◯
もし
心の中の声を聞かれたのなら誰もオレには寄ってこないだろう
まぁ
心の声を閉ざしても誰も寄っては来ないのだが
「本音」は毒薬
吐けば相手に毒が回り
飲み込めば自分に毒が回る
◯
パチパチという音が段々近づいてくる
木造の階段をあがった二階の部屋には奴がいる
昨日とは階段を踏みしめる覚悟が違う
ゴロゴロきゅるきゅると鳴る木造のドアを横に引けばこっちも見ずに奴は声を掛けてくる
「おう、お疲れ」
オレは別に疲れてなどいない。
返ってこない挨拶のことなど気にせず林野はアーケードコントローラーのボタンをパチパチやってる
ゲーセンのレバー部分とボタン部分を長方形に切り抜いた家で格ゲーをするならこれという専用コントローラー
林野がパチパチと指でボタンをハネるその音は
プレイヤー以外が聞いたのなら不快以外の何物でもないのだろう
しかし格ゲーをやる人間からしたらわざとらしく鳴らしたくなる、気持ちの良い音だ
オレより早く格ゲーを知ってる分、少し得意げにオレに向けて音を立てているように感じるのは被害妄想ではないだろう
「お前なんのキャラ使うか決まった?」
「まあ」
キャラは決まっている
ただただゲーセンで金を消費したワケではない。
「じゃあそのキャラでトレモな」
トレモ...?
よく見ればさっきから林野がいきがってボタンをパチパチ鳴らしてコンボを決めていた相手は動いていない
好きなキャラを使って、動かない相手に練習できるモードがあるらしい
トレーニングモード、略してトレモ。
このトレモがあればコンボも効率よく練習できるということか
今日、練習したくても対戦相手が邪魔で出来なかった
ゲーセンにもくれよそのモード...
そしてどうやらこいつはコンボを知っているみたいだ...
むしろコンボをコンボとして認識できていなかったのはこっちだったらしい...
結局先を越されていた悔しさと恥ずかしさをぎこちないトレモでごまかしているオレに
“飛び”を落とすことも重要だと林野は言う。
初心者がやってしまいがちな
前にジャンプして地上にいる相手に降っていく攻撃のことを“飛び”というらしい
ダメージを大きく取れる行動ではあるが迎撃にも会いやすい
一度飛んでしまえば「対空技」にて飛びは必ず落とされるという
リターンは大きいがリスクもある
対空技は全キャラクター持っているが
プレイヤーに「飛んで来た相手は落とすもの」という認識がなければ迎撃することはできない
いくら猟銃を持っていても引き金を引かなければ飛んでくる鳥は落とせない
今思い返せばこいつは昨日、猟銃の撃ち方も持ち方も知らないオレに空から襲いかかってきた
リスクが伴った上でリターンを得られるのが“飛び”のはず
こいつはノーリスクで
撃たれる恐怖もなく
飛びだけでオレに勝った
負けのない賭け。
無知な者から大金せしめる大犯罪者。
詐欺師。
トレモ、飛び、そして対空、
どれも有力情報だ
しかし感謝はせん
昨日言え!
◯
「最近仕事しんどくてさ」
急になんだ
「お前も格ゲーやってくれて楽しいわ」
オレはお前にやり返したいだけだ
林野は嬉しそうに格ゲーのことを語る
林野は不満そうに仕事のことを愚痴る
2つとも本音なのだろう
実に分かりやすい
本音は毒であり解毒剤でもある
本音は一つとは限らない
2つの矛盾する本音が混ざり合って心の中で帳消しになることもある
林野の愚痴など聞きたくないし毒だ
しかし
林野に感謝されることが解毒になっている
林野の中でもそういった帳消しは起きていて
でも多分
配分が悪い
解毒が足りていない
毒ばかり盛られているのだろう
それが社会というものか。
今
林野を解毒してやる術をオレは持ち合わせていない
◯
人はなぜ働くのか。
お金
プライド
社会のルール
色々あるのだろうが
自分にその理由が芽生えるとすれば
「林野との差を埋めることができないから」だろう
ゲーセンで鍛錬を積むというやり方は金を大量に使わされてしまう。
金を犠牲にしたくないからといって何もせずにいては勝てない
さっきからずっと飛ばれているだけで負けている。
ずっとだ。
大変に許しがたい状況...
「あれ?さっき飛びは落とすものって教えたけど?」
自分だけ先に知っていて
自分だけが練習できる環境にある
「ほらほら早く落とせよ」
ももちの動画を見ただけで勝てる気になっていた自分を呪いたい
「対空って知ってるよね?」
こいつの無様な飛びを落としたい
勝ちたい...
◯
「今日ありがとな」
こいつは帰り際にいつも言ってくる。
何が有難いのか分からんが
今日に限っては煽りにしかならんぞ。
「また来いよ」
「おう」
林野家のドアを閉めた瞬間、客観的になる
ただ外に出たからというワケではなく空気が変わる
無我夢中で飯を食い終わった後
満足感がふぅーとため息を吐かせるように
体に溜まっていた熱気が抜けていく
さっきまで戦場に居た自分が少しずつ現実に戻ってくる
でも体温は中々下がらない
瞬間的にイラつき
瞬間的に怯え
瞬間的に喜ぶ
感情のスイッチが押されまくって行ったり来たり
格ゲーをプレイし終わった後は脳がオーバーヒートしている
だから熱はすぐには冷めない
その熱が、ある思考を高まらせる
最新ゲーム機
専用コントローラー
ゲームソフト
奴に勝つためには揃える必要がある。
揃えるためには金が必要。
金を稼ぐには働かざるを得ない。
薄々どこかで感じていた
この生き方のままでどこまで行けるのか
今感じている息苦しさは限界のサインなのではないか
親はいつか死んでしまう
何も返さないままでいいのか
もう26だ
最低限の金と
ゲームがあればそれでよかった
でもまさか
ゲームに「働け」と言われるとは思いもしない
勝ちたければ働けと。
天を仰ぎながら少し首を掻く
普通働くといえばチャレンジなのだろうが
オレにとっては単なる諦め
社会に毒を盛られるという“諦め”を決断しなければ金は手に入らない
ふうー。
ため息と一緒にうつむいた顔を
両手に腰を当て
天に仰ぎ直す
働きたくねえな。
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