ロートル冒険者、吸血鬼になる

小説家になろうで3,000,000PV突破! これがベテラン冒険者の生き様?
藤崎
藤崎

第八話 ロートル冒険者、くだを巻く

公開日時: 2020年9月9日(水) 18:00
文字数:3,930

「俺はさ、また冒険者としてやり直せる。もう一回、夢を追える。そう思っていたわけだよ。家を買って、気分一新やり直そうとさ」


 ハチミツ酒の瓶から直接中身を煽りながら、アベルは興奮気味に息を吐いた。


「それがどうしてこんなことに……」

「日頃の行いじゃろうな」


 マントの中から頭だけだし、マリーベルはばっさりと切り捨てた。

 多少は手心を加える気持ちはあったが、それは過去の話。ルシェルの部屋から退出――決して逃げたわけではない――から、もう何度目か数える気にもなれない愚痴をまともに相手するほど愚かではない。


 それに、場所も問題だ。


 マントで身を包んだ男が、酒瓶片手にくだを巻いている光景はかなりいただけない。深夜で人通りがないことは救いだが、だからといって許容できるものでもなかった。


「原因がはっきりしたところで、部屋に戻らぬか?」

「嫌だね」


 定宿の入り口にどっかりと座って、酔うい任せて愚痴をこぼしていたアベル。

 冴えない冒険者が、このときばかりはきっぱりと意思表示した。


「だって、部屋に戻ったら誰かいそうじゃねえか」

「いやぁ、さすがに大丈夫じゃろ。ルシェルも行くならクラリッサのところじゃろうし、そのクラリッサとは円満に話が終わっておるではないか」


 本質的な部分はさておき、マリーベルは表面上安心だとアベルを説得した。


「エルミアは……」

「この前のことを考えれば、夜の森なのではないか」


 丁寧に可能性を潰してやったが、アベルはまだ動こうとしない。

 それどころか、アベルは、エルミアと一緒にいた顔も知らない男のことを思い出していた。


 あの男と、エルミアが二人で……。


「ええいっ。はっきりせぬ男だな」

「だってよ、冴えない人間が、なんぜエルフとダークエルフの美人に好かれると思うよ? なあ?」

「言うて、一度、エルミアとやらとは結婚もしておるではないか」

「最初は、ほら、両思いだって思ってたけどさ……」

「その年で両思いとか、相当キモいぞ」


 マリーベルのツッコミは完全にスルーし、アベルは続ける。

 相当情けない告白を。


「あれはこう、冷静に考えると同情というか、傷ついたペットを飼うような感覚だったんじゃないかと思うわけで……」


 あとは、アベルとしてはあえて見ないようにしていた部分だが、里を救った恩人という部分もあるのではないか。


 そんな一方的な話を聞き、マリーベルはため息をついた。心の底から。


「アベルは、あれじゃな。考えぬほうが良いな。一切」

「今、人間として最低の評価が下らなかったか!?」


 馬鹿の考え休むに似たりとも言うが、下手に考えて駄目な方向に行かれると手に負えない。


「仕方あるまい。だが、余はシャークラーケンへ立ち向かった汝の勇気を忘れてはおらぬ。ゆえに、最後のチャンスをやろう」

「礼を言ったほうがいいのか、これ?」

「里を救った恩人、ともに戦った仲間ということなら、ドワーフや司祭プリーストも同じであろう。だが、アベルとは扱いが違うではないか」

「……そりゃ、二人は俺みたいに死んでないから」

「生き死にだけの問題なら、汝を生き返らせた時点で終わりではないか」


 アベルはハチミツ酒の瓶を地面に置き、言葉を失った。もしかすると、呼吸すら忘れていたかもしれない。


「じゃあ、別れたのは一体……?」

「それは本人に聞くしかあるまいよ」


 驚くべきことに、マリーベルはまだ対話を諦めていなかった。

 主神から改心の余地ありと滅びではなく封印による懲役を与えられた吸血鬼ヴァンパイアの女王は、人の善性を信じているのだ。今でも、なお。


「……そうだな。ルシェルは、あれだったけど、クラリッサとの話し合いは上手くいったしな」

「あ、そういう認識じゃったな」


 やはり、駄目かも知れぬ。

 マリーベルの心が、あっさり折れかけたそのとき。


「アベル!」


 まだ明け切らぬ夜闇の向こうから、弾んだ声が聞こえてきた。

 人ならぬ吸血鬼ヴァンパイアの視覚は、声の主をはっきりと捉える。


 エルミア。


 ファルヴァニアの領主に仕える森林衛士にして、アベルの別れた妻。スレンダーな肢体で、素早くこちらへ駆け寄ってくる。


「なんなんじゃ、アベル。汝には、関係者を吸い寄せる機能でもついておるのか」

「わけ分かんねえこと言ってないで、とりあえず、隠れろって」


 アベルがマリーベルをマントの中に押し込んだのは、こちらに近づいているのがエルミアだけではないと気付いたから。

 南の大森林で遭遇したときと同じく、同僚と一緒のようだ。


『仕事帰りなら、一緒なのも当然であろう』

『言われなくても分かってるっての』


 マリーベルのフォローに、勉強をしろと言われた子供のような返答をし、アベルは渋い顔をする。

 その苦々しさは主に自分へ向けられていたのだが、すぐ側までやってきたエルミアにそこまで伝わるはずもない。


 エルミアは、ルシェルと似た。しかし、より大人びた顔に、きょとんとした表情を浮かべる。


