ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十七話 ロートル冒険者、次元を越える

公開日時: 2020年9月12日(土) 18:00
更新日時: 2021年10月18日(月) 19:05
文字数:3,937

「それでは、皆様。ご武運をお祈りいたしております」


 スマートなスーツに身を包んだウォーマキナの執事が、華麗に一礼する。

 その背後には、両開きの扉。そこだけ切り取れば、屋敷から出かける主人を見送ろうとしているかに見えるが、もちろん、違う。


 ここは闇に包まれた路地裏の奥で。

 扉の先は、どんな危険があるともしれない『スヴァルトホルムの館』につながっている。


「ウルスラ、後は頼んだぞ」

「万事ぬかりなく」


 数百年に渡って心を通わせてきた執事に、これ以上の言葉は必要ない。

 しかし、ウルスラにとっては、また別だった。


「アベル坊ちゃまも、マリーベルお嬢様をよろしくお願いいたします」

「ああ。任せろとは言えないけど、最大限の努力はする」


 アベルの頼りないが正直な言葉に、ウルスラは微笑んだ。


「なにを仰いますか。命血アルケーを補充して、つやつやしているではございませんか」

「それ、指摘する必要あったか!?」


 必要以上に大きな声になってしまった。

 それは、背後から姉妹のプレッシャーを感じたからではない。ないはずだ。反射的なものに違いない。


「これは失礼を」


 アベルの焦燥など知らず、たおやかに頭を下げた男装の執事が、謝罪の言葉を述べる。


「つやつやしているのは、吸われたほうでございましたね」

「ノーコメントだ」


 喋れば、そこから突き崩される。肯定も否定もせず、しかし、アベルはウルスラから目を逸らした。


「確かに、クラリッサの血色はいいように感じられるな」

「おかしいですね。私のときは、そこまでの効果はありませんでしたが……。まさか、相手によって違いが……」


 ルシェルが、どういうことなのかと呪文書をぎゅっと抱きしめた。特に意味はないのか、それとも、呪文書を誰かに見立てているのか。

 真相はルシェルにしか分からないが、その光景を見てアベルは背筋が震えた。


「なあ、マリーベル。吸血鬼ヴァンパイアって、風邪引くのか?」

「底抜けのアホウなら、可能性はあるかもしれぬな」

「そうか……」


 良かった。この悪寒は風邪のものだったらしい。決して、得体の知れない予感によるものではなかったのだ。


「まあ、悪いことではないのですから良いではありませんか。それよりも、そろそろ出発すべきではありませんの?」


 腰砕けになっていたときの蕩けた表情は消えてなくなり。今は、活力に満ちあふれているクラリッサ。

 そんな彼女が、朗らかな笑い声をあげながら、先を急ぐように促した。


 正論だ。

 正論だが、勝者から出る正論ほど怪しいものはない。


「そうだな。行くぞ!」


 それに乗っかる男も同じ。


「……今は、切り替えるとするか」

「そうしましょう。この後また、検証する機会はあるでしょうからね」


 とはいえ、エルミアとルシェルも本質は見誤らず、これ以上は話を引きずらなかった。


「……吸血鬼ヴァンパイアの生態って、まだまだ謎が多いぜ」

「ふうむ……。まあ、良かろう。確かに、『スヴァルトホルムの館』が先決じゃな」


 マリーベルも意識を切り替え、アベルの肩の上で執事へうなずきかけた。


「承知いたしました」


 主人の意を受け、ウルスラが扉を開いた。


 その向こうには、風景という意味ではなにもない。

 ただ、曖昧模糊とした虹色の光が渦巻いている。


「これが噂の次元門ゲートってやつか」


 冥府へ天上へ、あるいは、別の世界へ続いていることもあるという次元門ゲート。冒険者でも、実際に目にした経験があるのはほんの一握り。その先へとなると、伝説や怪しい自慢話でしか語られることはない。


 それを前に、アベルは柄にもなく目頭が熱くなってしまった。年を取ると、簡単に涙が出てくるから困る。


「義兄さん、ここがスタートですよ」

「……ああ、そうだな」


 ルシェルに励まされ、アベルは顔を上げた。

 昂然と胸を張ったまま、先陣を切って次元門ゲートをくぐる。


 その後ろを、三人が決して離されないようについていった。





 最初に感じたのは、二日酔いのような酩酊感。悪酔いをしたかのような気持ち悪さに、アベルは思わず顔をしかめる。


「これが噂の転移酔いですか……」


 続けて出現したルシェルも閉口するが、表情に出すのはなんとかこらえた。

 乙女の意地だ。アベルの前で、みっともないところは見せられない。


 そしてそれは、エルミアもクラリッサも持ち合わせていたが、すぐに動くのは辛そうだった。アベルと違って、二日酔いに慣れていないのだ。


「ほう。本当に消えおった」

「次に出るのは……。確か、半日後って話だったな……」


 一人元気なマリーベルが、宙に浮かびながら次元門ゲートがあった場所を見つめていた。

 そう、すでに次元門ゲートは跡形もなく消え去っている。ウルスラがあちらに存在する限り消滅はしないが、半日に一度現れては消えるというサイクルで稼働すると説明を受けていた。


