「船が浮いてるなぁ……」
「ふっ。アベル、なにを言っているのだ」
呆然とつぶやくアベルに、エルミアが微笑みかけた。
「落ち着け。船は浮くものだぞ」
浮いている場所さえ考えなければ、正論に違いない。
つまり、エルミアもまた、冷静ではなかった。
「そっか。それもそうだよな。船は浮くよな」
「ああ。シャークラーケンも空を飛ぶのだ。同じ海のものである船が浮いても、不思議なことなどなにもない」
そう。シャークラーケン……イカとサメだって、自由自在に空を飛んだのだ。同じ海の物である船が空を飛べるのは言うまでもない。
完全無欠の説得力だった。
アベルとエルミアにとっては。
「浮くとか飛ぶとかはともかく、そもそも、船はこんな山の中に存在しないはずですけど……」
ルシェルも、ぽかんと口を開いて、ありえない物を見たような顔をしている。
「どこから運び込んだというのでしょう? しかも、誰にも知られずに」
「自分で飛んできたんだろうな。私たちのように、夜闇に紛れて」
「なるほど……って、さすがにそれはないですよね!?」
ルシェルは、唐突に正気に戻った。
いや、エルミアが正気を失いすぎていると言うべきか。
「なにを言うのだ、ルシェル。船が目の前にあるのは事実だぞ?」
「姉さん、戻ってきてください。姉さん!」
ルシェルが、エルミアの肩を揺すぶり正気に戻そうとする。見よう見まねで、クルィクもエルミアの足に体をこすりつけていた。
「あれだろ。家の裏口から館につながるぐらいなんだし、次元を越えた的なあれなんじゃねえ?」
その光景をぼんやりと眺めていたアベルが、ふと思いついたように考えを口にする。
「なるほど。それは確かにあり得ますね」
ルシェルは正解かもしれないと、左手を口元にやった。
「なにせここは、次元の歪みが発生する巨人の坑道なのですから」
「そう言われてみると……そうだな。それなら、この状況の説明がつくようだ」
エルミアが、ようやく正気に戻る。
「しかし、そうなると、俺たちの周りには、当たり前に非常識が存在してるって結論になるだけのような気もするが……」
棺を武器にする吸血鬼が、そんなことを言った。
やはり、冷静さを欠いているのかもしれない。
「驚きはするが、本質はそこではあるまいよ」
本当に冷静なのは、宙に浮き、腕を組んでいるマリーベルだけ。
鋭い視線で黒い帆船の舳先を見つめる。
「浮いておるのは確かじゃが、どちらかというと、攻撃を食い止められた結果なのではないか?」
「慧眼ですです」
今まで沈黙を守っていたローティアが、拍手をするポーズをしながら肯定した。
「あそこに浮かんでいるのが、次元航行船ローティア」
「次元航行船?」
アベルが、全身鎧――ローティアの言葉を繰り返す。本当に、なにも心当たりがない証拠だ。
「はい。空と星の間を駆ける船ともいいますですね」
「空と星の間を駆ける船……? もしかして、スカイドワーフと同じ?」
「スカイドワーフって、東の遺跡群のことかよ?」
「空と星の間に住み、その傲慢さにより地上へ落下したのだったか……」
かなり進んだ文明を持っていたとされる、スカイドワーフ。
その実像はほとんど明らかになっていないが、遺跡から発掘される機械やマジックアイテムからは、現代の技術では再現不能。
そんな彼らも、今では文明の残滓が冒険者たちの飯の種となって久しかった。
「水銀の泉の先に存在するのは、別次元からの侵略者。絶望の螺旋の眷属。本艦は、それと交戦中、眷属が湧き出るワームホールへ僚船とともに衝角突撃を敢行したのです」
「ラムアタックか……」
言われてみれば、水銀を溶かしたような泉に突入しようとしているように見える。
見えるが、まさかそれが正解とは思いもしなかった。
「しかし、目的は果たせずワームホールととも近傍の物質界へ落下。僚船は轟沈してしまいました」
巨人の坑道と呼ばれるいくつかの大穴。
それは、その落下の余波を受けてできたものなのだとローティアは語った。
「そういう経緯が……って、絶望の螺旋だって!?」
あのヴェルミリオ神ですら語るのを憚る、この世すべてを無に帰す邪神。
それを撃退するために、不倶戴天の敵同士である悪の女神ヴェルガと手を組んだこともあるという。
