「――――新九郎っ! まだだ!」
「ええっ!?」
銀色の無機質な光に照らされた広大なホールに、奏汰の叫びが木霊した。
その黒い瞳にキラキラと星型の輝きを灯してドヤっていた新九郎は、自らが十字に切断した六業の、赤く縦に割れた瞳が未だにその光を失っていないことに気付いた。
『ア、ハハ……。馬鹿だなァ……俺は……。四人で、やろうって、姉さんには偉そうに言ったクセにさァ……。つい、カッとなっちまった……。小位は小位らしく……コツコツってのが……俺のやり方だったのにさァ……』
「こやつ、まだ……っ!?」
「はわーーーー!? い、いき、いき、生きてるうううううっ!?」
凪の祓を宿した新九郎の奥義を受け、六業の肉体は確かに崩壊を始めていた。もはや六業は無数に分裂することも、再生することもできない。そのはずだった。
『頼むから届いてくれよォ……! ただ馬鹿みたいに突っ込んで死にましたってンじゃさァ……格好悪すぎじゃんねェエエエエエ……ッ!?』
「やばい――――っ!? 凪! 新九郎!」
瞬間、六業の肉体を構成していた無数の蛇が、その内部から破裂するようにして赤黒い閃光を発した。その光の正体。それは純粋な破壊エネルギーの熱線。
「奏汰っ!? 何を――――」
「ひえええっ! か、かなたさあああん――――っ!」
それを見て取った奏汰は凪の小さな体を自身の胸の中にかき抱くと、空中で勇者の赤を発動。勇者の赤によって放たれた炎の勢いを利用して離れた位置の新九郎へと飛びつくと、もう片方の腕に新九郎をも抱きしめ、六業の放った逃げ場なき閃熱の渦に背を向けた――――。
――――ビキィ。
「ア……?」
その時だった。
六業は、自分の中で何かが砕けるような、割れるような音を聞いた。
熱線は放たれた。それは六業にとって捨て身の一撃であり、自分自身の肉体ごと滅ぼす技とも呼べぬような最後の足掻きになるはずだった。だが――――。
(アイツ……なにやってンだ……?)
ホールを埋め尽くす熱線と、その熱線の雨に打たれて焼き尽くされていく奏汰達を視認しながら、六業は全く別の光景を同時に捉えていた。
それは、人ならざる鬼という存在だからこそ持つ、超常の感覚器のなせる技だった。
六業がその超感覚の中で捉えたもの。それは、すでに自ら手を下した筈のさび付いた門の番人――――四の十六が必死に何かをその身の下に庇おうと熱線の中で砕かれていく姿だった。
(――――猫チャンが……いたのか……)
膨大な破壊エネルギーを放出し、崩壊していく自己機能の中。それでも六業は四の十六に意識を向けることを止められなかった。
四の十六の肉体を透過し、その下にあるか弱い生体反応を見た。自分を庇う四の十六を不思議そうにじっと見つめる小さな子猫の姿を見た。
六業は知っていた。
この地獄と凪や奏汰が住む世界を繋ぐ門は、四の十六のようにその門を繋ぐだけの機能を持った鬼によって形作られている。
それらの鬼は、現世と地獄を繋ぐという使命だけを与えられ、番人の持つ力もそのためだけに使われる。しかし時折、長い使命の中でその任務に支障を来す者が現れることがあった。
(アンタ……そんなに猫チャンのこと好きだったんだねェ……)
欲望の漏出――――。
その門を形作る個体ごとに千差万別な欲求が漏れ出し、その門の周囲に様々な影響を及ぼす。
それは六業のような位冠持ちの鬼にとっても原因不明の現象だったが、六業は四の十六にそうしたように、そうなった個体を今まで何体も処分してきた。一度そうなってしまった個体は、もう使い物にならないからだ。
今回、四の十六は猫に執着していた。恐らく、その執着によって漏れ出した力が門の外にまで及び、完全に外部から隠されていたはずの鬼の門の周囲に、大勢の猫を呼び寄せていたのだろう。だが――――。
(なーんか――――俺も、忘れてる――――よう、な――――)
だがその時、熱線によって打ち据えられる四の十六を捉え続けていた六業の脳裏に、今まで一度も見たことのない光景が浮かび上がる。
『ごめんね……ずっと……大好きだよ……』
六業の命が燃え尽きようとする刹那の時、閃光のように浮かび上がった映像。それは、震える六業の腕の中で涙を流し、血にまみれる女性の姿だった。
「ア……?」
女性の名前も、その表情すらもはや朧ではっきりとしない。
ただ一つ、自分の腕の中で冷たくなっていく彼女の温もりだけをはっきりと思い出せた。
「ア――――アア――――アアアアアッ!? あああああああああッ!?」
それが引き金になったように、六業はその全身から眩い閃光を放ち、光の中に消えた。彼はその最後の時、すでに奏汰のことも四の十六のことも見ていなかった。
ただ自身の中に突如として浮かび上がった、その鮮やかな記憶だけを見ていた。
かつて自分が確かに過ごしていた、幸せの日々とその終わりだけを見ていた。
もう戻らない日々に必死に手を伸ばし――――しかしその手は何もない虚空を掴んで消えた――――。
「――――あ、れ?」
奏汰は、自身の背後に紫色の障壁を展開して凪と新九郎を抱きかかえたまま衝撃に耐えていた。
それは勇者の紫と呼ばれる、絶対的な防御障壁を展開する力。
しかしその障壁は一方からの攻撃にしか対応できず、さらには障壁を展開している間は身動きが取れないという大変使い辛いもので、奏汰自身もこれで六業の最後の攻撃を防ぎきれるとは思っていなかった。
しかし六業が最後に放った熱線の渦は、いよいよ防ぎきれないという段階になってぴたりと止んだ。
不思議そうに背後を振り返った奏汰が見た物。
それは、ズタズタになりつつも静寂を取り戻した広大なホール。
そしてもはや原型を留めぬほどに砕かれ、物言わぬ骸となった四の十六に寄り添い、心配そうにみゃあみゃあと鳴く、小さな子猫の姿だった――――。
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