ロートル冒険者、吸血鬼になる

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藤崎
藤崎

第十話 元妻は血の花嫁を望む

公開日時: 2020年9月10日(木) 06:00
文字数:3,402

「いやいやいやいや」


 エルミアの真摯な願いを、アベルは両手を振ってはね除けた。焦りながらで、余裕もなかったが、認めて良いものではない。


「あれか? あのとき俺がルシェルの血を吸っちまったことに責任を感じてるんだったら――」

「――それもあるが、それだけではない」


 かぶせ気味に否定するエルミアは、真っ直ぐにアベルを見つめていた。


「確かに、そのことは非常に気になっているが」

「特に後遺症とかはなかったけど、そりゃ、心配だよな……」

『また、びみょーにすれ違っておる。びみょーに』


 明後日の方向に飛んでいった展開に放心状態だったマリーベルが、ようやく意識を取り戻した。

 取り戻したが、事態は、すっかりマリーベルの制御を離れていた。


「だが、吸血鬼ヴァンパイアには、血が必要なのだろう?」


 その程度の反応は、事前に織り込み済み。

 エルミアに引く様子はなかった。


「だからって、エルミアが俺に血を提供する必要はないぞ。実は、モンスターから命血アルケー――血を補充する方法だってあるんだ」

「そうだったのか?」

「ああ。だから心配する必要はない――」


 きっぱりと断った。

 そのつもりだったが、思いもしない方向から不意打ちがくることまでは、予想できなかった。


「だけど、さっきから時折辛そうな顔を見せていたではないか」

「……え?」

「我慢していたのだろう?」

「え? あ、はいぃ?」

「ふ、夫婦だったのだ。それくらい分かるぞ」


 知られていた。見抜かれていた。


『ああああああああああああ』


 言葉には出せず、アベルは念話で絶望の声を響かせる。


『それを余に聞かせてどうするつもりじゃ!』


 聞かされたほうは、たまったものではない。

 にもかかわらず、念話で返す優しさが、マリーベルには存在した。


「それに、この前のような非常事態がいつ何時起こるか分らないだろう?」


 エルミアにとっては、大したことではない。

 むしろ、求められて嬉しかったのか、少しだけ恥ずかしそうにしながら、話を続ける。


「手元に、私を置いておくのは重要だと思うが? 間違っているか?」

「いやー。待て、待って、待ってください」


 段々と卑屈になったアベルが、残っていたワインを一気に飲み干す。

 そして、深呼吸。煙草が吸いたくなったが、そこまでの余裕はない。


 それでも、ワインの酸味が引き金となって、なんとか普段の自分を取り戻す。


「ふう……。そもそも、シャークラーケンクラスと戦うとか、そうそう起きるものじゃないだろ」


 というより、起きて欲しくない。


「しかし、突然起こるからこそ非常事態ではないか」

「そりゃそうだが……」

「備えは大切だ。何事にもな」


 エルミアを非常食扱いすること自体に、大きな抵抗がある。


 アベルがそう思っていることは分かっているだろうに、エルミアはあえてそれを無視する。となると、アベルは理詰めで追い詰められていくしかない。


 少しずつ、逃げ場を失っていく。


 なんだか、最初に結婚を決めたときもそうだったなと、記憶が蘇ってきた。


 あのときも、一人暮らしをするよりは、一緒に住んだほうが節約できるって話から始まり……。

 いつの間にか、領主に支給されたこの家に住むことになって、あれこれ世話を焼かれて、あとはなし崩しにそういうことになったのだ。


「いや、それは言い訳だな」


 押していたエルミアが軽くふっと笑い、首を横に振った。

 森の青さを思わせる瞳には、自嘲の色が浮かんでいる。その瞳に、アベルは回想から引き戻された。


「私はアベルに謝りたい、許しを請いたいのだ」


 引き締まった。厳しいとすら言える表情のエルミア。

 しかし、その声は泣きそうになった子供のものだった。


 少なくとも、アベルにはそれが分かる。


「よかれと思ってやったことだが、結果として、アベルを大いに傷つけてしまった。本当にすまない……」


 森を思わせる瞳を潤ませ、エルミアは頭を下げた。


「エル……」


 アベルも、このまま自分と一緒ではエルミアの邪魔になる。そう思って、別れに同意したのだ。

 その意味では、アベルも同罪。どちらが悪いかと言えば、格差に嫉妬し、意欲を失った自分のほうだ。

 エルミアを傷つけたのも、アベルだ。


 そう言いたいのに、真剣で深刻なエルフの美女に気圧され、新参吸血鬼ヴァンパイアは舌が凍り付いてしまったように動かない。


