◯
負けは覚悟していた。
戦略を試す上で最初から上手くいくはずがないことは知っているから
何事も、最初が一番上手くいかない
それが物の道理
それが学ぶということ
分かってる
分かってるけど
すごくムカつくんです。
負けた者は一旦戦う権利を失う
立ち上がって後ろで順番待ちしていた人間と交代する
そしてまた自分の番が来るまで待つ
それがゲーセンのルール
店内で唯一光を放っているゲーム台からトボトボ遠のき
薄暗がりへ帰っていく
後ろに並んでいた奴が交代際、目も見ずに心のメッセージを飛ばしてくる
お疲れ。それじゃあ勝てないね。
すれ違いざまに肩をポンと叩くように風を切り
スカした顔をして100円を入れているのだろう
それがすごくムカつくんです。
今オレが負けた相手と戦っている
もしこれでコイツが勝とうものならオレはコイツにも負けたことになる
オレが負けた相手に勝つなんて許せない
だから負けろ
お前では勝てない
負けとけ
そして立て
今度はオレがすれ違いざまにお前の肩を叩いてやる
だから安心して負けろ
そんな邪気をまといながらも脳にわずかに残った冷静さが次の戦略を模索する
相手キャラの強みを消すだけでは勝てない
相手の体力を減らさなければ勝ちはないのだから
攻撃的な行動が少なすぎる
常に受け身の考え
こっちの体力を減らされないようにするのに必死
対応しているだけではジリ貧
自キャラの強みをもっと相手に押し付けなければいけない
早いよ
負けるのが早い
負けろとは言ったが早過ぎんか?
まだオレが次戦の戦略を練ってる途中でしょうがー
トボトボとさっきオレと交代した奴がこちらに向かってくる
肩を落とし首が折れている
敗者の背筋
さっき風を切っていた肩はどこにいきましたかね?
お前も押し付けられるだけで押し付けることが出来ていないようだな
お疲れ。それじゃあ勝てないよ。
代われ。
◯
見渡せば人、人、人、
スーツ姿の疲れた顔がいっぱい
きっと疲労に身を任せてうなだれていたいだろうに人と人とに挟まれて無理矢理背筋が伸びている
箱に入れられた米に例えて寿司詰め状態と言った昔の人は上手いことを言う
これが帰宅ラッシュというものか
ゲーセンでもう少し勝てていればこの時間に電車に乗ることはなかった
自分の弱さが招いた結果ゆえ
ここは自分も米の一部となってギュウギュウになることを甘んじて受け入れよう
自分の周りに数センチだけ存在している空きスペースを渡すものかとみなが肩ひじを張る
悪意と悪意がぶつかり合って押し合いへし合い
ゲーセンとはまた違う熱気
しょうもない戦い
蒸し暑くるしい。
二度とこの時間に電車には乗らないでおこう。
蒸し暑くるしい。
他人の肩ひじにぶつかりたくないから一つのつり革を両手で持って何とか耐える
こんな劣悪な環境下ですら
脳が反射的に今日の悔しさをプレイバックさせ
その悔しさで何とか戦略を組み立ててみる
ウメハラはゴウキの強みをかき消すような対策を作り上げた
あまりに鮮烈すぎてそこばかりに気を取られていた
ウメハラは自キャラであるリュウを完全に操っている
最大コンボ、対空、間合い取り、
土台があって
その土台の上に戦略を高く高く積み上げた
完成品だけを見て分かったような気になっていた自分が恥ずかしい
自分のキャラを操る能力
多分それが一番大事な歯車で
ユン攻略のために掲げた理想と上手くいってない現実を繋げてくれるパーツ
オレの使っているキャラの特徴はコンボの火力が高いことだ
他のキャラに比べて一回のコンボで相手から奪えるダメージが大きい
その分相手に近づくことが難しい性能になっている
“ユンみたいに”簡単に相手に近づく技を持っていない
しっかり距離を測って近距離よりもまず中距離を制すること
「間合い取り」が要
一発入ればデカいが一発入れるまでに苦労するキャラ
間合い取りが土台で、その土台を固めることが課題
ライダーキックで簡単にふところに飛び込んでくるユン
自分からは近距離を中々作りにいけないコーディー
キャラ差か。
言い訳だと感じつつも前に進みたい足をつい愚痴で止めてしまう
キャラ差を埋めることの大変さが身に染みるよウメちゃん
腹を空かせながらギュウギュウの電車に揺られるのもうんざりしてきた
昼メシ代は全てゲームにぶっ込んだ
危うく帰りの電車賃までぶっ込むところだったがギリギリのところで怒りをおさめた
次にタイトーステーションに行く時はあいつらの昼メシ代を奪ってやろう
もう誰ともすれ違わないでいいようにする
