「そうか。クルィクも、小さな頃はこの館の住人だったんだな」
「ゥワンッ! ゥワンッ!」
「なるほど、なるほど。お前のご主人様も、館にいるはずなんだと」
「ゥワンッ! ゥワンッ!」
「いい情報だ。でも、内部の構造までは分からないよな?」
「キュウウン……」
「いいんだ。吸血鬼の家の構造なんか分かるわけないよな」
館周辺の偵察をエルミアたちに任せていたアベルが、クルィクは悪くないと慰めるように言った。
ついでにあごの下を撫でてやると、クルィクが気持ち良さそうに目を細める、
「ここまで運んでくれただけで充分だよ。助かったぜ。ありがとな、クルィク。お陰で館の中には入れるぜ」
「ハッハッハゥッ」
甘えるようにすりつけてきた――人間で言えば――横顔を、アベルが力一杯撫でてやった。
それが気持ちよかったのか、感謝の気持ちが嬉しかったのか。あるいは、その両方か。きちんと伏せをしながら、クルィクは興奮気味に声をあげる。
無邪気なその仕草は、マリーベルが言っていた通り、子犬そのものだった。
「それが、なんでこんなにでっかくなったんだろうなぁ」
「アベル、いつまでそうしておる」
エルミアたちと先に館を確認しに行っていたマリーベルが、ドレスの裾をひるがえして飛んできた。
手触りも良く、どういうわけかいい匂いもするため、ずっとクルィクを撫で続けていたようだ。名残惜しいが、こればかりは仕方がない。
「聞き取りが終わったのなら、こっちへ来ぬか」
「ああ、分かった。クルィク、お前のご主人様を探してくるから、そこで大人しくしててくれよ」
最後にぽんぽんと叩いて、アベルは館へと向かう。本当に名残惜しいが、クルィクも聞き分けてくれるはず。
「くぅぅぅん」
そう思っていたアベルの背中に響く、哀しげな声。
「……嫌だ、クルィクを置いていけるか」
「ええいっ。クルィクは留守番じゃ」
マリーベルがアベルの背中を蹴って、『スヴァルトホルムの館』の前へと押し出した。
「まったく、手がかかる」
「足だったじゃねーか」
地面に置いていたハルバードを拾ったせいでたたらを踏みながら、改めて正面から館を目にするアベル。
二階建ての白亜の館。
継ぎ目が一切存在ない石造りの邸宅は左右対称で、どっしりとした印象を受ける。正面の入り口は低い階段を上った先にあり、3人まとめて通れそうなほど大きい。
吸血鬼の居館らしく、窓はすべて頑丈な鎧戸で覆われていた。
見るからに立派で、実は行政施設だと言われても信じてしまうだろう。
「しかし、スヴァルトホルムのわりに大した規模ではないの」
「いやいや、立派なお屋敷だろ。これ以上、なにを求めるんだよ」
「そうか? この程度の大きさでは、ダンスホールもないはずじゃが?」
「基準が高すぎる」
当主が住む館としては小規模と言いたいようだが、庶民にはまったく理解できなかった。生まれの違いはどうしようもないと、アベルは話を変える。
「窓が全部閉まってるけど、むしろ、窓があることに驚いたほうがいいのか?」
「まあ、余らが浴びても問題ない光なんじゃから、そこまでせんで良かろうよ」
「だよな。窓がなかったら、そもそも、なんで太陽を作ったんだよって話になるよな」
「それはいいのだが、アベル、マリーベル殿」
周囲を見回ってきたエルミアが、二人の前に姿を現した。
いつも通り、清楚で凛としたエルミア。その立ち姿に、アベルは昔を思い出す。冒険者として、夢も希望も抱いていた時代を。
「……どうかしたか?」
「いや、なんでもない。それよりも、なんか仕掛けはなかったか?」
アベルの様子が気になったようだが、エルミアは、それ以上追及はしなかった。代わりに、ルシェルやクラリッサとともに周囲を見回った結果を告げる。
「特に怪しい場所はなかった。隠し通路の出口がないか、慎重に調べてみたのだがな」
「見つからないものは仕方ねえさ。ありがとう」
「はいはい、義兄さん! 私とクラリッサさんも頑張りましたよ!」
「成果が出ていないのに、あまり強調するのは格好悪い気がしますわ」
だが、褒めてくれる分には構わない。
そんな声が聞こえた気がして、アベルは微笑ましい気分になった。
結果が出たら褒めるのは、当たり前。だが、行動なくして結果はない。結果を出したかったら、まず行動した時点で褒めるのが肝心。
「ルシェルとクラリッサも、ありがとうな」
そこまで理論立てて考えているわけではないが、訓練生の教育と同じ感覚で、遅れて駆け寄った二人にも声をかけた。
「こっちも、ここにスーシャだっけ? 吸血鬼の生き残りが館にいるらしいってことは、クルィクから確認できたぜ」
「無駄足に、ならずに済みそうだな」
アベルの右隣にいたエルミアが、相槌を打ちながらさりげなく手を差し出した。
それを見ようともせず、アベルは手にしていたハルバードをエルミアに預ける。
あうんの呼吸。
それとは別に、息を飲む気配が伝わってきた。具体的には、ルシェルとクラリッサから。
「くっ。やはり、姉さんは強敵ですね……」
「大丈夫ですわ。時間はたっぷりありますもの」
完全に意識していなかったため逆に気恥ずかしくなって、アベルは一切反応せずに、『スヴァルトホルムの館』の正面入り口へと向かった。
階段の前で立ち止まり、罠がないかチェック。
意地が悪いと、階段を踏んだだけで仕掛けが作動することもあるのだが、今回は特にないようだ。住居なら当然だが、やや肩すかし。
扉も同じ。お馴染みの、鍵穴から毒針が飛び出すような罠もない。ルシェルがチェック済みなので、魔法的な仕掛けも存在しないようだ。
「大丈夫だぞ」
七つ道具を使って鍵を開けると、アベルは振り向いて、皆を呼び寄せた。
真っ先にマリーベルが飛んできて肩に収まり、続けてエルミアからハルバードを受け取った。クラリッサとルシェルの顔色を確認してから、アベルは最後に最も新しい仲間に声をかける。
「クルィク! 入らせてもらうぜ!」
「ウワォンッッ!」
嬉しそうなクルィクの咆哮が、『孤独の檻』を打ち破る。
住民の許可を得て、アベルたちは、ついに『スヴァルトホルムの館』に足を踏み入れた。
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