冒険者ギルドの地下訓練場は、熱気のある沈黙に包まれていた。
訓練場の中心で対峙する、Bランク冒険者のカッツとCランク冒険者のアベル。
その二人を取り囲むのは、他の冒険者たち……だけでなく、どうやら受付嬢や職員も混じっているようだった。すでに日が沈んでいる時刻のためサボりというわけではない。
だが、BランクとCランクの模擬戦にしては、注目度が高すぎた。
その理由は、武器にある。
カッツが手にしているのは、トレードマークともなっているバトルアックス。アベルが壊してしまったため新調したそれは、全長1メートルを超える両刃の両手斧。
柄頭の部分には、髑髏と竜の装飾が施された禍々しい印象を与える武器だった。
魔化された逸品であり、カッツの膂力から繰り出される破壊力はすさまじいものになるだろう。
だが、希少性では、アベルの武器に劣る。それは、物珍しさと言ってもいい。
単純な長方形ではなく、六角形を引き延ばした形状の黒い棺。一見して素材までは分からないが、見るからに重厚で、見る者を圧倒する。
側面には薔薇と茨の装飾が彫り込まれ、蓋には双頭の鷲の紋章が描かれていた。
それを足下に突き立てるアベルを、カッツが気の毒そうなものを見る目で見下ろしていた。
「アベルさんよう、武器? それが?」
「言ったろ、吸血鬼の遺跡で見つけたマジックアイテムだって」
「吸血鬼だから棺なのは分かるけどよ。武器? それが?」
「ああ。攻防一体のな」
カッツには、確かに、マジックアイテムを見つけたから、その性能試験のために相手をして欲しいと言った。
シャークラーケン騒動で駄目になった、吸血鬼の遺跡から持ってきた武器だとも。
前者は本当で、後者は嘘。だが、特に支障はないはずだ。
「でも、どう見たって、棺以外のなにものでもねえじゃん」
「仕方ねえな、論より証拠だ」
なおも馬鹿にするというよりは本当に困惑――心配とは思いたくない――するカッツに、アベルは先に性能の一端を披露することに決めた。
「アウェイク」
短く起動コマンドを唱えると、側面を彩っていた茨の装飾が波打ち、棺から浮き出てアベルの右腕に絡みつく。
痛みはないが、がっしりと腕に食い込む感覚。だが、そのお陰でしっかりと固定でき、茨を握って振り回すこともできる。
「問題ないだろ?」
アベルがサメのように笑うが、カッツからのリアクションはない。ぽかんとしている。
茨の鎖を腕に巻いても平然としていることと、重たそうな棺を振り回すことのどちらへの反応だろうか。
『ご主人様素敵やっぱり一味違う』
本来は棺に近づく者を捕らえるトラップなのだが、あのときは、スーシャの力が弱っていたため起動しなかったのだ。
『今はつやつや問題ないこれからもっと元気になる』
『こっちは不安しかないぜ!』
念話でも句読点のないスーシャに、アベルも念話で答える。
若干、嫌そうに。
それは、二人が念話のパスでつながるようになった経緯に起因するのだが、スーシャは気付かない。良くも悪くも純粋で純粋で天真爛漫。
『いや、良くも悪くもって、確実に悪いだろ』
『大丈夫問題ないなにも問題ないスーシャとコフィンローゼスの組み合わせはちょっと特殊なインテリジェンスソードみたいなもの』
インテリジェンスソード。知恵ある剣。
所有者に栄光と落日を与える伝説の武器。実際には、剣だけでなく、槍や杖。それどころか、鎧やローブの場合もある。
いずれにしろ、ヴェルミリオ神の創作伝承を紐解くまでもなく、少年が憧れる格好良い武器として描かれることがほとんど。
決して、棺の形はしていないし、性的嗜好が歪んでもいない。
『特殊なのは、武器の形状と中の人の性的嗜好のどっちなんだろうなぁ!』
『両方』
『認めんのかよ! せめて疑問形にしろよ。いや、してください!』
開き直った変態は無敵だ。
この場にマリーベルがいなくて良かった。本当に、良かった。
『それよりもご主人様斧男が説明して欲しそうにしてる待てができないなんてなんて卑しい』
『よーし。少し黙ろうな?』
茨を腕に巻いたまま棺を振り回して、カッツを放置してしまっていた。よく考えると――考えなくとも――不審者だ。
