「では、どうかお気をつけて……」
早朝のあやかし通り。
僅かに湿り気のある空気の下。うっすらともやのかかった通りは、朝陽を受けて白く輝いているように見えた。
「ああ! 玉藻さんも、ぬらりさんも……みんなも色々ありがとう!」
「予定よりも随分と長く世話になってしまったの。奏汰の言う通り、今回は本当に助けられた、ありがとうなのじゃ!」
そんな光り輝くあやかし通りの奥。崩れて燃えたいくつかの建物に麻地の覆いがかけられ、再建途中であることがわかるあやかし御殿の前。
帰り支度を終えた奏汰と凪が、大勢のあやかし達の前で頭を下げた。
「いいえ……御礼を言うのは私どもあやかしの方です。お二人があの時この場にいてくれなければ、もっと多くのあやかしの魂魄が失われていたと思いますよ」
「ほんにほんに! 儂など普段は偉そうにしておるが、戦場ではなんの役にも立たんのでな! 我らあやかしを代表して、礼を言わせて貰いますぞ。剣殿、姫様」
「……まあ、神社とここはそんなに離れてないし。また来たくなったら来たら良い……。凪も奏汰も……二人とも、結構尊かったよ」
「どっそいどっそい! 明かりが必要になったらまたいつでも呼ぶといい! すぐに駆けつけるでの! ワハハハハ!」
玉藻とぬらり翁を先頭に、夜回りを共にした雪女郎の凍や、輪入道もその中に加わっていた。さらには彼らの回りには、まだ早朝とあって眠そうな目をこするあやかしの子供たちの姿もあった。
あやかし通りへの翠の大位――――塵異の襲撃から三週間が経っていた。
奏汰の受けた傷と負担は大きかったが、凪やあやかし達の献身的な介護は奏汰をみるみるうちに回復させ、同時に奏汰の心の癒やしにもなっていた。
「俺、最初この場所に降って来た時、本当は凄く辛くて……嫌だった。ようやく自分の家に帰れると思ってたのに、帰れなかったからさ……」
奏汰は見送りに集まってくれたあやかし達一人一人の目をみつめ、顔を向けながら噛みしめるようにそう切り出した。そして――――。
「でも今はそんなことないっ! ここに来れて……あやかしのみんなと会えて良かった! 俺の力が皆の役に立てて良かった! 俺がそう思えるようになったのも、全部みんなのお陰だ――――ありがとう!」
「剣様……。貴方のそのお言葉だけで、充分ですよ……」
「うっ……! なんなの、これ……? と、尊すぎるでしょ……溶けそう……っ」
その熱い双眸に力強い輝きを宿し、大きく頭を下げて感謝を伝える奏汰。
あやかし通りにやってきた時の奏汰とは比較にならない、見違えるような魂の光を取り戻したその姿に、玉藻は感じ入るように目を細め、ぬらり翁は満面の笑みで何度も頷き、凍は貧血になって倒れた。
奏汰にとって、約一ヶ月にも及ぶ休息はかつて母と共に過ごしていた生活以来だった。
七年にも及ぶ過酷な戦いの日々ですり減り、乾いていた奏汰の心は、あやかし達と過ごした穏やかで賑やかな日々の中で瑞々しくその活力を取り戻しつつあったのだ。
「ほむほむ……。しかし玉藻よ、こうして長く面倒を見てくれただけでなく、このような物まで山ほど頂くのはさすがに気が引けるのじゃが……」
「そ、そうだよな。俺もこれはいくらなんでも貰い過ぎな気が……」
そう言う凪の目線の先。そこには大層立派な荷車が用意されており、その上にはこれまた太い縄で何重にも固定された山ほどの野菜や米、干されたアワビや魚などが積み重ねられていた。
今の時分、このような豪勢な食事は上級の武士でも口にしてはいないだろう。
「ほほほ……。それだけ私どもの感謝の気が大きいと言うことです。こちらには剣様のために機尋に織らせた鬼の気を防ぐ外套も乗せてあります。きっと、鬼との戦いでお役に立つはずですよ」
「そんな……少なくとも俺はもう充分みんなに良くしてもらったよ! それに、俺は別に御礼を貰いたくて戦ったわけじゃ……」
「――――剣様」
そのあまりの量に目を丸くし、あくまでも受け取れないと言葉を発しようとする奏汰。だがそんな奏汰に向かって玉藻はすっと音も無く近づくと、奏汰の唇に細くすらりとした冷たい人差し指を当て、それ以上の言葉を止めさせた。
「これは命の対価なのです。剣様も、姫様も……此度のお二人は私どもあやかしのため、命をかけて戦って下さいました。本来、お二人が成し遂げたことの対価は、この程度の品々で払いきれるような物ではありません――――」
「玉藻さん……」
玉藻は悪戯っぽい笑みを浮かべ、妖艶さと深い優しさの両方を備えた美しい笑みを浮かべると、僅かな間を置いてその指先を奏汰の唇から離す。
「どうか遠慮せず、命の対価をお受け取りなさいな。私たちも、そうして剣様や姫様に喜んで頂きたいのです。もちろん、きっとこれからお二人が救う大勢の江戸の衆だってそうです。このような時代だからこそ……皆命の重みを感じて生きているのですから」
「……そうか」
「うむ……確かに玉藻の言う通りかもしれんな。ごねたりしてすまんの。ありがたく頂戴していくことにするのじゃ!」
玉藻のその言葉に、奏汰はなにか思うところがあったらしく難しい表情になる。二人のやりとりをじっと見つめていた凪もまた大きく頷くと、玉藻や他のあやかしに心からの感謝を述べた。
「ふふ……いっそのこと、鬼退治を商いにしてしまってはいかがです?」
「商いって……鬼と戦うことを?」
「ええ。町に住む皆の命を守るような重大な行為、無償でされては逆に心苦しいというものです。良いじゃないですか、剣様は元々勇者というお仕事をされていたのでしょう? 勇者商売――――きっと、繁盛しますよ」
奏汰は玉藻の言葉になるほどと感心すると、ぱっと笑顔を輝かせて何度も頷いた。
「そっか……それもいいかもな! ありがとう玉藻さん。そういうの、もっとちゃんと考えてみるよ!」
「はい……どうか剣様の思うまま、正しいと信じるままにお生きなさい。またお会い出来る日を、楽しみにしておりますよ――――」
玉藻は言うと、深々と背を曲げて頭を下げ、二人の出立を最後まで見送ったのだった――――。
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