ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十七話 受付嬢、吸血させる

公開日時: 2020年9月12日(土) 12:00
文字数:4,210

「ん? んんんん?? うんんん、んん???」


 うなり声だけだが抑揚を付けて、アベルは現在の状況への疑問と理不尽さと不自然さを表現する。


 おかしい。


 諸々片付けた、翌日の夜。『スヴァルトホルムの館』を攻略するため集合したのは、アベルの定宿。そこから館の入り口へ移動するのかと思いきや。


「どうしたのだ、アベル?」

吸血鬼ヴァンパイアでも、体調不良になるのですか?」

「はっきりさせたいことがあるのなら、今のうちですわよ?」


 なぜか、エルミアの家にいた。

 あの夜、エルミアが血の花嫁ブラッド・ブライドになりたいと指輪を置いたテーブルに、全員が集まっている。


「いや、『スヴァルトホルムの館』の入り口って、泥酔する木陰亭にあるんじゃなかったのか?」


 それなのに、なぜこんなところにと疑問を呈したアベルへ、立ったままのウルスラが答える。


「いえ、この家の横の路地を抜けた先にございますが」

「じゃあ、泥酔する木陰亭を出たところで会ったのは、なんだったんだよ!?」


 平然と、とんでもないことを言う男装の執事に、アベルは食ってかかった。


「それはもちろん、アベル坊ちゃまに会いに行っただけですが?」

「え? ついでとかじゃなかったのかよ……」

「はい。というより入り口の存在自体、マリーベルお嬢様がこの家を訪問した際に判明しましたので」


 説明に矛盾はない。

 どうやら、アベルの早合点だったようだ。恥ずかしい。けれど、こんなことは人生で何度もあった。


「では、疑問も解消されたところで説明に移ります」


 ダイニングテーブルのアベル、エルミア、ルシェル、クラリッサを順番に見回し、男装の執事が開始を宣言した。


「先ほど申しましたとおり、『スヴァルトホルムの館』へとつながる次元の扉は、この家の横の路地を抜けた先にございます」

「知らず知らず、吸血鬼ヴァンパイアの館と隣り合っていたことになるわけか……」

「現実とは異なる位相でございますので、実質的な距離は離れておりますが」


 ウルスラの説明に、アベルは早くも着いていけなくなるのを感じていた。

 次元界に関する冒険など、Aランクでも一握りしか経験したことがないはず。やる気はあったが、場違い感は否めない。


「難しく考える必要はないのじゃ。単に、路地裏の先にドアがあって、それを開くと『スヴァルトホルムの館』へたどり着く。それだけの話よ」

「でも、なら、今まで見つからなかったんだ?」

「誰も探していなかったこと、あちらから開けようとしなかったこと、そして、私めが存在していなかったことが理由です」


 扉を扉として維持するためにはウルスラが必要だと、説明を続ける。


「私めが、現実世界に残り、アンカーとなります。その間に、アベル坊ちゃま方には、『スヴァルトホルムの館』の機能を把握していただく。以上が、概要となります」

「ざっくりしすぎですわ」

「ですが、そう言うということは、ある程度当てがあるんですよね?」

「ある」


 ルシェルの問いには、ダイニングテーブルの上に浮くマリーベルが短く答えた。


「余らが制御するわけではなく、制御できる者を確保するのじゃ」

「制御できる者……」

「スヴァルトホルムの当主ってのは、マリーベルの親友らしい」

「そうだったのか」


 それだけで事情を察し、エルミアが同情の視線でマリーベルを見上げる。

 それに気付き、マリーベルはツインテールの黒髪を振った。


「男の気持ちには気付かぬくせに、こういうところは勘がいいんじゃな……」

「マリーベル殿、なんの話だろうか?」

「こっちの話じゃ。まったく……」

「つまり、唯一の生き残りだという当主――」

「スーシャじゃ」

「――スーシャさんは、信頼してよろしいのですわね?」

「うむ」


 クラリッサの確認に、間髪を入れずうなずくマリーベル。スーシャの話が出てから聞き役に回っていたルシェルが、このタイミングで手を挙げた。


吸血鬼ヴァンパイアですから生きてはいらっしゃるのでしょうが、なにか問題が発生している可能性も考えられるのでは?」

「……否定はできぬな」

「では、不測の事態が起こっている場合は、即時撤退。これを方針として採用するよう進言します」

「至当な意見であると認めよう」

「マリーベル!」


 考える素振りも見せず承認するマリーベルに、アベルは思わず椅子から立ち上がった。


「無理をしても仕方あるまい。その場合は、例の試験もやり直しになるがの」

「でもよ……」

「アベル、落ち着け。撤退前提というわけではないだろう」


 エルミアにいさめられ、アベルは椅子に戻る。


「完璧を求めては、なにもできない。臨機応変に動くとしよう」

「ですわね。報告書を読むと、こういうケースはかなりありますし」


 エルミアもクラリッサも、冷静だった。

 今から逸っても仕方がないと、アベルは反省する。


 吸血鬼ヴァンパイアになって、力を手にして。


 なんでもできると、おごっていたのかも知れない。


「すまないな、ルシェル。本来なら、俺が言うべきだったのに」

「いいんですよ。義兄さんのサポートこそが、私の喜びですから」


 華やいだ……ともすると場違いなほどの笑顔を浮かべ、ルシェルは身をくねらせた。そこまで喜ばれると逆に引いてしまい、アベルは曖昧な表情になってしまう。


「では、アベル。食事の時間ですわ」

「え? 飯食ってきてないのかよ?」


