クラリッサとの面談を終え、冒険者ギルドを後にしたアベルたち。
一歩通りに出た瞬間、マリーベルがマントの中で、アベルへボディーブローを見舞う。
何度も、何度も、何度も。
『アベル、汝、わざとじゃろ? わざと変な方向に進んどるんじゃろ?』
『いきなりなんだよ。森からゴブリンかよ』
森から突然ゴブリンが出てきて驚いた――という慣用句を持ち出して、アベルがマリーベルをとがめる。
なにやら怒るかあきれるかされているようだが、さっぱり理由が分からない。
『とりあえず、怪しい人みたいだから、殴るのは止めろって』
『まったく……。ほんに、度しがたい』
それが善なる行いだと信じて対話を進めたというのに、こんなことになるとは思わなかった。
失望とともに、マリーベルは拳を引いた。
行き違いというのは、本当に恐ろしい。
あの場で、アベルとクラリッサのすれ違いを指摘することは簡単だ。
だが、目の前で、「クラリッサはアベルを好いておるんじゃぞ」などと言えば、クラリッサ本人が否定しかねない。
そうなったら、もっとこじれるに決まっている。
『なにに怒ってるんだか知らないが、俺は前向きだぜ? 家を買う、そして、自分の目標を見定める。やる気満々って、こういうことなんだな』
『そんなこと考えておったのか。だから、新生活か……』
『順番通りだろ? おかしいことはなにもないだろ?』
おかしくはない。
言葉が足りないだけで。いや、こういった問題の場合、わざわざ言葉にして確認したりはしないのだろうか。それが普通なのか。
そもそもだ。
なぜ、恋愛経験どころか、人を好きになったこともないマリーベルが、我が子とはいえ、他人の色恋に心を砕かねばならぬのか。
マリーベルは泣きたくなった。主神にこてんぱんに負けて封印されても、こんな気分になったことはなかった。
『アベル! 酒じゃ! 今日は飲むぞ!』
『ほおう。マリーベルのわりに、話が分かるじゃねーか。適当な店で、酒買って帰るか!』
『高いのじゃぞ! 水で薄めたワインは許さぬ』
『おうよ』
親の心子知らず。
飲みながら、アベルとクラリッサのすれ違いを懇切丁寧説明してやると意気込んだマリーベルの態度を、一緒に飲む相手ができたと、アベルは単純に喜んでいた。
「善を為すのに早いも遅いもないが、急ぐに越したことはないってやつだな」
主神の教えをアレンジするほど、上機嫌。
アベルは、意気揚々と冒険者ギルド近くに最近できた酒場へ入り――
「あれ? 進めねえ?」
――入れなかった。
見えない壁に阻まれているかのようだ。どれだけ押しても跳ね返される。
『アベル、この店に入るのは初めてか?』
『ああ。ちょっと前にできたんだが、』
『であれば、『孤独の檻』の呪いであろう。忘れるでないわ』
「あー。あー、それか」
思わず、念話だけ口に出してしまった。それくらい、意外というよりは、すっかり忘れていた。
『仕方ない。河岸を変えるか』
酒が手に入ればどこでもいいのだ、どこでも。
マリーベルの気が変わらない内にとアベルは踵を返……そうとしたところで、酒場の中から声をかけられる。
「……奇遇だな、アベル」
「ジョルジェ……に、カッツにルストまで」
すべて顔見知りだが、すべて揃うのは珍しい。
しかも、アベルが身分を騙ったジョルジェ、武器を借りたカッツ、シャークラーケンから助けたルストと、今回の関係者が揃っていた。
「そんなところにいないで、入ってきたらどうだ?」
「あ、ああ……」
すっと、体が軽くなる感覚。
恐る恐る一歩踏み出すと、当たり前と言うべきか、なんの邪魔もなく酒場へ入れた。見えない壁など最初からなかったのではないかと、錯覚してしまいそうになる。
『知り合いがいるケースは、想定してなかったんだが……』
『むむ。ギルド近くの店であれば、致し方なしか』
さっきは変にテンションが上がったため、酒だなどと言い出したが、本当に飲みたかったわけではなかった。普通に果実水のほうが美味しい。
冷静になったマリーベルが、アベルへ簡単に許可を出す。
『このまま帰るのも不自然であろう。じゃが、羽目を外しすぎるでないぞ』
『悪いな。埋め合わせはするぜ』
念話のやり取りを終えたアベルは、何事もなかったかのように、ジョルジェたちが待つテーブルへと近づいていく。
まだ宵の口ということもあり、酒場は賑わいを見せている。
その中を分け入って、軽く挨拶をしながら遠慮なく席に着いた。
「顔を合わせるのは、久しぶりだな。元気だったか?」
