少し前。
最後の一匹、こちらに向かって駆けてくる狼にばらまいた銃弾が数発撃ち込まれ、もんどりうって倒れて消滅した。
「よし、おしまい」
敵の気配がないのを確認して、佐久間はそう言ってリロードをした。
敵モンスターに対して、近寄られたら自分たちが不利になるであろうことは予想がついていた。だから、佐久間は霜尾と一緒に前方の偵察に向かう中で、ルールを決めていた。あくまでも定説だから、徹底的に戦闘は避ける。そして、前方に進むために戦闘が避けられない場合、遠距離からの霜尾のスナイパーライフルで先制攻撃をして敵を減らし、近づいてくるところを寄り切るまでに佐久間がアサルトライフルで削り切る。
この方法はうまくはまった。これまでに十数匹のモンスターをノーダメージで倒し、二人ともレベルアップしていた。
「よお、霜尾君」
また身を低くして偵察のための前進を再開して、佐久間は後方の霜尾に向かって語りかける。
「本当に最高だよな。ゲームでエイムをするのと同じ、いや下手をしたらそれよりも簡単に、銃で敵を狙える。レベルが上がるたびに感覚が研ぎ澄まされていく。いい気分だ。なあ?」
返事はない。霜尾は黙って後ろからついて来ているだけだ。だが佐久間はそんなことを気にしなかった。
「だけど、俺たちの気分がいいのは、それだけが理由じゃない。気付いてるか、霜尾君? 運よく俺たちは攻撃をくらってないけど、もしも食らったら多分血が出るし死ぬかもしれない。俺たちは殺し合いをしてる。なのに、どうしてこんないつも通りなのか。こんな訳の分からない世界に放り込まれて」
相変わらず気配はないが、霜尾が一応耳を傾けている気配は背中に感じた。足を止めず、佐久間は喋り続けた。
「あの薬だ。こっちの世界に転送される直前に打たれたあの薬――あの中に多分、『そういう成分』が含まれてたんだろ。詳しくはないけど、違法薬物か何かじゃねえかな。じゃなけりゃ、霜尾君みたいな引きこもりがこうやって戦場でパニックにならずに動けてるはずがないもんなあ」
びくり、と後ろで震える気配。
「何だ、俺が霜尾君のことを知ってるのが不思議か? 俺は――」
そこで、佐久間は言葉を止めた。前方に、これまでとは違うものを確認したからだ。敵ではない。建造物だ。
「――古城?」
霜尾がかすれた声で呟いた。
確かに、佐久間にもそう見えた。いや、城というほど巨大なものではない。石造りの小さな砦。それも、かなり古く、倒壊しかけている。
足音を殺して、ゆっくりと二人で近付いていった。
近付けば近付くほど、その砦がどれだけぼろぼろなのかが見えてきた。それはほとんど瓦礫の山だった。だが、そこをおそらくは一時的な拠点に使っていた。モンスターたちが。
今までの狼やウサギとは違う、もっと奇妙なものたちがそこにはいた。小さく古い砦を出入りしていたのは、成人男性の半分ほどの背丈の、人型をした化け物。頭がやたら大きく、簡素な布を腰に巻き、全身は緑。こん棒や槍を持っている。
ゴブリン。それが、最初に佐久間の頭に浮かんだものだった。
ゴブリン共は何かを喚き合っている。言葉を聞き取ろうとするがうまくいかない。そもそも言葉を喋っているのかもはっきりとしなかった。
「そうだ。攻撃だ」
不意に意味の分かる声がした。低く重く響く声が。
その声と共に、のっそりと砦から現れた巨大な化け物。身の丈三メートル以上はあろうかという牛の化け物だった。ミノタウロスだ、ともう驚きが麻痺した頭で佐久間は考えた。
「人間共の拠点を叩き潰す。森から出る。行くぞ」
ミノタウロスの単純な指示と共に、太い筋肉の塊のような腕が振られた。おそらく、そちらの方向へと進行するという意味だろう。そして、それは佐久間たちの拠点の方向だ。
まさか自分たちの拠点の場所が分かっているわけではないだろう。それなら、その拠点からここまでまっすぐ来ている自分たちが補足されていないはずがない。そう佐久間は考えた。おそらく、奴らの言っている拠点とやらは自分たちとのものとは別だ。だがまずいことに、その目標地点へのルート上に自分たちの拠点があるということだ。これは、本気でまずい。
「全速力で戻って報告だな」
背後の霜尾に小声で言ってから、退却しようとした佐久間の目の前に、突如としてゴブリンが走りこんできた。おそらくは、何の意味もなく。ただ単に、無目的に喚きながら周辺を走り回っていたのだろう。ミノタウロスに意識が集中している隙に、そいつがここまで近寄ってきていたのだ。
「あ」
まずい。目が合った。ゴブリンがひときわ大きな声で喚こうとするのか、口を大きく開けた。
迷っている暇はない。至近距離から、全弾撃ち込んだ。そのゴブリンは体を踊るように揺らしながら吹っ飛んだ。
同時に、その銃声を聞いて他のゴブリン共、そしてミノタウロスが佐久間の方を向いた。
「走るぞっ」
佐久間が叫んだ時には、既に背後の霜尾はスタートしていた。走りながら、振り向きざまにスナイパーライフルでゴブリンを射撃した。胴体に銃弾をくらったゴブリンが一匹倒れた。
よくないな。舌打ちしながら佐久間も走り出した。さっき佐久間が撃ったゴブリンも、霜尾が狙撃したゴブリンも、どちらも倒れてはいるが死んでいない。起き上がりつつあった。狼やウサギと違って、こいつらは防御力か生命力が高いらしい。
