ロートル冒険者、吸血鬼になる

小説家になろうで3,000,000PV突破! これがベテラン冒険者の生き様?
藤崎
藤崎

第一部 ロートル冒険者、吸血鬼になる

プロローグ

公開日時: 2020年9月1日(火) 12:00
文字数:1,155

 この依頼クエストが終わったら、引退してやる。


 そう心に決めて、アベルはギルドを出て下水道の奥へと向かった。


 半ば自暴自棄な心境ではあったが、いつもの仕事を、いつものようにこなすだけ。


 トラブルが起こるはずもない。完全なルーティンワーク。

 いくら心がささくれ立っていても、失敗なんてあり得ない。


 そのはずだったのに。


「決めたぞ、ウルスラ。こやつを我が眷属とする」

「……本当によろしいのですか?」


 アベルは下水の壁にもたれかかり、朦朧としながら影同士の会話を聞いていた。

 どうしてこんな状態になったのか、まったくなにも分からない。


「言いたいことは分かる。だが、高望みというものであろう。それは我らが無為に過ごした数百年の歳月が物語っておるわ」

「そこまで仰せになるのであれば、否やはございません」


 意識は霞がかっていて、内容をはっきりと把握できない。

 だが、二人ともかなりの美女だということは分かった。

 40年の人生経験は伊達ではない。声だけで美人だと分かるのだから、実物はそりゃすごいもんに違いないと確信している。


「冴えぬ男じゃが、我が純潔を捧げてくれよう」


 自分に覆い被さろうとしている。

 それを感じた刹那、首筋に、ちくりとした痛みが走った。


 続けて、心臓が跳ね馬のように暴れ回る。

 呼吸が荒くなり、額に汗がにじむ。


 だが、苦痛はわずか。

 その数十倍の快さを感じた直後、アベルの意識は完全に途絶えた。





「夢……か……」


 夢だから当然の話とはいえ、変な夢を見たものだ。


 アベルは反射的に起き上がり、あわてて腰を押さえた。不注意にもほどがある。

 痛みを予感し、思わず顔をしかめた。


「いたっ……く、ない? って、おいおい。こいつはどういうこったよ」


 だが、予期した痛みは、一向にやってこなかった。

 ぼさっとした髪を無意識にかき上げるが、答えは思い浮かばない。


「いや、痛くないのはいいこと。いいことなんだけどよ……。こうもいきなりってのも、不気味だぜ」


 下水道の夢もそうだが、なにがなんだか分からなかった。自分の人生に、こんなボーナスが降ってくるはずがないという思いがにじみ出ていた。


 癖になりすぎて、もはや自分でもおかしいと思わなくなってしまった独り言。

 ベッドの上であぐらをかき、冒険者にしては細いが筋肉のついた腕を組みながら、アベルは必死に記憶を整理する。


「この年になると、昨日なに食ったかも思い出すのに時間がかかるんだよな……」


 そうなのだ。最近の出来事のほうが、よほど思い出しにくい。昔のことは、忘れたいこともしっかり憶えているのに。


 昨日は、いや昨日もそう。


 朝からギルドへ行き、いつも通りの依頼クエストを受けたのだ。

 下水の掃除――下水道に住み着いているダイアラットの駆除を。


 それだけなら、ただの一日だが……。


 アベルが冒険者からの引退を決意する出来事があった。


 そう。そのはずだった。

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