「俺は気が短ぇんだ、ただで済むと思うなよ」
「ふはは、腹をたてるとどうするのだ。妖精よろしく踊ってみせるのか?」
竜人の嗅覚は常人のそれと比較すれば鋭敏だ。その鋭敏な嗅覚が、自らのものとは異なる硫黄の匂いを嗅ぎつけた。
それは、相手が悪魔族であることを意味していた。
どす黒い瘴気の塊となったヴァンダムの放つ斥力に近づくことは出来ず、その変化を見守るしかない。
だからといって向こうにばかり準備をさせるほど生易しいことをするわけもなく、ミロクは左腕の拳帯の封印を解き、右腕と同様に肥大化するそれを満足そうに見やる。
繭を突き破り羽化する蝶のようにそれは現れた。
捻じくれた角、山羊のような潰れた瞳、背中には蝙蝠やあるいは翼竜のような翼が生え、下半身はもはや二足歩行する山羊のそれだ。まさに典型的な山羊の悪魔のそれである。
「もう生かしちゃおかねぇぞ!!!蜥蜴野郎!!!」
「ふはは、山羊風情が蝙蝠の翼を持った程度で龍に太刀打ちできる道理もなし……」
ヴァンダムは翼を大きく広げ、大気を打ち付け森のどの木よりも高く飛び上がる。
「悔しかったらここまで来てみろ!」
人の言葉では到底発音できない呪いを紡ぎ始めるヴァンダム、しかし、次の瞬間目の前に鋭く、長い尾が振るわれているのに気がついた。この距離を跳躍できるなどとは夢にも思っていなかったヴァンダムはそれを真正面からまともに受け止めてしまい、上空から一転めり込むようにして地面に叩きつけられる。
「グギギギ……」
「隙だらけですなぁ」
両椀から噴射する竜息の推進力で通常よりも速く落下してきたミロクはその勢いそのままに頭を叩き潰す。
その威力たるや、先程の激突とは比較にもならず。地面に大きな窪みをこさえあげ、周囲の樹木をなぎ倒した。
「む……浅いか」
しかし、それで済ませるほど悪魔は脆くはない。ヴァンダムは頭部にめり込む巨腕に右腕を触れようとするが、ミロクはとっさに腕を引いて距離を取る。
「……ッチ。知ってやがったか」
ヴァンダムの潰れた頭部が急速に復元を始め、こぼれ落ちた眼や脳髄も頭蓋に収まる。
知っているならネタを隠す必要もないと、ヴァンダムは足元の小石を一つ握りながら立ち上がる。
開かれた手のひらの中には、ドロドロに赤熱化し溶解した石があった。
山羊の悪魔の両腕には、溶解と凝固の力があると言われている。曰く、その右手は溶解を意味し、その左手は凝固を意味する錬金術にも精通する悪魔だと。
だとするならばこの魔剣を形作る真なる銀も、やつの手で生み出されたものに違いない。
「めんどくせぇ……術で一気に消し去ってやる……」
先程は跳躍で対応されたが、もっと速く、もっと高く飛べばいいだけの話。あの巨大な腕を利用した謎の加速には驚いたが、もしそれでこの高さまで飛んでくるようなことが合っても、油断さえしなければそれよりも速く術を構築するだけの自信はあった。
「む、高いな……」
再び飛び上がりながら術を構築するヴァンダムをミロクはただ見送った。
「へっ、やっぱこの高さまでは付いてこれねぇか……『火球』だァ!焼け死になァァアアア!!!!!」
巨大な火球を眼下目掛けて投げ落とす。森ごと焼けてしまうだろうがそんなことはヴァンダムにとってはどうでもいいことだった。
「ふはは、これはこれは……」
迫りくる巨大な火球を目前にしてもまだ、ミロクは余裕の表情を崩さない。そもそも、高熱を纏うミロクに炎の呪文がろくに効果を発揮できるわけがないのだ。しかし、だからといってあれを地面に落とせば森の外にいるリーアス達にも被害が及びかねないのは確かだ。
ならば、やるべきことは一つ。迎え撃つのみ。
大きく息を吸うと、その口内に光が宿る。極限まで圧縮された膨大な熱量が、龍の息吹として一点に向けて放たれる。極限まで細く絞った白熱するそれは、火球をいともたやすく貫通し、ヴァンダムの右肩を腕ごと穿った。それは右の翼を焼き、急速に高度が落ちていく。
「ギィィィイイイイイイイ…………ッ、な、なにしやがった!」
腕と翼を失ったあまりの激痛に術の構築は解け、炎は空中で霧散する。もはや空中だ姿勢を保っていられるわけもなく、みるみるうちに地面は近づいてくる。
高音の焦熱に焼かれた断面では再生が追いつかず、羽を失っているだめ身動きもまともにできず、眼下にはあの男が拳を溜めて待ち受けている。
悪魔は恐怖した。立ちふさがる運命に、たかが蜥蜴だと侮っていた男に、これから確実に身に降り注ぐであろう痛みに。
「獄炎龍爪」
鱗の隙間から吹き上がる赤黒い獄炎が腕を多い、それは巨大な爪を形作る。悪魔は、悪魔だからこそ、それは自らを焼く灼炎であることを十分に理解していた。
「ふざけるな、ふざけるなぁ!ふざけるなぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
泣きわめこうが、もはや無駄、悪魔は頑丈であるが故、恐怖で命を落とすことがない残酷な現実を受け入れるしかない。
「死にませい」
触れる前からすでにその高熱で肌が、羽が、爪が、角が、その全てが焼けているのがよく分かった。
すでに翼膜は焼け落ち、羽は意味を持たず空を切るだけになっており、目は弾け飛びものが見えなくなる。
落ちていくに連れ、少しずつ、確実に、熱が近づいてきた。
「たすけ……」
それは、懇願という悪魔にあるまじき最後だった。
獄炎の炎の腕に包まれた悪魔は、千里にも届く断末魔を上げて生きながらにして焼かれていくかに思えたのだが……
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