ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十四話 ロートル冒険者、花嫁を迎える(後)

公開日時: 2020年9月25日(金) 12:00
文字数:3,481

「うっ、あっ……」


 マリーベルに吸血鬼ヴァンパイアにされたときの記憶はなく、エルミアを吸血鬼ヴァンパイアにしたときは血を与えただけ。


 アベルの中では、これが初めての吸血――血を吸われる体験。


 それはなんとも、心地好かった。


 全身をぬるま湯で包まれているような。

 温かな手で頭を撫でられているような。


 あまりの気持ち良さに、アベルは思わずまぶたを閉じ……ようとしたところ、こちらを見ている二対の視線に気付いた。


 ウルスラは、どこから取り出したのか、ハンカチを目元に当ていた。

 まるで、花嫁の母だ。


 一方、彼女のサファイアのような瞳には隠しきれない好奇心が満ちていた。

 分身体アヴァターにとっても、珍しいようだ。


「もっと余に集中せい」


 息継ぎと同時に、マリーベルがアベルを叱りつけた。

 二人を気にしていたことが、不満らしかった。


「分かった……よ」


 集中しなければならない理由は分からなかったが、まあ、いい。

 まぶたを閉じれば、二人の視線など気にならなくなる。スーシャも、空気を読んでなにも言わない。


 視界が闇に閉ざされると、血を啜るマリーベルの吐息がやけに大きく響いた。

 そして、手首からじんわりとした心地よさが全身に広がっていく。


 アベルは、無意識に治ったばかりの右手を伸ばした。

 マリーベルの絹のような手触りの髪に触れる。


「ふぅんっ」


 鼻にかかったような声をあげたが、マリーベルはなにも言わない。つまり、それが答えだった。


 さらさらとした感触を楽しみながら、アベルは思う。


 本当に、血が吸われているのだろうか――と。


 血。生命の源。

 それが抜け出ているはずなのに、心地好さしか感じない。


 眠りに落ちる寸前の、ゆらゆらとした。夢と現の境界線。

 その最も気持ちいい場所で、たゆたっている。


 吸い尽くされるかも知れないとか、吸い殺されるかも知れないとか。


 そんなことはどうでもいい。


 ずっと、こうしていたい。


 状況も忘れて、アベルは素朴で素直な希望を自覚する。


 しかし、その幸福も長くは続かない。


「……ふあぁっ。……危ないところじゃった」


 はっとした様子で、マリーベルがアベルの手首から牙を抜く。はしたなく指で唇を拭いながら、ぺたんと地面に座り込んだ。


「アベル、気分はどうじゃ? 余も、血の花嫁ブラッド・ブライドの契りを結ぶのは初めて――」

「……あれ?」


 豹変。


「がっあァッ。あああああああああっっっっっっっっっ」


 心地好い微睡みの次に訪れたのは、猛烈な飢餓感。

 食べたい飲みたい啜りたい。


 血を吸いたい。


 根源的で原始的で直截的な欲望。


 それを満たしてくれる相手が、目の前にいた。


「マリーベルッ」


 躊躇せず、アベルはマリーベルを。血でつながった親を押し倒した。

 地面に押し倒し、ドレスを引き千切り、うなじに首を埋めた。


 暴力的で、衝動的。


 そんなアベルに組み敷かれるのは、恐怖でしかない。


「落ち着くのじゃ、アベル。余は、逃げも隠れもせぬ」


 それなのに、マリーベルは当然とアベルを受け入れた。

 それどころか、ぎゅっと抱き寄せ牙を誘導すらしてやる。


「マリーベルッ!」


 血でつながった親の思いやりに感謝するでもなく、不肖の息子は白い……誰も侵したことのないうなじに牙を突き立てた。


 途端に、甘露が溢れ出す。


 甘い。

 しかし、甘ったるくはない。


 喉に粘り着くように濃厚なのに、するすると入っていく。


 否、味など二の次。


 いくらでも、際限なく、無限に飲み続けられる。


 いや、飲み続けたい。


 命血アルケーの補充だとか、信頼関係を示すとか、そんな目的はもはやどうでもいい。


 マリーベルを、我が物としたい。


 アベルの思考は、その欲望に塗りつぶされた。


 もう、遠慮はない。

 一心不乱に、ただただマリーベルの血を吸うだけの吸血鬼ヴァンパイアとなった。


「アベル……」


 冷たく、長い指がアベルの頬を撫でた。

 優しく。万感の想いを込めて。


「良いぞ」


 マリーベルは、短く一言だけ口にした。

 自然に笑顔を浮かべ、苦しさを感じさせないようにして。


 ただ、当たり前のようにアベルを受け入れる。


「良くねえ……だろ……」


 自制心を総動員して、アベルはなんとか牙を抜いた。


 だが、そこまで。


 牙を抜くことはできても、押し倒したまま動かない。動けない。体が言うことを聞かない。気を抜けば、また、あのうなじに牙を突き立てるだろう。


「良くねえのに……ちくしょうが……」


 そう。いいわけがないのだ。


 なんのために、マリーベルが同族食いのことを話したのか。

