◯
頬はリラックスしていて
眉一つ動かさない
しかしながら呼吸がいつもより早くなっているのを鼻で感じる
多分集中している
木造2階建ての2階の部屋
人、二人分くらいあけて二人は座っている
林野家で幾度となく見た光景
二人の膝の上にはアケコン
林野はベッドの上に座って猫背をさらに前にかがませている
オレは地べたにあぐらをかいて首を少し沈ませる
ライオンなんかが獲物を捉える前の“タメ”のようにぐっと前傾姿勢になっている
体験したことなどないが
格闘技の試合、リングの上でレフェリーを挟んで選手同士がにらみ合うあの時間はこんな気持ちなのかもしれない
一つのゲーム画面に同じ感情でにらみをきかせている
きっとここはリングの上なのだろう
ようやくたどり着いた
あの時は手も足も出なかった...
目線を下にやり膝の上に置いたアケコンを林野にバレないように少し撫でる
こいつを手に入れるのに苦労したんだよ
たかだか一万円程度のものだ
だがその一万円程度の物を手に入れるためには今まで飲んだこともない苦汁を飲まなければならなかった
下げたくない頭を人に下げ
気持ちの悪い愛想笑いを連発して自己嫌悪の日々
朝は行きたくなさと緊張で吐き気を催し
仕事が終わった夜の開放感は全てのやる気を失くさせた
働くとはそういうことだ
絶望の朝と絶望の夜を繰り返すしてようやく手に入れた
なぜこんな事になったのか
分かるよな林野ぉ?
アケコン、ひいてはゲーム機とストリートファイターを手に入れなければオレは一生安眠できなかっただろう
悔しさが脳にべったり張り付いて離れない
お前に植え付けられたこの痛みのせいでオレは生活を一変せざるを得なくなった
つまりはお前がオレを社会に放り込んだんだ
本社の人間かなんだか知らん誰かも分からんオッサンに偉そうに立ち回られたことも
小さく舌打ちしたのを客にバレて怒られたことも
すべてお前のせいだからな!
より燃えたぎるように心の中で復讐心に薪をくべているとある異変に気づき我に帰る
いつもなら愚痴の一つでもこぼして場を少し汚しながら和ませてくる林野が今日は喋らない
オレが喋らないのは元々だ
だが林野も喋らないとなると黙ったままゲームのロード時間が終わるのを待つことになる
その沈黙が勝負の重さを感じさせる
これはこれで心地の良い重力だ
この重みが絶対に勝ってやるという決意をブレないものにしてくれている
林野も同じことを思っているのだと思っていた
思っていたのだが
オレの心の中とは似ているようで実は真逆なのではないだろうか
これだけ喋らないのはおかしい。
さては林野
お前
緊張しているな?
◯
「ふっ」とロウソクの火を消すかのように
自分を鼓舞するために短く強いため息を放つ林野
緊張がミスを呼んでいることに林野は明らかに動揺している
10先という長期戦での開幕に精神的マウントをとれていることは非常にでかい
普段できていることが今の自分にとっては当たり前でない状況は真っ先に修正しなければならない課題
その課題を進めている間に本来するべき作業がどんどん遅れていく
この技を出した後こいつはすぐにあの技も出してくるぞといった対戦相手の情報をインプットして相手の手癖を摘み取るための作業が放置されたままになる
一歩も二歩も遅れた状態で勝負の星が「負」へと動き続ける
これは焦る。
勝負事の常として“負けた側”に次の試合の有利は働く
勝った側が勝った理由を探すより
負けた側が負けた理由を探す方が明確で簡単だからだ
負けた理由を修正することは勝ちに直結する
しかし今の林野の状況では
負けても負けた原因を探るよりも前に己のミスを修正しなければならない
整理しなければならない事案がどんどん溜まっていく
「終わらない」というストレス
心の落ち着き場がない
休日出勤
勤務時間外での上司からの電話
延長され続ける残業
林野が日常的に蝕まれているストレスをゲーム内でも味わっている状況
処理し切れていないことがまた次のミスを生む
まさに負の連鎖
ここで追い討ちをしておくとしよう
「飛び落とせてないけど大丈夫かーー?」
あえて林野の方を見ずにゲーム画面に向かって叫ぶ
ノールックであることが自分に向けてのことだと余計に認識させる
対空は格ゲーにおいて初歩の初歩
だったよなぁ?
