黄金を溶き流したような明るいブロンドの髪。
最高級のサファイアをも霞ませる瞳。
絹よりも滑らかで、きめの細かい肌。
飛び抜けて秀麗な相貌。
紙の上で再現しろと言われたなら、芸術神ヴェルミリオでも、筆を投げることだろう。
外見ひとつで、彼女は自らがただでもないことを示した。
吸血鬼たちのただ中に出現したというのに、完全な自然体。
前触れもなく、見事な造型のロングソードを抜き払った。
彼女は、その所作ひとつで場を支配した。
誰も、目を反らすことが出来ない。
同時に、直視し続けることがはばかられる。
圧倒的な魅力。
それは、外見の美しさだけで生まれたものはない。
高潔な魂と、善を奉じる生き様と、限界まで鍛え上げられた剣技と。
そのすべてが合わさって構成されているのだ。
「イスタス神……」
夢遊病者のようにふらふらとしながら、マリーベルがその場に跪いた。
衣服が汚れるのも厭わぬ。いや、そんなことを意識していない。そうしなければならないから、そうしたという動作。
吸血鬼の王を自称し、自信に満ちあふれていたマリーベルの面影は、そこには存在しない。
それでも、まだ、ましな反応だった。
スーシャもウルスラも呆然として動くこともできず。
アベルに至っては、まったく理解が追いつかず、ただの置物になっていた。
マリーベルの心の底からの礼を受けた彼女は、しかし、それを真っ向から否定する。
「私は、イスタス神などというものではない」
「いや、しかし……」
マリーベルは露骨に動揺した。
こんなに美しい存在が、いくつもいたらたまったものではない。そう、吸血鬼の王の顔に書いてある。
「私のことは、ヴァルとでも呼ぶが良い」
「は、はあ。ヴァル様」
「ヴァルだ」
地面に突き刺したロングソードの柄に両手を添えながら、彼女は有無を言わせぬ口調で言った。
「実際に、神そのものではないからな」
「やはり、分神体……」
「うむ」
思わずといった調子で出たウルスラのつぶやきに、彼女はその通りだとうなずいた。
まさか、返事があるなどとは夢にも思わず。男装の執事は目に見えて周章狼狽する。
珍しいというよりも、あり得ない光景。
「なあ、マリーベル。分神体って、なんだ?」
だが、アベルの一言で、緊張感は吹き飛んだ。
「アッ、ベルッ!? 汝、な、なにをぅ!?」
「文字通り、神の分身だな」
神の写し身。文字通り、天上に住まう神々の分身。
力が制限されることを除けば、神そのものと言っていいだろう。
だが、実のところ姿も性格も同じくしなければならないという制限などない。見窄らしい乞食のような老人が、竜神バハムートの分神体だったという伝承も残っている。
「まあ、私自身、そこまで理解しているわけではないのだがな」
「ああ。なんか思い出してきた。……って、ことは。ええええ?」
かなりの周回遅れで、アベルがようやく驚愕した。
「なんだって、主神がこんなところに!?」
「ヴァルだ」
「え、あ、はあ……。ヴァル様」
「ヴァルだ」
先ほどとほとんど同じやり取りを経て、彼女は建前を押し通した。
「いろいろあったせいで、少し制度が変わってな」
「は? 制度?」
マリーベルはひざまずき、ウルスラは自分を見失ったまま。
スーシャは、矢面に立たすわけにはいかない以上、アベルが相手をするしかない。……と思っていたら、いつの間にかコフィンローゼスに戻っていた。
逃げた。
いい。いいのだが、微妙に納得がいかない。
「その前に、封印が緩んだ件に関しては、申し訳ないと思っている」
そんなアベルの不満を余所に、彼女は率直に頭を下げた。
これに慌てたのは、マリーベルだ。
「それは、あなた様の罪ではありますまい」
「それでも、滅殺ではなく封印して贖罪と改心の機会を与えたいと願ったのは私だからな」
あくまでも責任は自らにあると、彼女は譲らない。
高潔で、そして、見方によっては傲慢でもあった。
「ということは、マリーベルが封印されたのも、シャークラーケンが出てきたのも……」
「殺したほうが、良かっただろうか?」
「いや、とんでもな……ありません」
慣れない敬語を使いつつ、アベルはぶんぶんと首を振った。
「そうしてくれたお陰で、俺は生き延びられたようなもんだし。むしろ、ありがとうございました」
「ちょっ、アベル!? ちょっと、汝、黙っておれ!?」
『このご主人様すごい さすがスーシャのご主人様』
「ふはは。礼を言われるのは、いい気分だ」
彼女は豪快に笑った。
神と言われて想像する威厳や厳粛さは感じられないが、大物らしさは感じさせる。
直接面識のあるマリーベルと違って、アベルにとっては親しみやすさすらあった。