 こうならないためにだろう。


「良いのだ。アベルの牙に身を委ねることで、余は信頼を示した。ゆえに、結果はどうなっても良いのじゃ」

「……なんで……だよ」


 アベルは、マリーベルが信頼した人間だ。

 だから、アベルが語った話は事実である。


 マリーベルが改心したという話もまた。


 それは、証明としては正しいのかも知れない。


「それで、マリーベルが死んだら意味ねえだろうが!」


 どくんっ。


 心臓が、一際大きく鼓動した。


 アベルの意思とは無関係に。


 もっと血を吸え、もっと血を寄越せ。


 吸い尽くせ。


 そう要求するかのように、心臓が跳ね回る。


新参者ニュービーに、かような仕儀を強いた余が間違っておったのじゃ」

「う……せえ……」

「もう、余はついていられぬゆえ、エルミアのときは、このような失敗をするで――」

「うるせえ、黙ってろ!」


 それは、自らの心臓と、マリーベルと。

 どちらへの咆哮だったのか。


 分からない。

 分からないが、アベルは直接的な手段で黙らせることにした。


「ア……ベ……ル……?」


 マリーベルの白い肌を、赤い斑点が彩った。


 血だ。


 マリーベルにのし掛かったまま、アベルは左胸に手を突き入れた。

 歯を食いしばり、身を起こしながらぶちぶちと、動脈を引き千切る。


「あああああああああっっっっっっっっっ!」


 獣のような咆哮。


 それが封印の地で残響となると、アベルの手には自らの心臓が握られていた。

 あれほど嫌がっていた心臓の取り出し。

 それを為したアベルは、むしろ、誇らしげ。


「どうだ。もう、血を吸うどころじゃねえぞ。ざまーみろ」


 凄烈な顔つきで、牙をむき出しにしている。

 その手から血が垂れ落ち、地面に押し倒されたままのマリーベルの口に入った。


「アベル……」


 極限まで血と命血アルケーを吸われたマリーベルの体に、生命の息吹が広がっていく。

 吸血鬼ヴァンパイアの、我が子の血で回復した。


 アベルの血の花嫁ブラッド・ブライドとなったのだ。


 しかし、それを伝えることは叶わない。


「待たせたな」


 アベルの目は、すでに他へ向いていた。


 馬乗りになっていたマリーベルの体から立ち上がり、心臓を片手に彼女へ近づいていく。


 足取りに乱れはなく、呼吸もいつも通り。

 痛みを我慢しているのか。それとも、感じていないのか。


 それはアベルにも分からなかったが、どうでもいいと言えばどうでもいい。重要なのは、全身に力がみなぎっていること。


 問答無用の万能感に突き動かされ、彼女と対峙する。


「人であらんとするため、我、怪物となる」


 マリーベルに教えられた聖句をそらんじ、彼女の目の前で心臓を握りつぶした。


「ほう……」


 かつて、赫の大太刀ハート・オブ・ブレードを目にしたことがあるのか。彼女の驚きは、わずかなもの。


 むしろ、驚いたのはアベルの側だ。


 作り出された赫の大太刀ハート・オブ・ブレードは、太さも長さも普段の倍はあった。内包する命血アルケーも、尋常ではない。


 糧としたのが、吸血鬼ヴァンパイアの血だからなのか。

 それとも、マリーベルの血だからなのか。


 それは分からない。そもそも、不可分だ。


「待たせた分、威力は保証するぜ」

「いい覚悟だ」


 彼女は、初めてきちんとした構えを取った。


 アベルを正面から見据え、足を引き、盾を押し出し、剣をしっかりと握る。


 基本の構え。


 それだけで、威圧感が倍加した。


 だが、アベルには、もう、不安も気後れも。


 怯懦も遠慮もない。


 失敗の理由を悟っていた。


 小細工――血制ディシプリンを使ったり、コフィンローゼスから光線を放って目くらましをしたこと自体が間違いだったのだ。


「――征くぜ」

「来い」


 赫の大太刀ハート・オブ・ブレードを上段に構え――否、ただ大きく振りかぶり。


 血制ディシプリンも使わず。

 けれど、全身をバネにして神速で踏み込み。


 愚直に振り下ろした。


 彼女は避けない。

 先んじて、アベルを攻撃もしない。


 ただ、赤く紅く赫い冴え冴えとした刃を待ち受ける。


「食らええええええっっぇっぇっぇぇ!」


 静寂。


 爆発。


 そしてまた、静寂。


 爆散した余波で飛礫が舞い、空を覆っていた厚い雲が吹き飛ばされた。


 薄闇の世界に、光が射す。


 それは、祝福の光。


 アベルの全力を受けても揺らがなかった、彼女を祝福する光だ。


「認めよう」


 スポットライトを浴び、剣を鞘に収めながら、彼女は言った。


「偉業を為した英雄の言葉が真なることを」


 芸術神ヴェルミリオですら再現不可能なその美貌から、血が一滴こぼれ落ちる。


「かすり傷未満で、偉業かよ……」


 それこそ、アベルが勝ち取ったモノだった。

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