お前がオレに一番最初に“教えてくれた”ことだもんな?
オレはな林野
やられたら絶対にやり返すんだよ
◯
林野が使うユンというキャラクターを相手にする時
基本的に攻めてきたものを跳ね返すという戦略を取らざるを得ない
ユンにしかない技「急降下」があるからだ
他のキャラでは決して出せない角度から相手に向かって“降る”ことができる
この急降下は相手キャラの間合い外から降れるため一方的に対戦相手に突き刺すことができる
相手は届かないが、自分は届く
さらに突き刺した後は例えガードされても有利状況で攻めが継続される
空から降りそそぎいきなりマウントを取れる
“終わってる”技だ
急降下はガードでもダメなために体に触れられない
ように最警戒しつつ立ち回らなければならない
ユンを相手にする時は防御主体の対応策に回らざるを得ないのだ
それだけユンは攻めの強いキャラクター
しかし
いくらキャラが強くともそれを操作する人間がヒヨっていては攻めに転じることは出来ない
林野は緊張のあまりヒヨっている
緊張は失敗を誘発し、
失敗は緊張を加速させる
対空ができていないことを煽られた林野は何とか飛びに対応しようとするが
「対応しよう」という思考を辿ってる時点でもうすでに後手に回っている
ユンはそういうキャラではない。
対空ができていないだけにオレの飛びが怖い
飛びを意識するあまりに今度は地上がおろそかになる
相手が上ばかり見ているのなら今度は足元をすくってやればいい
普段は急降下が邪魔で近づけない間合いにもすんなりと地上から侵入することができる
“上”の次は正規のルート“地上”からダメージを奪う
そうやって目線を下げさせておいてまた飛びを通しに行く
ユンの体力と林野の精神力を確実に削っていく
相手の対応が甘い部分を起点にして攻めるのは勝負の鉄則
相手の嫌がることをするのが真剣勝負というものだ
本気の斬り合いに卑怯もクソもない
「飛びしかしてねーじゃねーかっ!」
いいぞもっと言え
本当は飛び以外にも色々意識を散らしながらお前に近づいているんだ
それにまだ気づいていませんと自ら公表しているようなもの
もっと言え
お前から文句が出るたびにオレは嬉しいんだよ
お前をムカつかせてるんだからな
オレがコンボを決める度にお前の顔が歪んでいるのが見なくても分かるよ
なぜかって?
オレがそうだったからだ
お前にコンボを決められてダメージを奪われるごとに優しさと穏やかさがオレから消えていった
『この前こんなことあってさ』
ゲーム中お前に世間話をされるとオレは人間を警戒している野良犬のごとき鼻と眉毛の間に力の入った波波を作りオレに構うなと吠えたくなった
だからオレも喋りかけるわ
「今決めたコンボ“最大”なんだわ。最大じゃなきゃ少し体力残ってたろうな。うん、倒し切れてない。」
「.......」
どうだ林野?
お前は今どんな顔をしている?
あえてお前の方は見んからな
今しがた林野にきめた“最大”とは文字通り最大火力のコンボのこと
コンボは簡単であればあるほど火力は低くなる
逆に難しくあればあるほど火力は高まり相手から奪えるダメージが上がる
初心者が手を出しやすいように簡単なコンボがあり
上級者が突き詰めるられるように難しいコンボが用意されている
そしてオレは今お前に“最大”を決めた
どうして上級者向けのコンボがオレにできたと思う?
それはな
ももちに教わったからだ
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