「そういうことだったのですね……流石は巫女様ですっ!」
「ほむ?」
初夏の昼下がり。西日を避けるべく大きな簾によって作られた涼しげな日陰の下、その美しい双眸を輝かせて藍色の小袖袴姿の少年が声を上げた。
馬三郎が切り盛りする麦湯屋兼居酒屋で、突然見ず知らずの少年――――徳乃新九郎に声をかけられた凪と奏汰。
二人は新九郎の促すまま、当初の予定を変更してそのまま馬三郎の麦湯屋で新九郎と話を続けていた。
「大位の鬼には僕たち討鬼衆も手を焼いていました。それをたった一人で倒すなんて……尊敬しますっ!」
「んん? お主、ちゃんと私の話を聞いておったか? 私一人では倒せんかったと言っておるんじゃが?」
「ははは。そう謙遜なさらないでください。今の巫女様のお話を聞いて、僕も討鬼衆としてより一層励もうと決意を新たにしていたところですっ!」
「ほんとだよな! 俺も凪には助けられてばっかりでさ、いっつも感謝してるんだ」
「……それでですね巫女様、僕はまだまだ貴方に聞きたいことがあるんです」
一つの長椅子に三人で並び、一見すると凪と奏汰と共に和やかに談笑する新九郎。
しかしその様子を見ていればすぐにわかるが、先ほどから新九郎は凪としか話をせず、奏汰とは会話どころか目も合わせずに、まるで存在しないかのような扱いで接していた。
「おい……さっきから何度言わせるつもりじゃ? 大位の鬼相手に私一人では太刀打ちできんかったと言っておろうに。終乃祓も構えが長すぎてとてもではないが実戦向きではなかったのじゃ。それを――――」
「あ、そこのお姉さん! こちらの巫女様に新しい冷や水を持ってきてもらってもいいですか?」
「はい! ただいま!」
あまりにも露骨な新九郎のその態度に、いよいよ凪も怪訝なものを感じて強めに訂正を求めようとする。
しかし新九郎はすかさず手を挙げ、輝くような笑みを浮かべて給仕の女性に声をかけると、凪の追求すらどこ吹く風といった体でさらりと躱して見せた。
「あ……あの、どう、ぞ……」
「ありがとうございます(キラッ!)」
「はぅ……っ」
注文された冷や水を新九郎に手渡そうと傍までやってきた女性に、その長く艶のある睫を物憂げになびかせて微笑む新九郎。
新九郎のあまりの美しさを正面から受けた給仕の女性は、その威力に耐えきれずに立ったまま失神してしまう。
「ひええ!? 勘弁してくれよ新九郎! これで今日何人目だと思ってやがる!? うちの娘っこ全員気絶させてくつもりかよぉ!?」
「あらら……これは困りました。申し訳ありません馬三郎さん、いつも僕のせいでお店にご迷惑をおかけしてしまって……(キラッキラッ!)」
「お、おお……!? い、いや……気にすんねぇ! かまやしねぇからよぉ……!」
なんということか。力なく倒れそうになる給仕の女性を支えに、颯爽とその場に現れて新九郎に文句の一つでもと口を開いた店主の馬三郎。
しかしそんな馬三郎ですら、やはり新九郎の物憂げに俯くその圧倒的可憐さと魔性の美しさにやられ、頬を真っ赤に染めて引き下がってしまったのだ。
「なんかあれだな? さっきからここで貧血になる人多いな? 大丈夫かな?」
「……いいや、奏汰よ。私もそろそろ我慢の限界じゃぞ。 ――――おい徳乃とやら」
「はい、なんでしょう?」
明らかに常人の十倍は美しい笑みをにこやかに湛えたままの新九郎に、凪はついにその場から立ち上がって詰め寄った。
「お主の目的はなんじゃ? 話を聞きたいと言っていたが、実際には全く聞く耳もたんではないか。喧嘩を売っておるというのなら、遠慮なく買うのが神代のしきたりじゃぞ?」
「フフ……喧嘩、ですか。それはまた血の気の多いことですね」
新九郎は困ったようにそう言いながらも、笑みを絶やさず落ち着いた様子で凪に対する。そして――――。
「そうですよ。巫女様の仰る通り、僕は喧嘩をしにここに来たんです。そこに座っているどこの馬の骨とも知れぬでくの坊のゆうしゃとやらに、神代神社から出ていって頂きたいのでっ!」
「な……なんじゃと!? お主、私と奏汰が共に暮らしておるのも知っておるのか!?」
そう言うと、新九郎は突如として凪のさらに向こう側に座る奏汰に対して鋭い眼光を向けた。
しかもそれだけではない。この場に来てから一度も口に出さなかった凪と奏汰の神代神社での同居についても、新九郎はすでに把握していたのだ。
「ん? でくのぼうって俺の事か? っていうか、でくのぼうってなんだ?」
「お主……私の前で正面切って奏汰を馬鹿にした挙げ句、あからさまに喧嘩を売ってくるとはの! 良い度胸じゃ! この凪姫命が相手になるぞ!」
挑発するような新九郎のその物言いに、凪は不機嫌さを隠そうともせずに鼻息荒くファイティングポーズを取ってすぐさま応戦の構えを見せた。
いかに浮き世から離れた神職とはいえ、凪は生まれも育ちも江戸という生粋の江戸巫女である。
先ほど凪が自分で話したとおり、売られた喧嘩はタダでも買えというのが神代神社の最も重要な教えの一つだった。
「はっはっは! いいえ、僕は貴方のような可憐な巫女様と争うつもりは一切ありません。僕が戦いたいのはただ一人。そこにいるにっくき僕の恋敵――――剣奏汰、お前だああああっ!」
「俺かよ!?」
新九郎はそう言うと、その美しすぎるかんばせにあからさまな憎悪を浮かべ、座ったままもぐもぐと団子をほおばる奏汰にびしぃっと指先を向けたのだった。
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