ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第九話 ロートル冒険者、元妻から求められる

公開日時: 2020年9月10日(木) 00:00
文字数:5,421

「マリーベル、知恵を貸してくれ」

「ほう……。睡眠を取って、多少はまともな顔つきになったではないか」


 翌日の夕方。

 人間の感覚で言えば早朝に目覚めるなり、アベルは中空に浮かぶ血の親へ頭を下げた。


 目の下に隈はあるが、瞳だけは爛々と輝いている。

 いつになく真剣で、見た事もないほど本気が伝わってきた。


 同時に、なんに対して助力を求めているのかも。


「他人に元妻を幸せにしてみろと言った男とは思えぬ」

「それは……」

「分かっておるわ。できるものならやってみるがいいと言いたかったのであろう?」


 皆まで言うなと、空中を旋回したマリーベルが挑発的な笑みを浮かべた。ツインテールの黒髪がたなびき、安宿を場違いなまでに彩る。


「アベル。汝の屈託は、自信がないことに起因しておる」

「自信って……。俺はそんな」

「謙遜も度が過ぎれば、卑屈となるぞ」


 アベルの反論を、マリーベルはぴしゃりと跳ね返した。


「確かに、確かに。汝には若さもない、学もない、容姿の美しさもない」

「自信持たせたいんじゃなかったのかよ!」


 思わずアベルがツッコミを入れるが、最後まで聞けとマリーベルは軽く受け流す。


「じゃが、50年100年しても、汝の若さは変わらぬ。学はなくとも、冒険者としての経験はある」

「外見は……?」

「まあ、不特定多数を引っかけたいわけではないのだから、そこは良かろう」

「あ、はい」


 そこを深く掘り下げると、自分がダメージを受ける。

 冒険者らしく素早く撤退を選んだアベルへ、宙に浮かぶマリーベルが拳を振り上げて演説を続ける。


「なにより、余が吸血鬼ヴァンパイアにしたというのに、不幸になることはこのマリーベル・デュドネが許さぬ」

「……そうだよな」


 せっかく、二度目。いや、三度目の命を手にしたのだ。

 どうせなら、より良い人生にするべき。


 ――いや、したい。


「俺は、あいつに負けたくない」

「なにを言うか。あのクロード――」

「――クレイグだったろ」

「そのクレイグなどという男など、そもそも歯牙にかける必要はないのだ。忘れよ、忘れよ」


 マリーベルがベッドに座るアベルの顔の高さまで降下し、サメのような笑顔を浮かべた。


「エルミアという女子おなごを幸せにできるのは、アベル。汝だけなのだからな」


 それは、クラリッサやルシェルにも当てはまってしまうのだが、考えないものとする。

 ヴェルミリオ神も言っていた。困難は分割せよと。


 まずは、エルミアだ。


「そのために必要なのは、繰り返すが、汝が汝に自信を持つことじゃ」

「自信か……」


 自らの能力・価値観・言行が正しいと信じること。

 それは、アベルには縁遠い資質。


「でも、冒険者としちゃそこまでじゃないし、吸血鬼ヴァンパイアの力も、言ってみりゃ借り物だぜ?」

「借り物で倒せるほど、シャークラーケンは弱くはないわ」

「そうなのか?」


 今ひとつぴんと来ないのは、心臓を破壊して武器を作るというインパクトですべてを上書きされたからだろうか。


「そもそも、借り物などではないわ。とはいえ、その反応は予想済みよ」

「……相談してる俺が言うのもなんだが、今までの話の流れ、すげー準備されているように感じられるんだけど」

「ノー準備では、汝がどこへカッ飛んでいくか分からぬからな!」

「すいませんすいません。ありがとうございます」


 小さな。

 それこそ人形のような少女に平身低頭する中年がそこにいた。


 それはともかくと話を仕切り直し、マリーベルは血でつながった子に命を下す。


「近いうちに、汝には家を手に入れてもらう」

「それなら、クラリッサがもう動いてるんじゃ?」


 ルシェルも動いているかもしれないとは、とりあえず、触れない。

 アベルもマリーベルも。


「それとは別口じゃ。今のままでは、買うにしても、結局は、余が与えた金のようなものじゃからな。汝の自信にはつながるまい」

「そりゃ、確かにそうだが……」


 今の口振りでは、金を払わずアベルが実力で家を手に入れるように聞こえる。


「自分で家を建てろっていうのか? 大工なんか、やったことないぞ?」

「それは追々な。それよりも、今日のエルミアとの話を穏便に終わらせることが肝要じゃ」


 小さなマリーベルが軽く腕を振ると、目の前に魔法の光が現れアベルの顔を照らす。


「うぉっ」


 魔法の光が、吸血鬼ヴァンパイアの過敏とも言える視界を灼く。

 それを無意識に調整しつつ、アベルはマリーベルに抗議する。