「おお、絶望の螺旋をご存じなら話は早いですですね」
「まさか、ここで絶望の螺旋の眷属が出現するのを抑えておったとはの」
マリーベルも、絶望の螺旋と聞いて目の色が変わった。
善も悪も、人間もエルフも吸血鬼も関係ない。
生きとし生けるものすべての敵。それが、絶望の螺旋なのだ。
「呼び込んでしまったのはこちらですので、褒められるようなことでもありませんよ」
「原因不明だと言われていましたが、実際は、その影響で次元の歪みが出て、様々な鉱石が取れるようになったわけですね」
「なんとか接続先を制御し、害の少ないところを選んだら、そうなりました」
ルシェルの確認に、ローティアは補足・説明の上、肯定した。
「そうか。海や火山とつながる危険性もあったのだな……」
「デーモンとかがいる場所だったら、やべえことになるよな」
エルミアも、ローティアの努力に尊敬の眼差しを向ける。
「なんだか、照れますね……っと、おや?」
突如として、ローティアががちゃんがちゃんと音を立てて振り向いた。
その先には、次元の穴……ワームホールと呼んでいた水銀の泉。
「ワォンッッ! ワォンッッ!」
直後、水銀の水面がボコボコと沸き立ち、虹色のシャボン玉のような物体がふらふらと近寄ってくる。
途中でいくつかがくっつき、まるで虹色のブドウのようになる。
「危険です。離れて下さい。タイプ:スカムには、物理攻撃は効きません」
ローティアの警告。
しかし、それを聞くような吸血鬼たちではなかった。
「アベル!」
『ご主人様』
「ああ。分かってるぜ!」
マリーベルの叱咤とスーシャの念話と同時に、アベルは黒い棺をどんっと、全力で叩き付けた。
それで、縦にしたコフィンローゼスの天辺が開く。
そこから、光の線が投射される。アベルの体を真っ二つにしたのと同じ光線が。
それは空中に半円を描き、空中で虹色のブドウに触れると同時に爆発。爆風と衝撃が晴れると、タイプ:スカムと呼ばれた絶望の螺旋の眷属は、ひとつ残らず消滅していた。
『疲れた』
『助かったぜ』
『癒やしが欲しいご主人様 癒しがご主人様』
『分かった分かった。叩いて問題ない敵には、ガンガン扱っていくから』
『グッド』
棒読みで――念話だが――言うスーシャに苦笑するアベルだったが、成果に比べれば、その対価は驚くほど安い。
アベルの精神的疲労を除けば。
「助かりました、アベルさん」
「いや、大したことじゃ――」
「あれ、触れたものの時間を問答無用で進めさせるので、この体を犠牲にして迎え撃つ必要があったのです」
「物理攻撃がどうこうより、そっちが大事だろ!?」
いきなりの自己犠牲が飛び出し、思わずツッコミを入れずにはいられない。
「いえいえ。こちらは、次元航行船ローティアの船外活動体となりますので。消滅しても、別の体に意識を移せば良いだけですです」
「そっか……」
よく分からないが、死にはしないらしい。
それなら、感覚的には武器を犠牲にして退治するということになるのだろうか。似たようなことなら、アベルもやっている。
途端に、親近感が湧いてきた。
「ストックがなくなりかけているので、無限にとはいかないですけど
「そうやって、後出しで重要なことを言うの止めにしような!?」
「いえいえ、本当に心配はないのですよ」
親近感を抱きかけたアベルが、大声でツッコミを入れたところ、ローティアは手を横に振ってなんでもないと否定した。
「ローティアに復旧困難なトラブルが発生し、もう、これ以上、抑えていることができなくなりました。なので、自爆して決着をつけようとしていたところですので」
「それは……」
だから、アンデッドナイトと誤解されるような姿を見せて、人を遠ざけようとしていたのか。
「アベル……」
「義兄さん……」
「分かってるよ」
そんな事情を聞かされたら、黙っているわけにはいかない。
「まずは、そうだな。タイミリミットから教えてくれ」
思っていたより話が大きくなったが、できることは必ずあるはず。
それに、自己犠牲でどうにかしようとする考えは、思いとどまらせたほうがいい。
経験者として、譲れないところだった。
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