしていたことになり、シャークラーケンを倒すため、自ら吸血鬼へ転化したこととなった。
できすぎている。普通なら、多少は疑うところだろう。というよりも、疑って欲しい。
「まあ、そのときの余は、アベルの周りに、エルフやダークエルフの美女がいたとは知らなんだがな」
「……やはり、アベル。そういうことなのだな」
「ふふふ……。義兄さん……」
「まったく、素直ではありませんわね」
しかし、マリーベルの巧みな誘導により、疑問自体が発生しなかった。なぜか、エルミアたちのために吸血鬼化を望んだことになっている。解せない。
『俺の関係者が、なんかちょろいんだが……』
『猜疑心が強いよりましであろう』
『そういう比較って、ほんと、真実を歪めるだけだと思うんだよな。あと、せめて、マリーベルの吸血鬼パワーで、暗示を受けてるとかにならない?』
案の定と言うべきか、アベルの希望は届かなかった。いつも通りの人生だ。
ハーネスレースの一件はなかったことになり、南の大森林に赴いたのは吸血鬼の能力を確認するため、話し合いの途中で姿を消したのはシャークラーケンの出現に気付いたためと辻褄がつけられたのだった。
『それにしても、吸血鬼化の件を受け入れられると、話が簡単に進むのう』
『本当なら、そこが一番重要なところだよな』
緊急事態というのはあったが、エルミアもルシェルもクラリッサも。みんなあっさりと血を提供しようとするし、どうなっているのかと首をひねってしまうアベルだった。
「だいたいの経緯は理解しましたわ。出せそうな部分だけかいつまんで、わたくしからギルドへ報告書を作成しますわね」
「ああ、クラリッサ。すまない。よろしく頼む」
ようやく口を挟める話題がこれというのは情けない限りだが、アベルは感謝と申し訳なさを前面に押し出して頭を下げる。
アベルがシャークラーケンをどうにかしたのは隠しようがなかったが、幸いにして、周囲にいた人たちは逃げ出し、兵士たちも自分たちのことで精一杯だったため、吸血鬼だということは露見を免れた。
ただ、それもクラリッサたち理解のある協力者あってこそ。
血を提供してくれたルシェルや、シャークラーケンへ果敢に攻撃をしたエルミアには感謝してもしきれない。
「まったく世話が焼けますわね。どんと任せるといいですわ」
「となると、問題は、これからどうするかですね。いつまでもこの宿に泊まっていては、不都合が生じかねません」
「……問題にはならないだろう? アベルがうちに引っ越せばいい。ここでは、落ち着いて血を吸うのも難しいだろうしな」
そう決定事項のように言うエルミアへ、ルシェルとクラリッサの視線が突き刺さる。
「つ、妻が夫の心配をして、なにが悪いというのか!」
「元ですわ、元」
「本当に夫婦と呼べる信頼関係があるのなら、わざわざその点を強調する必要はないですよね?」
それどころか、二人でエルミアの正当化を否定した。即座に。
モンスターから命血を補充する手段もあると、口を挟む余裕もなかった。
「姉さんは、森林衛士の同僚とよろしくやっていればいいではないですか」
「なぜ、それを知っている!?」
「むしろ、なぜ隠しておけると思ったのでしょうか?」
ふふふと、愛らしい笑顔を浮かべ、ルシェルは姉を祝福する。
「おめでとうございます。姉さん、お幸せに」
「あ、あの男とはなにもない。分かって言っているだろう、ルシェル」
「さあ? なんのことでしょう?」
にわかに始まる姉妹喧嘩。
それが即座に終わったのは、クラリッサがぱんぱんと手を叩いたから。
「まったく、このような環境では、アベルも落ち着いて休めませんわ」
「いや、俺、吸血鬼だから、怪我なんてもう治ってるんだぞ……?」
「そこで、快適な環境を提供するため、領主の城館に移り住むのがいいですわ。多少被害は出ましたが、幸い死者はありませんでしたら、復旧はすぐに終わるはずですし」
「は?」
「どうしてそこで、領主が出てくるのでしょうか?」
当然の疑問。
それはクラリッサも分かっていたのだろう。ふぁさっと白い髪をかき上げ、挑戦的な瞳をアベルに向けて言う。
「わたくしは、クラリッサ・ニエベス。“とりかえっ子”ですから継承権はありませんが、現領主の長女ですのよ?」