「それは、こちらの台詞だな」
肩を叩いて再会を喜ぶアベルに対し、ジョルジェ眉ひとつ動かさない。落ち着いた態度だったが、口元には皮肉げな微笑が浮かんでいた。
「俺が無事なのは、ギルドから伝わってたんじゃ?」
「見ると聞くとじゃ大違いと、いうことだ。俺は直接見ちゃいないが、こっちの二人はシャークラーケンの強さを肌で感じてるんだからな」
綺麗に刈り上げられた赤茶色の髪を撫でながら、軽いため息をつくジョルジェ。
怒っているとまではいかないが、少しだけ、アベルの反応を責めている雰囲気があった。
それは、ジョルジェがカッツやルストよりも冒険者としてキャリアが長い――先輩として対応をしているというのもあるだろう。
細身だがしなやかな筋肉から繰り出される二刀の威力は、Bランクでも、Aランク寄りの実力者と呼ばれるにふさわしい。
ファルヴァニアの冒険者ギルドでも、一目置かれる存在だ。
だが、アベルにとっては、冒険者仲間以外の何物でもない。
断りも入れずに、ゆでた豆を口に放り込みながら、緊張感の欠片もなく言う。
「だったら、宿に来てくれれば良かったじゃねえか。報告書が完成するまで、ずっと暇だったんだぜ?」
「なるほど。ガードされていたのは、報告書のためか」
「……ガード? なんの話?」
「誘おうとしたけど、牽制されたという話だな」
詳しく聞いても、要領を得ない。絶妙な塩加減のゆで豆を味わいながら、アベルは首をひねった。
『へたに口裏を合わせないよう、ギルドが面会を制限していたのではないか?』
『なるほど。クラリッサがまとめたから、意味のない処置になっただけか』
まさか、報告書の作成者が積極的に隠蔽に走るとは思ってもいないに違いない。
となると下手なことは言えないので、曖昧にうなずいておく。
「で、今日はなんの集まりなんだ?」
「アベル被害者の会……。いや、冗談だ。シャークラーケンとかいうモンスターの件で、二人が落ち込んでたんでな。こうして誘った」
注文を取りに来たウェイトレスにエールを同時に二杯と鶏の串焼き注文したアベルは、ポーカーフェイスなジョルジェと、うつむいたまま喋ろうとしないカッツとルストを見回す。
言われてみると確かに、二人とも気分が沈んでいるようで、酒もあまり減っていないようだった。
しかし、アベルには理由が分からない。
「斧は弁償したし、怪我も治ってるだろ?」
運ばれてきたエールのジョッキを受け取り、一杯目を一気に飲み干す。そうしてから、本当に心当たりもないと、疑問をぶつけた。
訓練生にも、被害者はなかった。
単純にすべて元通りとは言えないが、同時に、落ち込むようなこともないはず。
それがアベルの本心だと気づき、あのときアベルが斧を奪ったカッツが、おずおずと口を開く。
「おっさん……。いや、アベルさん……」
「いつもおっさん呼ばわりされてるのに、変に下手に出られると不気味だな」
「不気味って、そりゃねえだろ。人が謝ろうとしてるのによ」
普段のカッツなら、逆に怒っても不思議ではない状況。にもかかわらず、表情にも声にも覇気が感じられない。
筋骨隆々として強面のカッツがそうしていると、不気味だと言ったばかりのアベルの対応も優しくなる。
「謝るんなら、俺のほうだろうよ。お前の武器を壊しちまったし」
「なんでだよ。アベルさんのお陰で誰も死ななかったし、冒険者続けられるんだろ?」
最終的な報告書はさっき提出されたばかりだが、大まかな内容は伝わっているようだ。
ならば、細々したことを言う必要はない。
「別に、そんな大したもんじゃねえよ。自分のためにやったことだ」
「でも、俺は逃げ出したんだ。援軍を呼ぶって言い訳で、結局、逃げ出したんだよ」
「じゃあ、あのまま助けも呼べずに、死んだほうが良かったか?」
「ああ。こんな情けない気分になるぐらいなら……」
「止めとけ、止めとけ。下手に生き返ったりしたら、もっと辛えことになるぞ」
マントの中のマリーベルが、やれやれと首を振っている気配がした。
言われたカッツは、やっちまったと言わんばかりに押し黙り、ジョルジェもなにも言わない。
事情を知らないルストだけが、視線を忙しなく移動させている。
微妙な空気。
「まあ、なんだ。肉食え、肉」
それをまったく読むことなくアベルは、注文した鶏の串焼きを無理矢理カッツの口にねじ込んでやった。
「毎日、肉食って酒飲んでりゃ、そんな悩みなんて吹き飛ぶってもんだろ」
「むぐががががが」
まあ、これでいいだろう。