「なんか、衛兵に取り調べられてる気分なんだけどよ……」

「自覚があるのは僥倖じゃな」


 笑顔。

 ただし、マリーベルの目は笑っていない。


 鴉の濡れ羽色の髪に黒いドレス。


 サイズだけは小さいが、吸血鬼ヴァンパイアらしく不吉の象徴に見える。


「エルミアとの馴れ初めから、別れた経緯まで洗いざらい話してもらうからの」

「ええぇ……」

「ルシェルの過ちを繰り返してはならぬ。ならぬのだ」


 それは命令と言うより哀願に近く。

 アベルは、エルミアの家へ行く寸前まで、すべてを告白させられてしまった。





「アベル、よく来てくれた」

「ああ。これ、土産だ」

「持ってきてくれると、信じていたぞ」


 アベルからワインのボトル――赤と白の二本セット――を受け取ると、エルミアが花が咲くような笑顔を浮かべた。


 アベルの視界に、エルミアの白く細い指が入ってくる。

 その左手の薬指には、見覚えのある――アベルも持っている――指輪が輝いていた。


 不意に、アベルの牙が疼いた。


 思わず口に手をやり、突然の吸血衝動を抑える。

 幸い軽いものだったようで、すぐに衝動は消え去った。だが、それに気付かぬエルミアは、エルフ特有の弾むような歩調で、奥のダイニングへと移動していく。


 それほど広くはないが、玄関ホールの壁にはウェポンラックが備え付けられている。そこに掛けられたエルミアのロングボウをちらりと見てから、アベルも奥へと進んでいった。


 『孤独の檻』を気にする必要などなかった。勝手知ったる他人の家……ではない。


 森林衛士へ与えられるこの家は。

 数年前まで、一緒に住んでいた場所なのだから。


「余まで招待に預かり、恐縮じゃ」


 言葉ほどかしこまっている様子もなく、マリーベルがアベルのマントから外に出る。

 そして、天井近くに浮遊すると、興味深そうに周囲を見回した。

 エルフらしく植物をモチーフにしたレリーフなどもあるが、飾り気はない。良く言えば質実ということになるだろうか。


『男どころか、余人の陰もないのう』

『見ただけで分かんのかよ』

『無論よ』


 根拠を示すことなく念話で言い切ったマリーベルは、アベルを追い越してダイニングへと向かって行く。


「ほう。これはこれは」


 四人がけのダイニングテーブルには、所狭しと料理が並べられていた。


 象牛ではなく、きちんと肥育された牛肉を使ったローストビーフが燭台の光に照らされている。時間に合わせて焼き上げられた、パンの匂いは香ばしい。

 秘伝のドレッシングを使用したエルヴンサラダに、エビやカニをふんだんに使用したグラタンも食欲をそそる。


「口に合えばいいのだが」


 さらに、エルミアが小魚で出汁を取ったブイヤベースを運んで来た。


 海に面していないファルヴァニアでは、貴重な海産物だ。手に入れる方法はあるのだが、非常に高価。

 恐らく、ブイヤベースの材料費100だけでRラーシア――庶民の日給数日分――は下らない。


 テーブル全体となると、いくらになるか分からない。


「これ、まだあったのか」


 だが、アベルは料理ではなくテーブルの中央に置かれた銀の燭台をじっと見つめていた。


「憶えていたのか、アベル」

「憶えていたというか、思い出したというか……」


 それほど高価なものではないが、アベルにとって。そして、エルミアにとっても、芸術的な価値以上の意味を持つ思い出の品。


「初めての依頼クエストで見つけたやつだよな」


 燭台の真ん中辺りについた、見覚えのある傷。そのせいで、二束三文で買い叩かれるところだったのだ。

 それを撫でながらアベルはエルミアを見つめる。


「整理していたら出てきたのでな」


 なんでもないと言いながら、その声には喜びが多分に混じっていた。

 気付いてもらえて嬉しい。絆がつながっていることが確認できた。


 そんな声だった。


「なくしたと思ってたんだけどな」

「探せば、また見つかるものだな」


 それは、アベルがルシェルへ掛けた言葉に似ていた。

 アベルとエルミアは、少しの間、過去へと思いを馳せる。


 同時に、アベルは牙に軽い疼きを憶えた。


「さあ、それよりも座ってくれ。せっかくの料理が冷めてしまう」


 一足早く現在に戻ってきたエルミアが、ゲスト二人に席を勧める。

 マリーベルの椅子には、クッションを重ねて高さが調整されていた。


「これは準備のいいことよな」


 先にマリーベルが座り、その隣に無言でアベルも腰掛ける。対面に位置するエルミアが、アベルが持ってきた白ワインの栓を開けた。


「アベル、せっかくだから気の利いたことを言うのじゃ」

「無茶振りきやがったッ」


 家に入ってからずっと雰囲気に飲まれていたアベルが、ようやくいつものペースを取り戻す。気付けば、再び吸血衝動は消えていた。