「……マジかよ」
驚くと同時に、だからギルドマスターがどうこうと言っていたのかと、納得もする。
継承権はなくとも、領主の娘。ギルドへの発言力はあるし、それを増すために影響力の及ぶ人間をギルドマスターにしようとしても不思議ではない。
それがアベルというのが問題なだけで。
「義兄さんは、私と一緒に冒険をしてくれるんじゃなかったんですか……?」
「……分かった。とりあえず、考える時間をくれ」
ルシェルの瞳から急速に光が失われるに至り、アベルは両手を挙げてギブアップした。
『アベルに考える時間を与えても、ろくなことになりそうにないがのう』
『正論なんか、聞きたくねーーー』
血でつながった親子の高尚な会話など知る由もなく、エルミアたちは、一応、納得の素振りを見せた。
「私は、アベルに対して閉じる扉など持っていないからな」
「義兄さん……信じてますから……ね?」
「期待していますわよ、アベル」
そして、一人一人メッセージを残し、アベルの部屋から出て行った。
それを見届けたアベルは、ベッドに突っ伏す。重たい。押しつぶされそうだ。
「これだから現実はよぉ……」
考える時間は手に入れた。
先送りには、できた。
だが、どうしたらいいか。まったくアイディアは浮かんでこない。
現実逃避に、満足そうな……というよりは、ドヤ顔で浮かんでいるマリーベルへ問いかける。
「そういや、なんで、マリーベルは俺を吸血鬼にしたんだ?」
「む? 封印が弱まったとはいえ、あの下水道から出られるわけではないからの」
「違う違う。どうして、吸血鬼にじゃなくて、どうして俺をだよ。下水道でダイアラット狩ってるのは俺だけじゃなかったろ?」
「うむ。そうじゃが、死にかけていたのはアベルが初めてじゃったからな」
「その慈善活動で助かったわけか……。ん? なんで?」
本当に偶然だな……と、納得しかけたアベルが、なにかに気付いたようにベッドから起き上がる。
「なんで、吸血鬼が、そんな人助けなんてするんだ?」
「……答える必要はあるまい」
「なるほど。恥ずかしいことなんだな」
「違うわっ」
さっきまでのドヤ顔をどこかへ置き去りにして、マリーベルがアベルの吐息がかかる距離まで近づいてきた。ツインテールにした髪が、アベルの頬に触れる。
「恥ずかしくないなら、言えるんじゃないか?」
「それはだな、こう、なんというか……。余も、主神のように人助けができる人間になりたいとだな、封印されている数百年の間に思ったというか、こう、我が子ならば、言わずとも分かれ!」
予想外の理由に、アベルはきょとんとしてしまう。
主神にこてんぱんにされて、逆に憧れを抱くようになってしまったらしい。
なるほど。人の命を助けるのは、確かに善行に違いない。
「それに、今の世界をこの目で見てみたいというのもあったしの……」
付け加えた言葉に、またしてもマリーベルは赤面し、目を逸らす。
そうして別の方向を見ながら、ぽつりとつぶやいた。
「軽蔑したか?」
「軽蔑? なんでだよ?」
「善なる行いをと言いながら、結局は、自分のためではないか」
「まあ、いいんじゃないのか。人間らしくて」
「吸血鬼の王。前世界より生ける者に対して、人間らしいか」
くくくと、喉の奥で笑い、小さなマリーベルは宙に浮いたままアベルを見下ろす。
「まあ、これから長い付き合いになるんだ。恥ずかしいところは、最初に見せておいたほうがいいぞ」
「ふんっ。精々、余に見捨てられぬようにするんじゃな」
そっぽを向きながら、それでも、マリーベルは小さな手を差し出す。
アベルはその手を握……らず、代わりに拳を握らせた。
「なんじゃ?」
「冒険者は、こうするんだよ」
そして、自分の拳と付き合わせる。
軽く、打ち合わせる音がした。
「ふふふ。まあ、良かろう」
「気に入ったんなら、素直にそう言えよ」
上機嫌なマリーベルと、あきれたようなことを言いながらも、笑顔を浮かべるアベル。
それが、長く続く第二の人生の始まりだと気付くのは、もう少し後のこととなる。
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