それに、どう考えたって、スーシャの相手をするなら、カッツに説明をしたほうがいい。
『ご主人様の気持ちが伝わって気持ち良くなってきた』
『黙れって言ったよな!?』
どう考えたって、スーシャの相手をするなら、カッツに説明をしたほうがいい。
「というわけで、こいつを武器にする分には問題ないことは分かったと思う」
「普通、武器にしないと思うぜ、アベルさん」
「その段階は、すでに過ぎ去った」
今さらだ。
本当に、今さらだ。
「カッツ。お前の斧なら、この棺ぐらい簡単に割れるよな?」
「……あん?」
安い挑発。
カッツは、それに乗った。
「オオオオッッッ!」
気合いの声と言うには大きすぎる雄叫びを上げ、渾身の一撃を放つ。
――だが、黒い棺にあっさりと弾き返された。無論、黒い棺には傷ひとつない。
周囲のギャラリーから、軽いどよめきが起こる。それだけ、カッツの破壊力に定評のある証拠。
跳ね返されたバトルアックスのせいで、カッツが巨体を大きく後ろに反らした。
余程衝撃が凄かったのか。顔をしかめ、震える手を押さえている。それでもバトルアックスを取り落とさないのは、Bランク冒険者の実力だ。
「堅ッ。アベルさん、なんだよこれ」
「俺にも分からん」
本当に分からない。
「でも、こういうこともできる」
茨の鎖を引き、投擲のようなフォームで黒い棺を振り下ろした。
軽々と、すさまじい速度で。
すると、棺の先端。かつてアベルが粘土で埋めたシャッターがスライドし、中から白木の杭が飛び出した。
「なんで、吸血鬼の棺から、白木の杭!?」
「そりゃ、吸血鬼の敵は吸血鬼だからだろ」
「最低じゃないすか、それ!」
極めてもっともなことを言うカッツの鼻先を、白木の杭がかすめる。勢いはそのまま、白木の杭を生やした黒い棺が、訓練場の地面を穿った。
地震とまではいかないが、地面が揺れ、またしてもギャラリーから驚きの声が漏れる。
『斧男に罵られても全然まったく完全に嬉しくない心までご主人様専用にされちゃった』
『正直、引くぜ……』
『だけどそれがいい』
もうどうしようもない。
茨の鎖を引いて棺を引き抜き、飛び上がりながら蓋の面でカッツを攻撃。
「なんとぉっ!」
慌てて、カッツがバトルアックスで迎撃した。
アベルと黒い棺の重量を、カッツとバトルアックスが支える。
一瞬の均衡。
「カッツ、避けるなよ?」
「はっ?」
意味の分からない指示に、カッツが間抜けな声を出した。
それでも、アベルを信頼しているのか。双頭の鷲の間にバトルアックスを叩き込んだまま動くことはなく――
「ひぃっ!?」
蓋に描かれた双頭の鷲。
その瞳から放たれた光線がカッツの両脇ぎりぎりの所を通過し、訓練場の地面に穴を開けた。
驚いて、カッツが尻餅をつく。
『おい、スーシャ。ギリギリじゃねえか』
『プロだから』
念話でも分かる誇らしげなニュアンス。
それにちょっといらっときて、アベルは茨の持ち手を引き、棺を地面に投げ捨ててしまった。
衝動的な行動。
しかし、スーシャには、それだけで充分だった。
『わふうお仕置き最高ご主人様も最高』
『わけ分かんねえことを……』
淡い水色の髪が目元まで伸び、同じく色素の薄い瞳を覆い隠している美少女が言っているのだ。最高に、わけが分からなかった。
「カッツ、助かった。実戦でも使えそうなことが分かったぜ」
「お、おう……」
棺は放置し、尻餅をついたカッツに手を差し伸べた。
その構図は、二人の力関係を雄弁に物語る。
万年Cランクで、ダイアラットを狩っているだけだった――と、思われていたアベル。
それが、ジョルジェほどではないが、Bランクでも実力者であるカッツを圧倒した。
ギャラリーの中で、シャークラーケンの件を聞きかじっている者は訳知り顔で当然とうなずき、そうでないものは驚きを露わにする。
「これは、計画を前倒しすべきですわね」
冒険者たちに混じって観戦していたクラリッサが、満足そうに嬉しそうに拳を握った。
アベルが黒い棺――コフィンローゼスを手にした今こそ、飛躍のとき。
アベルをBランクへランクアップさせるのだ。
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