オレの後ろに並んでも順番は回ってこないと思わせるくらい勝ちたい
家に着いたら戦略を練り直そう
つり革の狭い輪っかの中でギュッとなっている指が痛い
人の邪気で鬱蒼としているここから早くオレを解放してくれ
腹が減った。
◯
「トントントン」
家の玄関を開けるなり
母親が夕飯を作る音が聞こえてきた
もうそういう時間か
まあそりゃそうか。
右のかかとで左のかかとを踏んでモゾモゾと玄関で靴を脱いでいる間に和風のいい匂いが鼻の中を通る
さっきからオレの胃の中で何か食わせろと叫んでいる小さなオレがいい匂いのする方へ行けとうるさい
「おかえり」
「今日のメシ何?」
「珍しい、どこ行ってたの?」
「今日のメシ何?」
「ふふーんっ」
なんだよ、それは
「どこ行ってたの?」
別に報告する義務はないがオレだって一人で遠出くらいできる
「地元じゃないゲーセン」
「ええ!そっか!」
なにその十中八九当たらないクジが当たった時みたいなリアクション
そして何で笑顔なの
「楽しかった?」
「まあ」
お金をいっぱい使いましたよ。
「今日のメシ何?」
「良かったね」
聞いちゃいねー
「はいできた!」
帰ってきてまだ手も洗ってないのにメシを渡してくるんじゃないよ
さっきトントン切ってたであろうネギが乗せられてオレの手の上で今カツ丼が完成した
どんぶりとは何故こんなにもがっつきたくなるのだろう
凄まじくいい匂いだ
勝手にオレの手の上で完成したカツ丼に恍惚としながらふと思う
母親が存在しなければこのメシも存在しない
このメシは突然現れるワケではない
このメシが存在しなければきっと夜も眠れないだろう
布団の中で空腹に耐えられなくなったオレの胃の中の小さなオレが何か食わせろと言いながら胃から食道をつたって耳からはい出てきてはオレのまぶたを引っ張り続けて二度と目をつぶることはできない
腹が満たされるからぐっすり眠れる
家に帰ればメシがあるから昼メシ代をゲームにぶっ込めた
今日は色々と戦いだった
今日だけではなく昨日のバイトもそう
戦場に立ったからこそ分かる疲労感
きっと母親も何かと戦っている
それでも
欠かさずに腹が満たされるという安心をオレにくれる
戦えばそりゃ腹が減る
戦場からボロボロになって帰ってきて
母親がまずする事といえばオレにメシを作ってくれることだ
戦ってもいないオレに。
まともに伝えるのは恥ずかしいが
ちゃんと目を見て伝えたいと思った
「今日のは自信作。めっちゃ上手くできたよ」
当たり前だと思ってたことは当たり前じゃなかった
「あんさ」
「ん?」
この言葉はただ会話を切るための道具ではない
オレの胃の中の小さなオレも一緒に言え
「いただきます」
◯
ふーっとため息をつきながら背中を丸めてゴロンとゆっくり大の字になる
食った。
徹底的に食った。
天井を見ている目をうっすら細めながらまたふーっとため息をつく
幸せなため息はいくらついてもいいだろう
生き返るとはこの事だ
朝から何も与えられてなかった胃の中の小さなオレもオレの胃の中で大の字になっていることだろう
可愛いやつめ。
こんなにもハッピーな時間を過ごしているというのにブーン、ブーン、という長い感覚の震えがオレの邪魔をする
林野だ。
オレのスペシャルな時間を邪魔する奴は大体こいつと決まっている
正確にいえば林野からしか電話なんかかかってこない
「ういっすお前何してんの?」
スペシャルな時間を過ごしていたんだが?
「別に」
「お前メシ食った?」
オレはもう大満足だよ
「食ったけど」
「そっかー、ちょっと話したいことがあってさ」
ほう
「まあオレは食わないけど付き合うよ」
「おう、じゃあとりあえずオレんち来て」
「お前今どこ?」
「家」
珍しく家から電話かけてきてんじゃないすか
「じゃあ行くわ」
「おう」
どうせ食べに行くんなら一瞬デザートでもと思ったが
散々ゲーセンで金を使ったからやめておこう
何枚の札が小銭に化けてゲーム台に吸われたか分からん
デザートなんかのことよりもだ
急ピッチでユン対策を思い出す必要がある
あいつのメシの後に対戦するかもしれない
というかしたい
アケコンもいちお持っていこう
今思えば100円を入れずに対戦出来るんだから神だな。
カツ丼で重くなった体で急ぎ早に準備をする
早くゲームがしたい
メシなんかいいから早くゲームしようぜと言いたい
が、一つ気になることはある
あいつの話したいことってなんだ?
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