「ふむ。やはり、我が家が一番じゃな」
「いろいろ言いたいことはあるけど、同意はするぜ」
なんとかぎりぎりの所で平和裏に事態を収拾した後、アベルたちは館へ戻っていた。
かつてスヴァルトホルムの館と呼ばれ、今は、アベルたちの拠点となった館。
その応接室で、アベルとマリーベルはソファに深く体を沈め、しみじみと休憩を取っている。
足下には小さくなったクルィクが気持ちよさそうに寝そべり、さらにその横には黒い棺が置かれていた。
スーシャは、アベルから与えられるご褒美を楽しみにコフィンローゼスの中身になっていた。いつも通りだ。
それだけが原因ではないが、アベルは憂欝そうに視線を彷徨わす。
その先。煖炉の隣に甲冑――ローティアがいるような気がするが気のせいだろう。まさか、次元航行船が、持ち場を離れて館に移住などするはずがない。ありあえない。
平和だった。
ここまでは。
「封印の地に現れた、分神体。それに旦那様が軽くあしらわれたのを目の当たりにし、マリーベルお嬢様は決断を下しました」
実は、同じ応接室で、エルミアたちを相手に説明をしていたウルスラ。
男装の執事が、壁にぴっちりとはられたシーツへ視線を向ける。
「というわけで、こちらの映像をご覧ください」
目から光が射出され、白い布の上に映像が表示された。
跪き、アベルの手首から血を吸うマリーベルの姿が。
「ほう……」
「これは……」
「嬉しそうですわね……」
それを、エルミアたちが食い入るように凝視した。
もちろんと言うべきか、アベルやマリーベルから三人の表情は見えない。
だが、どんな目をしているのかは、伝わる雰囲気だけでなんとなく分かった。理解したいと思ったことはないし、分かりたくもなかったが。
「これは淫靡ですね。さすが、吸血鬼です」
ローティアの素直すぎる感想を聞き流し、アベルは錆び付いた扉のようにマリーベルへ顔を向ける。
「マリーベル、ウルスラにあんな機能あったのかよ」
「知らぬ。余はなにも知らぬ」
大きなマリーベルは、その華やかで厳かな美貌を明後日に向け、現実から目を逸らした。
別の部屋にいればいいと思ってしまうが、そうなるとウルスラが完全に野放し。事実と異なる説明があったなら、誤解を解かねばならない。
そして、非常に残念なことに、その機会が早速訪れた。
「そして、お嬢様は仰いました。“アベル、このような形になってしまったが、余も本当は汝を――”」
「うわお。愛の告白ですね~」
「言っとおらんわーーー」
「行間を読みました」
「その行間ガバガバすぎだろ!」
アベルとマリーベルが、二人揃って抗議する。
当然だ。
事実無根。完全な捏造なのだから。
「義兄さんとマリーベルさん、ちょっと息が合いすぎではないでしょうか?」
「言われてみると確かに……」
「あやしいですわね……」
しかし、その姿が、やましいことがあるゆえと思われてしまっては、どうしようもない。
「私めとしましては、分神体相手に旦那様をかばおうとした愛に溢れた神々しいお嬢様を出していない分だけましだと思っているのですが?」
「言ったら意味ないじゃろうがーーーー」
ぜえぜえと、息も絶え絶えになりながら否定するマリーベル。
結局、ウルスラを無視することはできなかった。
「というか、騒ぎすぎだろ。血の花嫁になったからって、別になぁ?」
沈静化を図るため、アベルも、説得に乗り出した。
血の花嫁。絆を結んだからといっても、あくまでそれは信頼関係……そう、言ってみれば友情に近い。
なにが変わるわけでもないと、主張した……のだが。
『ご主人様どうして自分の死刑執行書にサインするの? 趣味? スーシャに合わせてくれてる?』
『そんな趣味も、つもりもねえよ!』
アベルは息苦しさを感じていた。
今のやり取りも、念話だからできたこと。
空気が重い。重たかった。
「なんで、マリーベルまで俺のことをにらんでるんだよ……にらんでいるのでしょうか?」
「自分の頭で考えい! このバカモンが!」
マリーベルが、怒りに任せてソファに座り直した。
余程勢いがついていたのだろう。身長のわりに軽いマリーベルにもかかわらず、一人がけのソファが後ろにずれる。
「ダンピール」
ふと思いついたように、吸血鬼ハーフを意味する言葉が飛び出した。
「ダンピールが必要だと思いますわ」
「えっと……」
アベルには、必要性がまったく理解できなかった。
突然、変なことを言い出したクラリッサに反論する。
「というか、要るからって作れるようなもんじゃないだろ」
「作る……」
「いや、そこだけ切り取るの止めような!」
クラリッサが恥ずかしそうに頬に手を当てるが、そういうリアクションは本当に止めて欲しい。エルミアだけでなく、ルシェルの瞳からも光が消えるから。
「愛を持って育てた吸血鬼と人の愛の結晶」
「ああ、うん」
