「お主の心臓。それ自体が武器となるのじゃ」
「ええ……」
「まず、心臓をえぐり出すじゃろ?」
「死ぬじゃん……」
「吸血鬼は、その程度で死なぬ!」
生き物としてどうなんだ、それ。
そんな視線を向けられても、あっさりスルー。小さなマリーベルがツインテールを揺らして尊大に言い放つ。
「余に続いて、聖句を唱えよ」
「マジでやんのかよ……」
「唱えよ!」
「ええい、どうとでもなれだ!」
大丈夫だ。
マリーベルがこんなタイミングで騙すはずもない。吸血鬼なんだし、心臓がなくなったって、どうとでもなる。
「一言一句違えるでないぞ――『人であらんとするため、我、怪物となる』」
冷静なのか自棄なのか分からない心境で、アベルは聖句を口にする。
「人であらんとするため、我、怪物となる」
肩をはだけ、導かれるように左胸へ手を伸ばすと、ずぶりと。
泥に手を突っ込んだ程度の抵抗しかなく、赤い靄に包まれた右手が沈んでいった。
一体、体はどうなってしまったのか?
その疑問を口にする間もなく、脈動する臓器――心臓に手が触れた。
「うっひゃ……。キモイな、これ……」
「引き抜け!」
「いや、やっぱ……」
「往生際が悪い!」
「じゃ、ちょっとだけ。ちょっとだけな? 俺のタイミングでやるから、手出しすんなよ?」
できないものはできない。むしろ、できたら生物としておかしい。
軽く。本当に軽くやってみて、やっぱりダメだったと言い張ろう。
そんな計算と、かさぶたを剥がすような気分で、アベルは慎重に心臓を引っ張り――
「うおわぁっ」
――ぶちぶちと、あっさり血管から切り離され、下水道へと姿を現した。思っていたより、赤黒い心臓が。
「《剛力》のせいかあぁっっ。っというか、グロイなっ!」
あまりのことに、アベルは勢い余ってそのまま心臓を握りつぶしてしまう……が。
不思議なことに、苦しさは感じない。心臓がなくなったというのに、生きている、動ける。ただ、大量の命血が焼尽されていくのを感じた。
血の気が引いていくような感覚とは別に、心臓と、そこから噴き出した血がひとつの形を取り始めた。
「赫の大太刀。吸血鬼であれば誰でも行使しうる血制とは異なる、我が血族にのみ伝わりし、討滅の刃よ」
身巾12センチ。長さ120センチ。
強い反りがあり、真紅の刀身でありながら、冴え冴えとしたカタナ。
時折、生き物のように脈動するのは、心臓が元になっているからか。
「こいつは……」
美しい。
武器に対する感想ではないことは分かっているが、思わず見惚れてしまった。一気に命血を消費した不調さも、今だけは忘れる。
「さあ、アベル。そいつで止めじゃ」
「お、おう」
一部のドワーフが製造法を秘匿している、カタナ。
冒険者歴だけは長いアベルだったが、見たことはあっても、触れたことはなかった。
この状況で、初めての武器。果たして、きちんと扱えるのか。
戸惑いの理由はそれだけではなかったが、今がチャンスなのは動かすことのできない事実。
貧血にも似た症状で今にも意識を手放してしまいそうだったが、無理をするなら、今しかない。
バトルアックスだって、使い慣れた武器ではなかったのだ。今さらだ。
肩に小さなマリーベルを乗せたまま、シャークラーケンが吹っ飛んでいった下水道の奥へ《疾風》であっという間に移動する。支流がないのは助かった。
シャークラーケンは下水道の壁にめり込み、十本の足はだらしなく伸びていた。あの気味が悪い瞳も閉じている。斬れなかっただけで、かなりのダメージを与えていたらしい。
カッツの斧を壊した甲斐はあったと、アベルは一人うなずく。
「……こんな大物を倒すってのに、実感が湧かねえな」
なにもかもが異常すぎるのが悪いのだ。
そう自分以外のものに責任を押しつけたアベルが、赫の大太刀を振り上げた――その瞬間。
シャークラーケンが、かっと目を見開いた。
「死んだふりかよ!?」
墨を吐こうというのか、シャークラーケンが足を収縮させる。