「同じ過ちを犯したくはない。絶対に、なにをしてでも」


 頭を上げたエルミアが決意と、願いを口にした。


「そして、その上で希望を言わせてもらえるならば、私はアベルと同じものになりたい」


 これこそ、アベルとマリーベルを呼んだ本題。


 不意に、どこからか風が吹き、燭台の火を揺らす。

 エルミアの輝くような美貌に影が差した。


「以前は、ともに堕ちる覚悟がなかった。だが、今は。二度目の機会を得た今は違う」


 アベルは息を飲み、口を、次いで心臓を押さえる。

 どくんと、心臓が、肉体が、魂が脈動するのを感じた。いや、属性石の指輪は、実際に淡い光を放っている。


血の花嫁ブラッド・ブライドというものがあるのだろう?」


 吸血鬼ヴァンパイア吸血鬼ヴァンパイアから、命血アルケーを補充するのは不可能だ。

 吸血鬼ヴァンパイアは、常に外に血を求める必要がある。それが、吸血鬼ヴァンパイアという種に課せられた呪い。


 ただし、例外がひとつだけある。


 血の花嫁ブラッド・ブライド


 特別な絆を結んだ吸血鬼ヴァンパイアの間のみ、命血アルケーを融通することができる。


「私も、少しは調べたのだ。ダニシュメンド神の図書館でな」


 芸術神ヴェルミリオの配偶者は、知識と魔術の神ダニシュメンド。その影響で、芸術神の神殿にはかならず、知の貯蔵庫たる図書館が併設されている。

 ファルヴァニアのそれは特に規模が大きく、蔵書も豊富。そこなら、吸血鬼ヴァンパイアに関する情報も得られるだろう。


「といっても、何日通っても見つからず、最後にようやく司書に教えてもらったようなものだが。黒髪で……若いのに博識だったな」


 ちなみに、各地の知の貯蔵庫には、伝説があった。切実に知識を求める者の前に、司書が現れ授けてくれるという伝説が。

 後に、礼を言おうとしても、そんな人間はいないと言われてしまうところまで、それぞれの逸話で共通している。


 ただ、司書には黒髪の男もしくは女の他に、金髪の子供、禿頭の老人などいくつかパターンがあった。


 エルミアが出会った司書が誰だったかはさておき、正しい知識を得られたのは確か。


 吸血鬼ヴァンパイアが、血を吸うためだけに飼う人間を俗に血袋などと呼ぶ。

 そんな関係をあっさりと飛び越えて、エルミアは告白した。


「私は、もう一度、アベルのパートナーになりたいのだ」

「パートナー……じゃと……?」


 それは、マリーベルにとっての禁句タブー

 その一言で復活したマリーベルが、クッションを重ねられた椅子から飛び上がった。


「でぇいっ!」


 本人の気合いを反映した、天へ昇るドラゴンもかくやという凄まじい勢い。


 勢いがつきすぎて、天井に頭をぶつけてしまうほど。


「いつつっつつ」


 涙目になりながら、それでもマリーベルはくじけない、退かない。

 イスタス神に叩きのめされて目覚めた善の心が、アベルを見捨てるのを許さない。


「いくらなんでも、一足飛びに血の花嫁ブラッド・ブライドなどあり得ぬわっ」

吸血鬼ヴァンパイアには、吸血鬼ヴァンパイアのしきたりがある……と?」

「そう、それじゃ」


 そんなものはない。

 そんなものはないが、証明できる者は誰もいない。


「自ら血の花嫁ブラッド・ブライドになりたいと願うなど、はしたなきことと心得よ」


 マリーベルは、今この場で、新たなしきたりを作った。

 正義はマリーベルにある。王であるマリーベルの言葉こそ、正義なのだ。


「では、どうすれば?」

「まずは、自らが血族に加わるに相応しいことを示すべし」

「なるほど。段階が必要だと」

「そういうことじゃ」


 アベルは、段階さえ踏めばいいって意味に聞こえるな……と気付いたが、口を挟める雰囲気ではない。


「となると、まずは私も吸血鬼ヴァンパイアになることを目指すべきか」

「いやいや、それはまずいだろ」

「アベルが吸血鬼ヴァンパイアになったのなら、私もなるべきだろう?」

「すごい。澄んだ瞳で、とんでもないこと言い出しやがった」


 クラリッサもルシェルも、アベル本人にアプローチをかけた。

 しかし、エルミアは違った。


 アベルだけでなく、マリーベルにも迫ったのだ。


「では、マリーベル殿。私に試練を与えてください。この身を吸血鬼ヴァンパイアと化すための試練を」

「うむ。道理よな……うむ?」


 マリーベルとエルミア。

 ベクトルは違うが、真剣にアベルをどうにかしたいと考えている二人が、ぶつかり合ったらどうなるか。


 投げられた石が空中で衝突するところを想像すれば、分かるだろう。


 結果は、明後日の方向へ飛んでいくしかなかった。

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