「脚だっ」
叫びながら、佐久間は自分でも走って追ってくるゴブリンたちの足元に向けて乱射した。
倒すのではなく、脚を負傷させてスピードを落とさせる。そうして、逃げ切る。それしかない。
霜尾も、走りながら、ほとんど一瞬で振り向きざまに追手の脚を狙撃していった。
こんな状況ながら、嫌になる技量だと佐久間は舌を巻いた。
『佐久間、霜尾、戻ってこい』
このタイミングで冬村からの撤退命令。今その最中だ、と文句を言う暇もなかった。
「ぐっ」
ついに一匹のゴブリンが迫ってきた。こん棒の一撃。クリーンヒットはしないが、衝撃と痛みで気が遠くなった。それでも佐久間は足を止めるわけにはいかないから、とりあえず足を動かし銃を撃ち続けた。
槍の一撃が佐久間の腹を掠った。いつの間に全身傷だらけだった。視界の端で、霜尾も同じように傷だらけになっているのを確認した。それでも、ようやくゴブリンたちを振り切れたようだ。
息を切らしていた佐久間と霜尾は崩れるように一度止まり、肩で息をしつつ、リロードしておいた。九死に一生を得るとはこのことだ、と佐久間は思った。
「ああ、助かった――霜尾君、もうゴブリン野郎共は周囲にいないよね?」
「あ、ああ……あ」
ぜえぜえと言いながらもライフルのスコープを覗いて周囲を確認していた霜尾が、突如として体を固めた。同時に発砲。
ゴブリンを見つけたのだろうか、と佐久間が思ってそっちに銃口を向けようとした、それよりも先に。
「に、逃げ」
スコープを覗いたままでそう言った霜尾の体が、宙を舞った。
巨大な何かが、凄まじいスピードで霜尾に激突したのだ、と遅れて理解した。
その巨大な何か――ミノタウロスがこちらを向き、無造作に手に持った巨大な斧を払った。
銃撃。佐久間の銃弾を全身に浴びたために少しだけその斧の軌道はずれて、おかげで佐久間の命を奪わず両腕を砕くだけで済んだ。
吹き飛ばされて、地面に激突した。何とか体を起こした佐久間は、すぐ傍に同じように地面に激突して、そうしてぴくりとも動かない霜尾を見つけた。
「マレビトか。育つ前のマレビトを見つけるとは運がいい」
ミノタウロスが何か言っていたが、佐久間にはそれを考える余裕がない。激痛と絶望におぼれそうになりながらも、必死でここからの逆転の方法を考えながら、這って霜尾のすぐ傍まで寄った。霜尾は、まったく動いていない。首も含めて、全身がてんでばらばらな方向へ曲がっていた。
「仲間をかばうのか。そいつは死んでいるぞ。人間は相変わらずだ」
低く嘲笑ってから、ミノタウロスは佐久間の前に立った。全身に銃弾を受けたというのに、どう見ても軽傷だった。
「喋れ。他に仲間はいるのか。言えば楽に殺してやる」
「……ああ」
折れた両腕を霜尾の体に当てて、佐久間は呻いた。
「どっちにしろ死ぬの? じゃあ、喋らないよ」
「両脚を砕かれても同じことを言えるか?」
そう言ってミノタウロスが斧を振り上げた。
「分かった、分かったよ、嘘嘘。話す、話すよ」
痛みのために脂汗を滲ませながら、佐久間は血の混じった唾を吐き、
「俺はFPSが専門だ。それも、チームで協力してってやつが多い」
「……?」
明らかに、始まった訳の分からないであろう話にミノタウロスは戸惑っていた。
「この霜尾ってのはバトルロワイヤル系が専門だから、同じように見えて実は全く違う。最初こそ同じスキルを持っていたけど」
「何の話をしている?」
「レベル3になって、新しいスキルを覚えたんだ。俺らしいスキルを」
『スキル:緊急救助 レベル1が発動しました』
そのシステムメッセージが佐久間の頭の中で流れた瞬間、さっきまで死んでいたとしか思えなかった霜尾の体が動き、スナイパーライフルの銃口がミノタウロスを向いた。
完全に死体だと思っていた霜尾が動いたことに反応できず、無防備なミノタウロスの右眼に至近距離からのスナイパーライフルの銃弾が突き刺さった。
物を言わずにミノタウロスはそのまま昏倒する。
同時に、それが限界だったらしく霜尾もぐったりとした。
所持スキル:・緊急救助 レベル1
説明:戦闘不能になった味方の傍で発動することで戦闘に復帰させることができる。
ただし、発動までにタイムラグがありその間は無防備となる。
戦闘復帰の程度はスキルレベルに依存。
やはり、レベル1だと、一度なんとか体を動かすことができる程度か。それでも、よくその一度で倒してくれた。佐久間は安堵の息を吐いてから、ぎくりとした。
昏倒したミノタウロスの、全身の銃創と、右眼の傷。それが、ゆっくりとだが回復していたのだ。
死んでない。おまけに、自動回復だと?
呻きながら、ミノタウロスが身もだえし出した。
だんだんと、脚を撃たれたゴブリンたちが近付きつつある気配もしてきた。
「くそっ」
殺しきれない。そもそも、自分がいつ倒れるかも分からない。激痛に耐えながら、佐久間は肩に霜尾を背負うと、その場から這うようにして距離をとる。
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