「……なにかあったのか?」

「いや、特になにも……ないようには見えねえなぁ、これ」


 宿を閉め出された男が、不機嫌そうに酒を飲んで時間を潰している。


 どう好意的に解釈しても、これより良くは見えない。


「まあ、特になにがあったってわけじゃないから心配は要らないぜ。それより、エルミアは仕事の帰りか?」

「うむ。夜番でな。それよりも、アベルに話があったのだ」

「話?」


 悪い予感がして……というより、悪い予感しかしなくて、マリーベルがマントの中で身を固くする。

 それはアベルも似たようなもので、すぐには答えず視線を彷徨わせ――名前も知らないエルミアの同僚も近くにいることに気付いた。


「それ、今していい話なのか?」

「ん? ああ、大した話ではないからな」


 アベルの視線の意味に気付いても、エルミアの態度は変わらない、

 それでも、一応は、配慮するつもりなのか。宿の前に座るアベルの耳元へ口を寄せる。


 夜の森を巡回しても、エルミアから不快な香りはしない。それは、エルフ特有なのか、それとも、エルミアだからなのか。


 過去の様々な経験が脳裏に蘇り、アベルは気安い元妻を押しのけることもできずにいた。


「明日、非番なのだ。せっかくだから、うちに来ないか?」

「それは……」

「マリーベル殿も一緒に……。駄目だろうか?」


 その言葉を聞いて、アベルの気が変わった。

 マリーベルが一緒。ということは、ルシェルのようなことにはならない。そうに違いない。


「夜しか動けないけど、それでいいのか」

「無論だ。私は、アベルに対して閉ざす扉など持ち合わせていないぞ。いつ何時でもな」

「……分かった。俺も、話がしたいと思ってたんだ」

「……そうなのか」


 アベルの言葉に、森を思わせるエルミアの瞳が大きく見開かれる。

 しかし、それも一瞬で、すぐに柔和な笑顔に取って代わった。


「では、明日の七つの鐘が鳴る頃に来てくれ」

「ああ。気をつけてな」

「アベルも、朝になる前には部屋に戻るのだぞ」


 軽く微笑みながら注意して、エルミアはアベルから離れ――ず、逆に、そっとアベルの頭を胸に抱き寄せた。


「楽しみにしているからな」


 アベルになにも言わせず、そのまま颯爽と立ち去っていく。


『なんじゃろうか。今までは、もっとポンコツな感じじゃなかったか?』

『…………』


 不意打ちを受けたアベルは、念話に応じる余裕もない。

 昔、仲間になって間もない頃のエルミアを思い出していた。


 里から出てばかりで、余裕のなかったエルミアを。余裕がないと逆に、大胆になるのだ。


 つまり、今も余裕がなかったのか? なぜ?


 そのこちらに近づいてくる足音と、ランタンの光に意識を引き戻された。


「あなたが、封印魔獣を倒した冒険者アベルか」

「そうは見えないだろう?」


 咄嗟に出たのはシニカルな言葉。


 なのに、アベルは、視線を合わせられない。

 相手の顔ではなく、首元辺りを見ながら言葉を交わす。


「私は、クレイグ・フォン・ラインブルク。エルミア様と行動をともにしている人間だ」


 名前からして貴族だろうか。

 アベルはなにも言わず、目も合わせようともせず、続く言葉を待った。


「単刀直入に言おう。エルミア様に、きっぱりと別れを告げてもらえないだろうか」


 このとき、アベルは初めてクレイグと目を合わせた。


 若く、地位も金もあり、容姿にも恵まれた。

 自分とは正反対の男を。


「くっ」


 そのの視線に気圧されて、クレイグと名乗った男が仰け反りながら数歩後退る。

 アベルは、ただ見ているだけのつもりだったが、その視線には知らず知らず力が込められていた。


 それでも、なんとか気持ちを立て直し。アベルから視線を反らしながらではあったが、再び口を開く。


「エルミア様にまったく意識されていない私に、こんなことを言う資格がないのは分かっているが――」

「さあ? そんなこともないんじゃないのか?」


 先ほどの視線はなんだったのか。

 クレイグが、そう理不尽に嘆くほどあっさりとした返答。


 マリーベルは、アベルの不器用さに頭を抱える。


『本気で言うとるから恐ろしい……』


 脈はない。人間だったら死亡診断が出ているぐらい、脈はない。

 それはマリーベルの目から見ても明らかだったが、アベルからは違うように感じられるようだ。


 いろいろと騒動を巻き起こしているアベルの持ち家購入だが、自信を持たせるためにはやはり、有効ではないか。そう、マリーベルは認識を強くする。


「だけど、あなたがエルミア様を幸せにできるとも思えない」

「……そう、かもな」

『そこは納得するところでは、なかろうが』


 ツッコミに忙しいマリーベルには答えず、アベルは自嘲気味に唇を歪めた。


「なら、あんたが幸せにしてみたらどうだ?」

「……まだ、気概はあるようだな」


 そう言い捨てて、クレイグは踵を返した。

 アベルはその背を無感動に眺め、次いで、白みつつある東の空へ視線を向ける。


 夜が明ける寸前まで、アベルが言葉を発することは、なかった。

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