大声を出したせいで意識が遠のき、アベルはその場に倒れそうになった。
「アベル、やらせるな!」
「分かってるよ! でも、ありがとな!」
カタナの使い方など、知らない。
「叩き付けりゃ、死ぬだろ!」
昔から、そうだ。いろいろと作戦を立てたが、結局、最後は殴って終わらせる。それこそ、冒険者の生き様。
「主神イスタスも嘉し給うだ!」
小さなマリーベルが肩から背中へ移動し、アベルが赫の大太刀を振り上げた。
天井に引っかかるが、関係ない。天井も一緒に、斬り裂けばいい。
なんとか意識を繋ぎ止めながら、《疾風》の力を使って跳躍。墨を吐こうとしたシャークラーケンの本体に、渾身の力を込めて赫の大太刀を叩き付けた。
爆散。
その瞬間、赤い光と爆風が巻き起こった。
シャークラーケンの本体に深々と突き刺さった、赫の大太刀。 間髪入れずに爆発四散し、巨体を巻き上げ、下水道の天井を突き抜け、シャークラーケンを地上へと打ち上げた。
「ああああ、あああああああぁっっ――《疾風》」
舞い落ちる瓦礫を足場にして、アベルはシャークラーケンを追う。
アベルにしては素早い決断だったが、正直なところ、それは一種の逃避行動だった。
「なかなか、しぶといの」
「それどころじゃねえよ! 俺の心臓が爆発したぞ!?」
アベルの手には、赫の大太刀の欠片すら残っていない。
終わったら元に戻せばなんとかなる。なんとかなるはず。なんとかなるといいな。戻せるかは知らないけど。
そんな希望とは言えない皮算用が、文字通り吹き飛んだ。
その事実から目を背けるため、アベルはシャークラーケンを追いかけたと言っても過言ではない。
「なにが討滅の刃だよ! 俺が討滅されてんじゃねえか!?」
「心配無用じゃ」
後ろ襟を掴むマリーベルの言葉と同時に、アベルは地上へ帰還した。
しかし、真っ黒な霧――いや、墨に覆われ、ここがどこなのかも分からない。ただ、墨を吐いたということは、シャークラーケンは、まだ生きているようだった。
『赤き刃は、正負を問わず敵の生命力を吸い取り、持ち主の傷を癒す』
『ってことは、その力で、心臓も治るから……』
イカスミの中ということで、念話に切り替えられた内容をアベルは確認する。
最低限敵に傷を負わせ続ければ、無限に攻撃が可能。
言われてみると確かに、属性石の指輪を通して、命血が満ちているのを感じる。
『うむ。理論上、永久機関じゃぞ』
『ガバガバ理論止めろよ! 俺の体だぞ!』
理論が正しかったとしても、毎回心臓をえぐり出す必要があるのは変わらない。
気軽に使うには、リスクがありすぎた。
『余は、なぜ怒られておるのか……。最近の若者の考えることは分からん。これだから、応報の世代は……』
『年齢関係ねえし、そのなんとかの世代になったつもりもねえよ!』
血の親の愚痴に雑な回答をしつつ、アベルは墨の領域から抜け出す。
どうやら、ファルヴァニアの中心。領主館近くの中央広場に出てきてしまったようだ。
まだ日が沈んだばかりということもあり、何事かと、こちらを見ている人間が大勢いる。
「やべえな。他人を巻き込みまくりじゃないか?」
幸いにして、天井の崩落――いや、地面の陥没か――に巻き込まれた人間はいないようだが、マズい状況なのは間違いない。
「俺は、Bランク冒険者のジョルジェだ。ヤバイモンスターが出た! こっから早く逃げ出せ!」
「ナチュラルに偽名を使うのう」
「偽名というか、騙りだな」
「……さすがアベルよのう」
いっそ感心したというマリーベルだが、Bランクを詐称した効果はあった。地面の陥没と、それを覆い隠す謎の霧――墨だが――も説得力に一役買い、一目散に広場から離れていく。あとは、領主の城館に詰めている兵士たちに任せればいいだろう。
だが、反対に、近づいてくる人影があった。
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