「あー。じゃあ、いろんな意味でイスタス神に感謝を」

「嫌味か、汝」


 マリーベルの抗議は取り合わず、アベルは強引にグラスを合わせた。血の親子のやりとりを微笑ましそうに眺めながら、エルミアがそれを受ける。


 グラス同士が重なり、高い音がダイニングに響いた。


「アベル、そのグラタンというのを余は所望するぞ」

「取ってやるから大人しくしてろよ。飛び回られたらたまらん」


 イスタス神群による世界の浄化と、ヴェルミリオ神による再構築。

 その過程で持ち込まれた食材は多彩で、この世界の食卓を彩っている。


 その前に封印されたマリーベルにとって、ブイヤベースに使われているトマトやジャガイモも初体験。

 グラタンなど、見たことも聞いたこともなかった。どんな味がするのか、興味がある。


「ほらよ。熱いから気をつけろよ」

「子供かっ」

「大人でも気をつけるんだよ」


 アベルに言われて、マリーベルは充分に冷ましてから慎重にフォークを口に入れる。


 そのまま二度三度と咀嚼し、くわっと目を見開いた。


「まろやかながらこくのある味わい。マカロニの柔らかさに海産物のぷりっとした弾ける食感が加わって、これは楽しいの」


 無邪気な笑顔を浮かべるマリーベルを、エルミアは穏やかな笑顔で見つめていた。


 まるで、子供がいたらこんな光景が見れただろうかと、慈しむかのように。


 しかし、アベルもマリーベルもそれには気付かない。


 こうして食事が進み、一段落した空気が流れた頃。


「マリーベル殿には、いくら感謝してもしきれない」


 クッションを重ねた椅子に座るマリーベルへ、エルミアが頭を下げた。

 これこそまさに、だった。


「もしマリーベル殿に救われず、そのまま地下でアベルが朽ちていたなら、私は自らの愚かさによって命を絶っていただろう」


 穏やかな話ではない。

 アベルが音を立ててグラスを置いた。


「いやいや、死ぬって。バカ言うなよ」

「愚かだが、この気持ちは本物だぞ」

「なに、人助けに理由は要らぬ。謝礼なら、この料理で受け取った。ゆえに気にする必要はないが……」


 一度言葉を切って意味ありげにアベルを見やってから、マリーベルは続ける。


「そこまで言うのであれば、最初から別れねば良かったのだ……と、門外漢は思ってしまうのう」

「……それは、そう。もっともだ」


 赤ワインのグラスに口をつけ、エルミアもアベルを見てから続ける。


「別に、昔のアベルに戻って欲しかったというわけではない。しかし、日に日に活力を失っていくアベルをどうにかしたかったのだ」


 マリーベルは、大きくうなずいた。


 エルミアには、アベルと一緒に堕ちていく覚悟はあったろう。

 だが、このまま二人して朽ちるわけにはいかないと、エルミアが克己心を発揮して別れを告げたのだ。

 それは、アベルから経緯を聞いていた――尋問した――マリーベルの予想通りの答えだった。


「一人になったアベルが、立ち直ってくれると信じていたのだな」

「そうなのだ。結果として上手くいったが、あと一歩でアベルをまたしても失ってしまうところだった」


 別れの真相。


 それを聞かされ、アベルは呼吸を忘れてしまった。


 ただ、エルミアを凝視する。


 エルミアにとっては当然で、マリーベルにとっても意外ではないようだが、アベルには青天の霹靂。


 またしても、牙が疼いた。


 思考力が落ち、風邪を引いたときのようにぼんやりとする。


 一方、マリーベルにとっては思った通りの展開だ。

 予習のお陰で、会話をしながら料理に手を付ける余裕もある。


 この後は、エルミアから復縁の話が出るはず。


 ブイヤベースを口にしながら、マリーベルは行き着く先を予想する。ブイヤベースも出汁がきいて美味い。


 それには言質を与えず――ルシェルやクラリッサがどう出るか分からないので――アベルが家を手に入れるまで保留とする。


 そして、家を手に入れて自信も取り戻したアベルが、自らの意思で相手を選ぶのだ。


 完璧な流れ。


 内心でほくそ笑みながら、マリーベルはエルミアの言葉を待つ。ローストビーフもジューシーだった。ソースも良い。


「アベル……。お願いがあるのだ」

「お願い? そりゃまあ、エルミアのお願いなら、無茶なもんじゃなければ聞くけどよ」


 一心不乱に食事をするマリーベルを置いて、元夫婦が視線を絡み合わせる。


 戸惑いながら、恥じらいながら。


「私の血を吸ってくれない……か……?」


 それでも、はっきりとエルミアは言った。


 左手の薬指にはめられた指輪を外し。


 今までの関係を白紙に戻し、改めてアベルのものになりたい、と。

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