寝起きの野獣じみた声を出すカッツから、アベルはルストへと視線を移動させた。
「ルストも、似たようなことを考えてたのか?」
「当たり前じゃないですか。結局、アベルさんに全部押しつけて……」
「そこは、まあ、適材適所だろ。普通は、あんなヤバイモンスターに勝てやしねえし」
「アベルさんは、倒したじゃないですか」
「俺だって、切り札がなければ、あんな危ない橋を渡ることはなかったって」
『うむ。赫の大太刀の力よな』
『それは別だ、別。吸血鬼の力で、どうにかなると思ってたんだよ』
まさか、二度も自分の心臓を握りつぶすことになるとは思ってもいなかった。事前に分かっていたら、余計な手出はしなかったはずだ。
『どうだかのう』
『……するわけねえだろ』
急に黙ったアベルに、ルストとカッツが不安そうな表情を浮かべていた。
それに気づいたアベルが、二杯目のエールをあおりながら続ける。
「結局、収まるところに収まったんだよ」
「でも、僕たちのせいで、アベルさんの貴重な発見が……」
「ああ。まあ、それは別にな」
嘘だし。
などとは言えないため、アベルは言い訳を考え……。
アルコールで滑らかになった舌と脳が、アベル自身思ってもいなかった言葉を紡ぐ。
「吸血鬼の財宝がダメなら、また違うネタを探すさ」
軽く、なんでもないかのように発せられたアベルの言葉。
あまりにも意外だったのだろう。
カッツは驚きに目を丸くし、ルストは感動に頬を紅潮させ、ジョルジェすら感心したように手を止めていた。
『なんじゃ、後輩にはいい格好しおって』
『ばっか、おめえ。こうでも言わないと、収拾つかねえだろ』
『本当にそれだけか? ん?』
『うるせー。というか、マジ母親みてえな追及やめろよな』
そんな念話を知る由もなく、感動の面持ちをしたルストが興奮気味に立ち上がる。
「アベルさん、じゃんじゃん飲んでください! 今日は、僕が出します」
「てめえ、ルスト。なに言ってやがんだ。ここは、俺が全部持つ場面だろ」
「だって、僕の命の恩人ですよ? カッツさんは、あんまり関係ないんじゃないでしょうか?」
「アベルさん相手に、格好付けようとしてんじゃねえよ。そういうことは、自分のハーレムでやりやがれ」
「……それ今、関係あります?」
ルストの逆鱗に触れてしまったようで、二人が至近距離でにらみ合う。
それを肴に、アベルとジョルジェは酒杯を重ねた。
「若いってのはいいな」
「嫌味かよ、ジョルジェ」
「いや、本音だよ。アベルだって、まだ若い……。いや、久々に会って驚いたが、なんだか動きが若くなってないか?」
「分かるか? 実は、吸血鬼になったんだぜ」
「吸血鬼狩人が吸血鬼になる……か。ぞっとしない話だ」
全面的に冗談だと受け取って、ジョルジェがばかばかしいと笑う。
気が気でないのは、マリーベルのほうだ。
『バカもんッ。自分から尻尾を出してどうするんじゃ!』
『こういうのは、ちょいちょい本当のことを混ぜたほうがいいんだよ』
念話で答えながら、心配のしすぎだとアベルは笑った。
酒で、気が大きくなっているのかもしれない。
「じゃあ、こうしましょう。ここは、僕が全部出します。その代わり、二件目はカッツさんにお任せします」
「おう。任せておけ。いい機会だ、ルストに女を教えて――」
「――見つけました」
突然聞こえてきた女性の声に、ルストのパーティの誰かに聞かれたかと、カッツは思わず身を固くした。
だが、それは杞憂だった。
店の入り口で、背伸びをしてこちらを探していたのはルシェル。
美しい金髪を肩口辺りで切りそろえた魔術師の少女が、とととっと、小走りでこちらへ近づいてくる。
その仕草は愛らしくアトラクティブで、酒場の喧噪が一気に遠くなった気すらした。
「義兄さん、探しましたよ」
「……約束なんか、してなかったよな?」
「約束がなくては、会いに行ってはいけませんか?」
少しだけ拗ねたような。
しかし、アベルに会えて嬉しいと本心を隠そうともしないルシェル。
エルフ特有の美貌に恋する乙女のような表情が重なり、パーティに美少女が揃っているルストですら、見とれてしまっている。
「いけなくはないけど……。なんか用があるのか?」
「義兄さん、この後、付き合ってもらえます?」
エルフの元義妹はアベルを誘った。
断られるなどとは一欠片も思っていない、妖艶な微笑をたたえて。
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