「その姿を見せつけてこそ、マリーベルさんが突きつけた条件を達成したことになるのですわ。いえ、なりますわ」
愛が二重になってるが、とてもつっこめる雰囲気ではなかった。
発端は、間違っていない。
なのに、結論がおかしかった。
「そして、吸血鬼同士では、ダンピールにはなりませんわよね?」
「まあ、それはそうだけど……。なんでそんな話に……?」
抱擁――マリーベルがアベルに。アベルがエルミアにしたように吸血鬼を増やすこともできるし、吸血鬼同士の生殖でも吸血鬼は生まれる。
これらの方法では、生まれるのは吸血鬼であって、狩人のようなダンピールではない。
「話は分かった」
もう議論は不要。
一同を見回し、エルミアが場を仕切るように宣言する。
「子々孫々監視させるには、まず、子孫を作らねばならない。そういうことだな?」
「いやいやいあいあ」
話の展開についていけず、途中から、ヴェルミリオ神が創作した邪神を召喚する呪文のような発音になってしまった。
「そういうことですと、子供を産んでから吸血鬼になる必要がありますね……」
「その点は残念だが、別に吸血鬼になったから駄目というわけでもないようだしな」
「その辺りは、きちんとスケジュールを管理する必要がありますわね」
「マリーベルぅ……」
「なんじゃ、余を見るな。巻き込むでない」
「なにを仰いますやら」
防衛本能的に、距離を取ろうとするマリーベル。
それを押しとどめたのは、意外にもウルスラだった。
「あのような要求を突きつけた以上、お嬢様こそ実践しなくてはならないお立場ではありませんか」
「なん……じゃと……?」
マリーベルがワナワナと震える。
エルミア、ルシェル、クラリッサ。三人の視線が、一斉に向けられたからだ。
こんな時に限って、スーシャはなにも言わない。あんな性的嗜好なのに、保身に長けていた。性質が悪い。
「いやはや。未来がある若人たちの会話って感じですね~」
代わりに傍観者に徹していたローティアが感想を口にするが、なんの役にも立たなかった。
混沌とする応接室。
それを救ったのは、クルィクだった。
「ゥワオンッ!」
一鳴きするとアベルの足をくぐって無理矢理背に乗せ、そのまま応接室を横断。
「うおおっ? クルィク!?」
扉をぶち破って、外へと駆け出していった。
「逃げおった……」
「というよりは、愛犬にかっさらわれたのではないでしょうか?」
ウルスラの指摘に、全員が――マリーベルですら顔色を変えた。
喋る時間すら惜しいと、クルィクを追いかける。
残ったのは、男装の執事と、鎧と、棺だけ。
「やれやれ、世話が焼けますね」
「焚きつけただけでは、ないですか?」
「火を熾さないと、お湯も沸きませんので」
「なるほどですね」
ローティアは、よく分からないたとえで納得した。恐らく、本気で咎めるつもりはないのだろう。
それが伝わったのか、残されたウルスラは黒い棺――スーシャへと念話を飛ばす。
『スーシャ様は、そのままでよろしいのですか?』
『最後にはスーシャの所に戻って来るから』
ウルスラは答えず、一礼して応接室を出た。
主人たちが戻ったときに備え、お茶の準備をしなければならない。
廊下へ出て厨房へと歩く男装の執事。
表情を変えないウォーマキナは、賑やかな将来を想像してか、微かな笑顔を浮かべていた。
ファルヴァニアは、今も昔も冒険者の街だ。
東には、スカイドワーフの遺跡群。
西には、数多のモンスターが闊歩する大平原。
南には、貴重な薬草・毒草が繁殖する大森林。
北には、巨人の坑道を抱える山岳地帯。
冒険者が活動するにふさわしい地に囲まれたファルヴァニアに、冒険者が集まるのは必然だった。
そのファルヴァニアに、特筆すべき冒険者がいる。
当初はうだつの上がらない、万年Cランクの冒険者だった。
ところが、吸血鬼の遺産を偶然発見したことで才能が開花。続けて、巨人の坑道の真実を突き止めた。
これは当時表沙汰にはできなかったが、黒い棺を武器にし、立派な体格の狼と複数の美女をパーティメンバーにした彼は、徐々に目立つ存在になっていった。
その後も、大森林の妖樹騒動、遺跡群の機動兵器事変、大平原からの夜間大襲撃を食い止めるなど活躍を見せる。
しかし、あるとき、唐突に自らが吸血鬼だと告白をする。
当時、ほとんど伝説上の存在になっていたが、吸血鬼への忌避感は強い。それなりの騒ぎになった……のだが。
「まあ、あいつはあいつだろう」
という自然に発生した一言で沈静化したという。
同時に、社会の隅に隠れていた吸血鬼やダンピールの地位向上運動も始まるのだが――
「ただの成り行きで言っただけ」
――と、謙遜するだけだった。
冒険者として数々の功績を挙げ、ファルヴァニアの危機を救い、同胞をも救ったアベル。
今もなお、彼は冒険者として活動している。
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