ロートル冒険者、吸血鬼になる

小説家になろうで3,000,000PV突破! これがベテラン冒険者の生き様?
藤崎
藤崎

第十話 ロートル冒険者、ごまかす

公開日時: 2020年9月4日(金) 18:00
文字数:2,026

 目の前で仁王立ちする、クラリッサ。

 絶対にアベルを逃がすつもりはないと、全身からオーラが立ち上っているかのよう。


 そもそも、立ち止まってしまったのが失敗。

 エルミアのときの反省を、まったく活かせていなかった。


『人違いで通せば良かったものを……』

『……後から、変に追及されても面倒だろ?』

『まあ、仕方あるまい。適当にごまかすのじゃぞ』


 さすがに空気を読んで、マリーベルがマントの中へ深くへ潜っていく。

 膨らみなどで、存在が露見することはない……はずだ。


「クラリッサか。こんなところで会うなんて、珍しいな」


 振り返り、なんでもない風を装ってアベルは言った。ただし、早口で。

 しかも、クラリッサと視線を合わせようとはせず、意識は目の前の受付嬢ではなくマントの中のマリーベルへと向いている。


「え、ええ。確かに奇遇ですわね。あるいは、偶然。もしくは、運命ですわ」


 アベルに声をかけられ、クラリッサの態度が露骨に変わった。

 近くにある領主の城館とアベルを交互に見ては、絹のように白い髪に指を絡め、もじもじと体をくねらせる。


 褐色の肌をしたダークエルフの美女がそうしていると、ギャップで、実に可愛らしく見えた。優しい街灯の光も、それに一役買っている。


『なんじゃ、このダークエルフ。我が子に色目を使いおるか?』

『んなわけ、ねーだろ。気が散るから黙ってろ』


 しかし、当然と言うべきか。マリーベルと違って、アベルはそれに気付くことはなかった。


「そ、それよりもアベル!」

「な、なんだよ」


 時ならぬ大声に、アベルは思わず後退った。

 ギルドの受付嬢でしかないクラリッサが、競技場でのことを知っているはずがない。


 それは分かっていても、後ろ暗いところがあると、反応してしまうのだ。


「なぜ、昨日は依頼クエストの完了報告に来なかったんですの?」

「あ、ああ……。……ああっ!?」


 すっかり忘れていた。


 宿に戻った記憶がない位なのだ。ギルドにも行っていないに決まっている。

 いろいろあったとはいえ、そこに気付かなかったのは失敗。大失敗だ。


 アベルの、最近前進つつある額を、汗が一筋垂れていく。


 吸血鬼ヴァンパイアも、その辺は人間と同じらしい。


 まったく安心できない知見を得たアベルは、どうにかごまかさなくてはと頭を巡らす。


「ちょっといろいろあってな。昨日は、下水から宿に直接戻ったんだ」

「アベルには言うまでもないですが、完了報告をしてくれないと、報酬が払えないんですのよ? はっ、それもできないほどのなにかが起こったということですの……?」


 先ほどとは違って、ニュートラルな表情で白く艶やかな髪を指に巻く。クラリッサの考え事をするときの癖だった。


「いやいやいやいや。そんな深刻なことじゃなくてな。っていうか、そんなことがそうそう起こるわけねえだろ?」

『それが、起こるときは、起こるんじゃなぁ。まさに奇縁よの』

『黙ってろっての!』

「まさか、どこか怪我でもしたのではありませんの?」

「いや、それはない。大丈夫だ」


 クラリッサが手を伸ばした分だけ飛び退り、アベルは両手を突き出して健康をアピールした。

 今、このマントをめくられたらまずい。身の破滅だ。


 いや、アベルが――社会的に――死亡するだけなら、構わない。良くはないが、まだいい。


 最悪、秘密を知られたことでマリーベルがクラリッサになにかするかもしれない。


 ただの冒険者と受付嬢の関係でしかないが、顔と名前を知っている人間が、自分のせいで害されるのはごめんだった。


「まあ、そこまで言うのであれば信用しますが……。まさか、エルミアさんですの?」

「なぜそこに、エルミアが?」


 唐突に飛び出して来た元妻の名前に、アベル狼狽する以前に困惑する。

 それでは、ルーティーンを崩すほど、アベルにとってエルミアが大切な存在だと言われているのと同じではないか。


『エルミア……。憶えておくかの』

『忘れろ。それか、死ね』

「どうやら、本当にエルミアさんは関係がないようですわね」

「あのほんと、なんでエルミアの名前が出てきたのか説明をだな……」

「となると、例の件で進展があったというわけですわね?」

「あ、いや、そう……だな……」


 例の件――ファルヴァニアの地下に、吸血鬼ヴァンパイアの遺跡があるのではないかというクラリッサの推測。


 マリーベルがアベルを吸血鬼ヴァンパイアにしたということは、地下になにかがあるということは確実なのだろう。その前後の記憶はまったくないのだが。


 ほとんど邪推に近かったはずなのに、結果として正鵠を射ていたことになる。


 その偶然に、アベルは乗った。


「まあ、詳しくは言えないが……な」

「裏取りが必要ということですわね」


 嘘ではないが、本当でもない。


 そんなアベルの含みある言葉に、クラリッサはうなずきを返した。


 今が、好機。


「俺は用事があるから、それじゃな」

「ちょっと、アベル。まだ話は――」


 今度は、振り返らない。


「アベル! 明日は、ちゃんと顔を出すんですのよ!」


 踵を返し、一目散に南の大森林へと逃げ出した。

 クラリッサの近所迷惑な大声には、あえて返事をせずに。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート