アンデッドナイトが喋ったところまでであれば、そういう変異個体がいるかもしれないと、無理矢理納得することもできただろう。
だが、その妙に友好的というか、軽い。
そこまでいくと、なにが起こったのか、アベルは理解が追いつかなかった。
真っ先に立ち直ったのは、ルシェル。
「《蜘蛛の糸》」
手にした呪文書から2ページ分切り離され、アンデッドナイトの周囲を旋回する。
それが下から徐々に届け、蜘蛛の糸となり、地面と壁を支えにして、アンデッドナイトを拘束した。首から下は、蜘蛛の糸に包まれ見えない。
「《ファイア》」
さらに、イヤリングにしている火の属性石から出現した炎が、ルシェルの指先に集まる。
「《蜘蛛の糸》は、強力な粘着力を持つと同時に、良く燃えます。火を放てば拘束は解けますが、ただでは済みませんよ?」
それを突きつけながら、ルシェルは努めて冷静に言った。
「少しでも不審な行動を取ったら、燃やします」
「まあ、あれだ。できれば、俺たちも、そこまではやりたくねえ」
ようやく、アベルも茫然自失から復帰した。
だが、一番冷静なのは脅しつけられた本人だった。
「あっ。ええと……。妥当な判断かなって思います。はい」
「認めるのかよ」
「不審な行動を取る気はないので、支障はないかなーって」
妙に臆病というか、その割に線引きがしっかりしていた。
拘束されているというのに、それを認めてしまう。
「この程度、実力でどうとでもできると思っているのか」
「それとも、よほど不思議な価値観をしておるのか……じゃな」
そう言うマリーベルの視線がコフィンローゼスへわずかに向けられたのを、気付いた者は誰もいなかった。
「どっちでもいいですけど、これでは私が悪人みたいではないですか」
「必要な対処であることは間違いあるまいて。アベルもそう思っておる」
「まあな……」
害意は感じられないが、かといって完全に信用するわけにはいかない。
アベルも、エルミアも、なにかあれば、アンデッドナイトだと思われていたモノに攻撃できるよう待機している。
「ガルルルル……」
もちろん、クルィクも警戒を怠ることはない。
「なんと言いますか、まずは、壊さないでというお願いを聞いてくれてありがとうございます。バッファが少ない状態なので、助かります」
「呪文で縛られてて、よくそんなこと言えるな」
「ううん? ああ……。確かに、そうですねぇ」
笑いはしないし、表情も変わるはずがない。それでいて、皮肉ではなく、本心からそう思っていることが伝わってきた。
鎧だからこそ、妙にコミカルで憎めない。
しかし、それはエルミアには通用しなかった。
「本当に破壊しないで済むかはここからの話による」
近接戦闘はアベルとクルィクに任せるという判断だろう。
やや離れた位置で弓を引き絞りながら、エルミアが厳しい口調で言った。
さすがは、犯罪を取り締まっていた元森林衛士と言うべきか。自分が言われたわけではないのに、アベルも身が引き締まる思いだった。
「素性に、目的、動機。洗いざらい話してもらおう」
「いやぁ。それはできないですねー。大変申し訳ないとは思いますが。はい」
にもかかわらず、まったく変わらない様子で。
同時に、断固として拒否した。
「言葉が通じていないわけではないはずだが?」
「客観的に証明するのは困難ですが、言語の問題ではないという結論には賛成ですぅ」
エルミアはまなじりを決し、弓をさらに引き絞った。
「こちらの要求を聞くつもりはない。そういうことだな?」
「口幅ったい言い方になりますが、それがあなた方の利益にもなりますですから。はい」
「事実だとしても、ちょっとその言い方では受け入れられないですよね……」
炎を指先に集めたルシェルも困り顔だ。
さすがに、こんな反応は予想もしていなかった。
「例えばですが、この先は危険だからと言ったら、帰ってもらえますでしょうか?」
「子供のお使いじゃねえんだから、無理だな」
「そういうことです」
説明しないことこそが、利益になる場合もある。
そう言外に匂わせ、アンデッドナイトだと思われていたモノは、妥協する様子を見せない。
「これが、お互いにとっての最善手……とまではいいませんが、最大公約数的結論と信じていますから」
お互いに不干渉でいるべきだと主張し、アンデッドナイトだと思われていたモノが沈黙する。
アベルたちにも、その言葉の意味を咀嚼するための時間が必要だった……が。
「なるほどの」
宙に浮いた小さなマリーベルが、シニカルな表情で沈黙を破った。
「それでも、余らが詳しい話を聞きたがったとしよう」
「しようというか、実際に聞かなきゃ、まさに話にならねえわけだが」
「うむ。それがこやつの狙いであろう」
小賢しいと、マリーベルが鼻で笑う。
「いや、話したくねえんだよな?」
「そこは嘘ではあるまいの。しかし、こやつを圧倒した余らのような相手であればまた別よ」
「つまり、私たちから、この先に関わるような体裁を取りたかったということでしょうか?」
「いかにも」
小さなマリーベルが鋭い視線を投げかけると――
「あわわ。あわわ」
――露骨に動揺していた。
「図星みてえだな……」
「とりあえず、足と腕の一本でも引き抜いてから、もう一度話をしてみるかの?」
「ちっちゃいお人形さんが一番怖いデスヨ!?」
「アオンッ! アオンッ!」
「オオカミさんも目を剥いて、顔怖いんですが!?」
「まあ、二人とも落ち着けって」
コフィンローゼスを地面に突き立て、アベルは《蜘蛛の糸》に巻かれるそれへ、近づいていった。
アベルの言葉で、マリーベルもクルィクも、とりあえず、矛を収める。エルミアやルシェルも含め、いつでも抜けるようにはなっていたが。
「名前ぐらいは聞いてもいいか? ああ、俺はアベルだ」
「ありがとうございます、ありがとうございます。こちらは、ローティアと申しますです」
「オッケー。ローティア。ここは、めんどくせえ駆け引きとかやめて、腹を割って話したほうが手っ取り早いと思わないか?」
ざっくばらんな。
あるいは、難しい話は面倒だというアベルの主張。
考えなしのそしりを受けかねない提案だったが、複雑な縛り目を斬り裂く刃でもあった。
「はい。分かりました。しかし、危険性があり、できればこのままなにもなかったことにして欲しいというのは、こちらの本心でもありますです」
「……構わないよな? このまま関わるってことで」
真剣味を増した警告の言葉を受けて、アベルは振り向いて皆を見回す。
「もちろんだ。アベルについていくぞ」
弓を下ろし、エルミアが即答した。
「義兄さんが行くのなら、どこまででも。個人的にも、なにが待ち受けているのか気になります」
魔術師らしい好奇心を添えて、ルシェルも同意した。
「ゥワンッ!」
「好きにするがよいわ」
クルィクとマリーベルも同じ。
『ご主人様あるところにスーシャあり』
『あ、わりぃ。スーシャに聞いたつもりはなかった』
『今のはちょっと傷ついたけど良かった 複雑』
『素直にごめん』
傷ついたという答えに安心したアベルは、アンデッドナイトだと思われていたモノ――ローティアへと向き直った。
「じゃあ、この呪文は解いてもらうから――」
「ならば、詳しい話しの前に、奥へ招待いたしますですよ」
「招待? 案内じゃなくてか?」
「ええ。まあ、こちらの家みたいなものですから」
アベルの疑問にさらりと答え、《蜘蛛の糸》を解除されたローティアが、巨人の坑道の奥へと歩き去っていく。
直後、振り返った。
「ですが、この奥の光景を見たら、完全に忘れるか、最後まで付き合ってもらうかのどちらかになるですよ」
全員が、その言葉の意味を計りかねていたが、ローティアの言う奥に到着し、疑問は氷解した。
「なんだこりゃ?」
素直な、それ以外にはないという感想。
無理もない。
巨人の坑道の奥。何百メートルも下った先に、広大な空間が存在しているというだけで驚きなのに。
黒い帆船が浮いていた。
見間違えでも、幻影でも、妄想でもない。
黒い帆船が、水銀を溶かしたような泉に突入しようせんばかりに、空中で静止している光景が広がっている。
確かに、疑問は氷解した。
ただ、その氷の中から、新しい疑問が出てきただけで。
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