「傷の具合はどうじゃ奏汰よ……? 今回も結局こうなってしまったのう……」
「うーん……俺も反動の少ない赤メインで戦ってみたりしたんだけど……」
大きな白洲の庭を見渡すことのできる広々とした縁側。
武家街への鬼の襲撃を退け、傷の手当てを終えた奏汰と凪が、まだ肌寒い夜風の中でどこまでも広がる星空を見上げる。
空から降り注ぐ満月の光が庭に敷き詰められた白く滑らかな砂粒に反射し、庭全体が白くぼんやりと輝いているように見えていた。
ここは江戸城すぐ横にある討鬼衆詰所。
視線をぐるりと横に向ければ、江戸城の頑健な石垣がそびえ立ち、その向こうに一際高い物見櫓が建っているのが見えた。
「やっぱりあの喋る鬼が強いんだよ! あれだけ強いと、抑えてどうこうってのじゃ無理がある! 俺ももっと強くならないと……!」
「先刻奏汰が戦ったのは、位冠持ちの中でも最も格下の小位の鬼じゃな。私が今まで倒した位冠持ちの鬼も、全て小位の鬼じゃった。一番弱いといっても、とんでもない強さなのは重々承知しておるがの……」
苦々しげにそう呟く凪のその横顔は、今まで彼女がいかに鬼相手に苦渋を舐めさせられてきたかをありありと映し出していた。
人類としての限界を遙かに超えたと言える超勇者の奏汰が加わってもこれなのだ。凪やあやかし衆、そして討鬼衆達が一体どれだけ鬼を相手に決死の戦いを続けてきたのか、想像するのは容易かった。
「あの鬼――――俺と凪が倒したおっさんの鬼の奥さんだって言ってた」
「そうか……鬼にもそういうのがあるのじゃな。 ――――初耳じゃ」
「凪も知らなかったのか?」
「小位はともかく、大位と会って生き延びた者は少ないのじゃ。位冠持ちの鬼とまともに対話できるような実力者も限られておる。それにの……そういう強く、立派な奴に限って早くに死ぬ……」
呟くように言った奏汰の言葉に、凪はその感情を窺わせぬ様子で答えた。
凪が見せたその様子には、凪自身が鬼に対して甘さを持たぬよう、決然たる思いで対峙していることを強く滲ませていた。
「その話を聞いて奏汰はどう思ったのじゃ? 鬼を哀れに思ったりしたかの?」
「そうだな……。正直、あの場でそんな余裕はなかったよ。ただ――――」
「ただ?」
凪は奏汰を疑うでもなく、責めるでもなく。その澄んだ青と黒の混ざり合った瞳で奏汰を見つめながら尋ねた。
「――――あのおっさんはむちゃくちゃ強かった。鬼ではあったけど、最後まで卑怯なこともしてこなかった。そして俺は皆を守る勇者として、人の側に立って正々堂々あのおっさんと戦った。その答えはもう――――俺の剣が出した」
奏汰は僅かに考えた後、一つ一つ言葉を選ぶようにして正直に伝えた。
「それに――――そんなことで俺がうだうだしてたら、あのおっさんだって怒るだろ。そんな半端な気持ちで命を奪うなんて、誰に対してだって最悪だよ」
「なんとも……戦国の世の武士のような物言いをする奴じゃな奏汰は……」
「まあ、俺も今まで色んなのと戦ったからなぁ……」
奏汰はそう言って縁側に足を投げ出したまま、ごろんと後方に寝そべって空に浮かぶ月を見上げた。
凪は何も言わず、戦いしか知らずに長い時を過ごしてしまった奏汰を慈しむように、寝そべった奏汰の額にそっとその小さな手を当て、優しく撫でた――――。
「――――あの、剣さん……いますか?」
「ん? ああっ、新九郎っ!? 怪我はどうだ? 大丈夫か?」
その時、縁側に座る二人の背後の部屋から、様子を伺うようにして藍色の小袖袴姿になった新九郎が現れる。
新九郎の手首や首元には手当の跡が見えていたが、本人の顔色自体は良く、大きな痕になるような怪我も負っていなかったようだ。
「あ、はいっ! その……あの……剣さん……いえ、奏汰さんのお陰で……こうして生き延びることができました……。僕、お二人に御礼が言いたくて……っ」
麦湯屋で出会った時とは打って変わり、なんともしおらしくその美しい顔を俯かせた新九郎は、なぜかその頬をうっすらと赤らめながら奏汰と凪に深々と頭を下げて感謝を伝えた。
「いいよそんなの! 俺一人じゃ町の人を守り切れなかっただろうし、とっても助けて貰ったよ! なんかさ、今日初めて会ったにしては俺たち三人って結構上手く戦えてなかったか?」
「ほむほむ。私もそう思うぞ徳乃よ。最初はすっかり侮っていたが、なかなかどうして、徳乃はやる奴じゃった!」
「ええっ? そ、そうですかっ!? やっぱり!? やっぱり僕の力が必要ですかねっ!?」
「ああ! これからもよろしくな、新九郎!」
「ああああ! 奏汰さああああんっ!」
しかし新九郎がしおらしかったのもそこまで。
奏汰と凪が口々に新九郎の功績を讃えると同時。新九郎は下げていた頭をがばっと上げ、ずずいと二人の傍まで一瞬で近づくと、二人の手をがっしりと握り締めてその瞳を輝かせた。
「でもさ、新九郎が女の子だったのには驚いたよ! てっきり男だと思ってたからさ!」
「それはそうじゃな。男が女の格好をするのは歌舞伎座などでもよく見かけるが、逆は珍しいのではないかの?」
「あ……はいっ! その……それについては僕の家の都合で……出来れば、僕が女だということについては、内密にして欲しいな~……なんて……」
奏汰と凪が新九郎の性別について言及すると、新九郎は気まずそうに目を逸らし、落ち着かない様子でもそもそと肩を左右に揺らした。そして――――。
「――――そのことについては俺から話そう。構わぬか? 新九郎」
「あ、父上……っ!?」
その時、庭の白洲を踏みしめる足音がその場に響いた。
三人が同時にその音の方向へと目を向けると、そこには丁寧にしつらえられた薄橙色の着物を身につけた、大層立派な体躯の青年が月明かりの下に立っていた。
「お初にお目にかかる。神代凪姫命様、そして――――剣奏汰殿。俺の名は徳川家晴――――徳川将軍として、当代の徳川の世を預かる者だ」
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