「なるほどのう……。ややこしい話じゃが、奏汰はここより何年も先の日の本の生まれなのじゃな?」
「そうなんだよ! 結局、俺は家に帰れなかった……!」
柔らかな日差しが木々の隙間から射し込む境内。
遅めの腹ごしらえを終えた奏汰と凪は、神社の拝殿と呼ばれる大きな建物のさらに奥にある本殿へと向かっていた。
凪が巫女として管理する神代神社は、江戸市中に水を供給する神田上水沿いから僅かに脇道に逸れた小高い丘の上に位置していた。
耳を澄ませば遠くからはかすかに上水道を流れる水のせせらぎが聞こえ、奏汰と凪の間をみずみずしい風が流れていく。
「しかしその異世界の神にも困ったものじゃな!? 奏汰のような恩人に、最後の最後でこのような仕打ちをするとはの!」
「いや、そこは別にいいんだ! 女神様だって、しようと思ってそうしたわけじゃないだろうしな!」
やや大げさ気味に両手をぶんぶんと振り上げて怒ってみせる凪に、奏汰はどこか達観したような笑みを浮かべて首を横に振った。
「……お主、もしや相当なお人好しか? さすがにこのような仕打ちには怒っても罰は当たらぬと思うぞ?」
「まあな!」
食事の時間からここまでの間、奏汰の事情をあらかた把握した凪だったが、聞けば聞くほどその内容はにわかには信じられないようなものばかりだった。
しかし凪は諸々の疑問は全て横に置き、まずは奏汰の話を全て受け入れることにした。たとえどんな事情でこの場にいたとしても、奏汰が鬼から人々を守るために戦ってくれたことは事実だったからだ。
「ほむ。ついたぞ。大した神様でもないのじゃが、とりあえず粗相のないようにの」
「わかった。気をつける」
凪は奏汰にそう言って目配せすると、小屋ほどの大きさの本殿の扉を大きく左右に開いた。
「お邪魔します!」
そこは、実に立派で美しい空間だった。
丁寧に削り出された檜の板張りで四方を囲まれ、正面の神棚状の場所には簾がかかっている。そしてその簾の奥には、禍々しく光る二つの紅い瞳と、やけにトゲトゲしい悪魔のような影が鎮座していた。
「ほう……まさか凪以外の者が余の元を直接訪れるとはな……。歓迎するぞ、にんげん……って、ゲーーーーーッ!? き、貴様はあああああッ!?」
「どうじゃ奏汰よ。その奥にいる陰気なのがここで奉っている神――――影日向大御神様じゃ。長生きしてて色々と詳しいのでな、もしかしたらお主の力になれるやも……どうしたのじゃ二人とも?」
「下がれ凪っ! こいつは俺じゃなきゃ駄目だッ!」
それは、正に一瞬の出来事だった。
隣に立つ凪を自身の腕の中に庇うように抱えると、奏汰は即座にその手に自身の剣を握った。剣は確かに鞘に収めて別室に置いてきたはずだが、奏汰の持つ勇気の剣リーンリーンは、呼べばどこからでも即座にやってくる。そして――――。
「にょわーっ!? なんじゃなんじゃ!? まさか二人とも知り合いじゃったか!?」
「この邪悪な魔力……俺は絶対に忘れない! 今度こそ、今度こそ滅ぼしてやるぞ……大魔王!」
そう、奏汰がたった今感じた恐るべき魔力。それはかつて彼が異世界で対峙し、死闘の果てに倒したはずの大魔王の物だったのだ。
「な、なぜだ! なぜ貴様がここにいる!? いや待て! 待ってくれ! 余の話を聞いてくれ勇者よっ!」
「黙れえええええっ!」
叫ぶ奏汰。奏汰は凪を抱えたままその全身から激しい七色の光を放射状に輝かせると、目にもとまらぬ速さで眼前の簾ごと禍々しい影を横切りに両断した。だが――――。
「かつてのことは本当にすまなかった……っ! この通りだ、頼むからどうか余の話を聞いてくれ……っ! 勇者奏汰よっ!」
「っ!?」
切断された簾の向こう側。
そこには、円盤状の平べったい胴体の中央にぽっかりと大穴を空けた、ドーナツ状の体にカタツムリのように伸びた二つの目を持つピンク色の謎生物が、ぱたりとうつぶせに倒れて土下座……? のような姿勢で平伏していた。
「あ、あれ……!? お前ってそんな形だったっけ!? 前は、なんかもっとこう、ドカーンと……」
「いや……余がこんな姿になったのは貴様にやられたからなんだが……」
「なんじゃなんじゃ? うちの神はまたどこぞで悪さでもしておったのか? まったく、本当にどうしようもない奴じゃな!?」
板張りの床に敷かれた畳の上。もぞもぞと蠢くピンク色の謎生物。
あまりにも記憶と違いすぎる大魔王のその姿に、奏汰は呆気にとられて剣を降ろすのだった――――。
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