「しかし、封印も長く使えばがたはくる。そこで、制度を変えたわけだ」
「……どういうことでしょうか?」
「封印から脱しようという意思に反応し、私たちが出張ることにした」
「えええぇぇ……」
「今回が、その第一号だ」
そう言われても、とても喜べない。
――というわけではなかった。
「なんだ。安心したぜ」
「アベルぅぅぅぅ!?」
「だって、そうだろ? マリーベルは、ちゃんと改心してるじゃねえか」
「……アベル」
ひざまずいたままのマリーベルが、頬を紅潮させる。
瞳は潤み、言葉にならない。アベルの言葉は、極限状況に投げかけられた蜘蛛の糸。普段なら、こうはならなかっただろう。
「魔王と呼ばれたマリーベル・デュドネが改心か。それは良いことを聞いた」
「本人も、ヴァル……イスタス神に憧れて、良いことをしたいって言ってましたし」
「詳しく聞かせてもらいたいものだな」
アベルは、マリーベルとの出会いから、シャークラーケンを倒すまでを。
それから、アベルの人間関係において、マリーベルがどれだけ心を砕いたか。
加えて、スーシャを同族に迎え入れるために頑張ったかを語った。
とても上手いとは言えず、思い出しながらつっかえつっかえで。人間関係においては事実誤認もあったが。
それでも、心を込めて語り終えた。
「なるほど、なるほど」
途中、一切、言葉を差し挟むことなく。マリーベルにも、差し挟ませず。彼女は、腕組をしながらアベルの話を聞き終えた。
「それが真実であれば、解放しても構わない――」
「じゃあ!」
「――が、封印……隔離されていることで、敵意から守られる。そういう側面もあると分かった上で、解放を望むのか?」
マリーベルをここから出す。
それだけの単純な問題ではないと、彼女は言った。
「それは……」
「よい、アベル。ここから先は、余が話すべきであろう」
ひざまずいたままのマリーベルが、決意とともに顔を上げた。
その視線の先には、彼女がいる。
「ご心配いただいていることは、とても嬉しく思います」
それは、心からの言葉。
真意が伝わるよう、マリーベルは決して目を逸らさない。
「それでも、過去と向き合うことをお許しいただきたく」
「許そう」
一瞬の遅滞もない返事。
即断即決にしても、迷いがなさ過ぎた。
「やったな。これで、大手を振って出て行けるじゃねえか」
――とは、いかなかった。
「話は変わるが、私の夫も気の多いほうでな」
「本当に変わった! っていうか、ホワイト・ナイト神、法と正義の神様じゃないのかよ!?」
「それはそれ、これはこれだ。私たちも、元々は人間だったのだ」
昔を懐かしむような光を、サファイアの瞳に浮かべ、彼女はふっと微笑んだ。
「とはいえ、別にそのことが不満というわけではないぞ。私が一番だと、ことある毎に言ってくれているしな」
「それ……」
騙されているんじゃないか。
その言葉は、なんとかぎりぎりの所で飲み込めた。間違いなく、アベルの人生で、最大最高のファインプレーだ。
「だが、冒険者アベル。まだ、私の夫の領域には達していないと見える」
「神の領域とか、遠すぎる!」
「封印を解くと言ったのは、証言が正しければの話だ」
話を聞いただけでは、信じるに足りないと彼女は腕組を解いた。
「だから、先ほどの言葉が真実かどうか。剣に聞くこととしよう」
彼女は、地面に突き刺していたロングソードを抜いて、構えを取った。
甘く、隙だらけ。アベルでも、容易く打ち込めそう。
「アウェイク!」
にもかかわらず、アベルは強烈な悪寒に襲われ、コフィンローゼスを呼び寄せた。
茨の鎖が棺から伸びて、アベルの腕に絡みつく。
「面白い武器だな」
いつの間にか、彼女は剣が届く距離にいた。
そして、無造作に軽く剣を振るう。
剣速は遅く、力が入っているようにも見えない。
だが、避けられない。
むしろ、吸い込まれるように。こっちから当たりに行ったような錯覚に見舞われる。
『スーシャがなんかやってるわけじゃないよな!?』
『違う 相手がすごすぎるだけ』
なんとかコフィンローゼスをロングソードと体の間に差し出し、直撃は避けた……が。
「……は?」
剣速は遅く、力が入っているようにも見えない。
なのに、ロングソードが棺に食い込んだ。
「なかなか堅いな」
レヴナントの攻撃も受け止め。
エレメンタル・リアクターの暴走にも傷ひとつつかず。
絶望の螺旋の眷属すら撃退したコフィンローゼス。
難攻不落の城塞に、大きな傷が穿たれた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!