 夕食の時間――アベルにとっては朝食だが――は、とっくに過ぎている。今から食事をしては、出発も遅れてしまうと、アベルは渋面を浮かべた。


「まあでも、食わないで行くわけにもいかねえしな」

「わたくしは、ちゃんと食べてきましたわよ。レバーとかホウレン草とか卵とかカキとかを」

「なんだそのラインナップ」


 なにかの儀式だろうか。呪術的な意味合いがありそうだ。


「ニエベス家に、神話の時代から伝わる貧血防止メニューですわ」

「そりゃ、貧血になったら困るだろうが……」

「ですので、わたくしから、たっぷり吸って構いませんわよ?」

「……は?」


 呆然とした隙を突いて、クラリッサがアベルの手を取った。そのまま引きずって外へ向うが、エルミアもルシェルも動こうとしない。


 事ここに至って、すべて打ち合わせ済みなのだとアベルは気付くが……手遅れ。


 まさか本気で抵抗することもできず、クラリッサとアベルは家の外へと出て行った。


「自ら吸血鬼ヴァンパイアに血を捧げに来るとは……。ウルスラ、これは余が夢見た理想郷か?」

「なにを我慢しているんですか。お嬢様は、今、泣いていい。泣いていいのですよ……」


 ウルスラは哀しげに目を伏せ、わずかに首を横に振った。


 それは、現実逃避するマリーベルと、翻弄されるアベルのどちらへ向けた同情なのか。明晰を誇るウォーマキナの頭脳でも、判断することができなかった。





「《ダーククラウド》」


 外へ出るなり、クラリッサは路地へと入り込み属性石のペンダントからパワーを発動させた。

 薄く引き延ばされた闇の雲が、アベルとクラリッサの周囲を覆う。


「さあ、アベル。吸っても構いませんのよ?」

「いつの間にか、俺が希望したことになってる……」


 闇は深いが、それは人間の視力を基準にした話。吸血鬼ヴァンパイアのアベルもダークエルフのクラリッサも、お互いの顔ははっきりと見えていた。


「だって、その……ずるいですわよ」


 ここで、『スヴァルトホルムの館』へ行く前に命血アルケーを補充したほうがいい。そんな実務的な言葉が出ていたら、アベルは強引にでも、戻っていただろう。


 だが、出てきたのは予想外にしおらしい言葉。


「ルシェルさんはもう吸ってもらってますし、エルミアさんだって血の花嫁ブラッド・ブライドになったら吸い合うのでしょう?」

「まあ……。そうなるかも……な」

「わたくしだけ、仲間外れではありませんの」


 下唇を突き出して不満を口にするクラリッサの瞳は、潤みきっていた。褐色の頬も、闇の中でも分かるほど色づいている。


 本当に、これがあのクラリッサなのか。

 冒険者を選り好みし、美人だけど近づきたくない受付嬢と呼ばれるクラリッサなのか。


「そりゃ反則だろ……」


 アベルが、口を手で押さえた。慌てて距離を取ろうとしたが、それはクラリッサが手を掴んで許さない。


「なら、ちゃんとペナルティを与えるべきですわ」


 クラリッサは少しだけ背伸びをしてアベルの首に手を回し、強引に抱き寄せた。


 アベルの唇が、そして牙が首筋に触れる。


「あ……うんっっ……」


 なにかをこらえるような、鼻にかかった甘い仰ぎ声。


 全身に、甘いしびれが流れる。それは果たして、牙が皮膚を食い破った痛みによるものか。それとも、吸血という行為自体でもたらされたものなのか。


 分からない。


「あうっ。これ……はあぁ……」


 クラリッサには、もうわけが分からなかった。体が浮き上がって、どこかへ飛んでいってしまいそうで。

 心細くて、怖くて、ぎゅっとアベルに抱きついた。


 タバコの匂いがしてわずかに顔をしかめるが、すぐに気にならなくなる。

 この感情はすべてアベルからもたらされているというのに、体温を、吐息を、鼓動を感じていると、とてもとても安心した。


「……クラリッサ」

「アベル……」


 朦朧とする意識と視界の中、それでもたったひとつの名前は忘れない。


「終わりました……の……?」


 幼児のようにたどたどしい口調で確認するクラリッサの髪を、アベルは優しく撫でてやった。


 それで安心したのか。クラリッサの膝から力が抜け、その場にぺたんと座ってしまう。


「クラリッサ!?」


 もしかしたら吸い過ぎたのかと、アベルが慌てて抱き起こそうとする――が。


「ダメですの!」


 その動きを、クラリッサは言葉だけで制した。体は、ちょっと動きそうにない。


「いや、ダメですのって」


 わけが分からないと、アベルは手を虚空に彷徨わす。タバコを探している仕草だ。

 それに気付き、クラリッサは微笑んだ。

 しかし、端から見ると、ただでさえも緩んでいた表情が、さらに蕩けているようにしか見えない。


「やっぱ、マリーベルを呼んで……」

「大丈夫ですわ。アベルは先に戻って、準備をしてくださいまし」

「でも……」

「しなさい!」

「……分かったよ」


 なにかあったらすぐに呼べよと、何度も振り返りながらアベルがエルミアの家へと戻っていく。


 やっと一人になり、クラリッサはへねへなと地面に横たわった。もう、体に力を入れるのすら億劫だ。

 あのときルシェルが耐えられたのは、戦闘中だったからに違いない。そうでなければ、文字通り骨抜きになっていたはず。


 それほどまでに、吸血体験は鮮烈で強烈だった。


「これじゃ、もう、別の意味でも――」


 ――離れられませんわ。


 その言葉は、闇に溶けて誰にも届くことなく消えていった。

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