「しかし、館の探索なら半日もあれば余裕って思ってたんだけどな」

「まさか、森の中とは思わなんだのう」


 扉をくぐると、そこは鬱蒼と生い茂った森の中だった。館など、影も形もない。


「まさか、南の大森林じゃ……って、太陽!?」


 時間の流れが違うのか、『スヴァルトホルムの館』への次元門ゲートをくぐった先は、昼間だった。

 木漏れ日が下生えを照らし、木々の隙間から煌々と照る太陽が見える。


「落ち着くのじゃ。どうやら、太陽は太陽でもレプリカのようじゃな」


 人工の太陽であれば、精霊王の呪いの適用外。

 スヴァルトホルムの一族が用意したのであれば、それも当然だ。


「《燈火ライト》のような理術呪文で作り出した魔法の明かりと、原理的に同じということですか」

「焦ったぜ。俺たちの冒険が、始まった瞬間終わるところだった」


 ようやく復活したルシェルへ苦笑を向ける……というより、苦笑を浮かべるしかないアベル。それを、思い詰めたような表情で直視していたエルミアが、軽く息を吐いた。


「まずは、この森を抜けて『スヴァルトホルムの館』とやらを目指す必要があるわけだが……」

「どの方向に行くべきかも、分かりませんわね」

「そもそも、この森、この世界がどの程度の広さなのでしょう。人工の太陽というだけで規格外すぎて、判断できません」

「長期戦を覚悟すべきだろうな」


 野外活動のプロフェッショナルであるエルミアの言葉に、異論は出なかった。


「では、まずは野営地を確保しよう」


 野営に適した場所、というのは適度に開けていて水源に近い場所だ。ただ開けているといっても完全に樹木のない場所では意味がない。


「川か池か……。ここでも、あることを祈るしかないな」

「備蓄はありますし、最悪、呪文で用意もできます」

「この森が自然のもので、生き物がいるのなら必ずありますわ」


 クラリッサの言葉に勇気づけられたアベルが、ふと思い出したように言う。


「一応、吸血鬼ヴァンパイアの能力みたいなので――」

「――血制ディシプリンじゃ」

「それで、周囲を探索もできるけど、どうする?」


 アベルの提案に、エルミアは考え込む素振りを見せる。

 だが、それも長いことではない。


「魅力的な提案だが……アベルへの負担は、どの程度かかるのだ?」

「血はともかく、処理に体力は結構使うかな」


 なにしろ、《霊覚オースペック》の血制ディシプリンはすべての情報を拾い、それを全部まとめてアベルへ送ってくる。

 もっと習熟すれば別だろうが、それを処理するのは大変の一言だ。


「そういうことなら、本当に必要なときに備えて温存だな」

「となると、わたくしたちはどうしますの?」

「歩くんだ。いい冒険者というのは、歩く冒険者のことだぞ」


 ルシェルも、森の中だけあって特に異論はないようだ。

 ダークエルフもまた森の民ではあるが、都会育ちのクラリッサにはいささか酷かもしれない。


「いいえっ。今のわたくしは絶好調ですわっ!」


 だが、そのハンデを無理矢理はね除けた。今のクラリッサには、アベルとの血でつながった絆がある。ならば、多少の困難など物の数ではない。

 少なくとも、クラリッサはそう信じている。


「その意気だ。では、私が先頭に立とう」

「なら、俺は殿だな」


 慣れないが、ハルバードを掲げてアベルが立候補する。


「頼む。その間に、クラリッサとルシェルが挟まる形でいこう」


 昔を思い出しているのか。エルミアがしとやかで優美に微笑んだ。


「……わかりました」

「……了解しましたわ」


 あうんの呼吸を見せるエルミアとアベルに、残る二人が不承不承といった風情でうなずく。言いたいことはあるが、隊列自体に反論はない。


 まずは野営地を求めて歩き始めて、小一時間ほど。

 不意に、アベルが思い出したように口を開く。


「そう言えば、マリーベルは館の方向とか分かんないのか? なんか、吸血鬼ヴァンパイアパワーみたいので」

吸血鬼ヴァンパイアをなんじゃと思っておるんじゃ。余ができたら、汝もできることになるんじゃぞ?」

「じゃあ、ちょっと上を飛んで見回してみるとか」

「あまりアベルからは離れられぬのじゃがな……」


 そうは言いつつも、あてどない探索を嫌ったのだろう。実際、今まで水場はおろか、動物の痕跡すら発見できていない。

 ツインテールにした黒髪を幟のように風に流しつつ、マリーベルが上空へと飛んだ。


 5メートルも離れた頃だろうか。


 頭上と樹上を、黒い影が通過していった。


「上からなにか来るぞ!」


 素早く矢をつがえたエルミアの警告を受け、アベルたちは一斉に散開する。


「マリーベル!」

「まったく、無礼な!」


 それはマリーベルも例外ではなく、声以外では威厳をかなぐり捨ててアベルの肩へと一目散に舞い戻った。


 その直後、ドォォンッと地響きを立てて、黒い獣が降り立った。アベルたち全員が乗ってもびくともしそうにない、間近で見ると小山のような四足獣。


 アベルたちの前に現れたのは、巨大な狼だった。


 周囲の木々に負けない大きさの獣を、狼と呼んで良いならば。


「確かに、犬を飼いたいって言ったけどよ……」


 違う。思っていたのと違う。

 まるで自分の人生みたいだと、アベルは自棄気味に笑う。


 もう、嘆きはしなかった。

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