ユンユにとって、冬村の事前の作戦でもっとも信じられず、意味不明だったのはこの部分だ。蒼井というマレビトと、ミノタウロスを一対一の状況に持ち込む。そう言っていた。意味が分からない。それは、ただ蒼井が死ぬだけだ。ユンユには、そしてソフィアにもそう思えた。だが作戦に異は唱えなかった。非情と言われようとも冷酷と言われようとも、その作戦を否定しても代案を提供することができないから沈黙するしかなかった。そう、ユンユにとっては、ミノタウロスが現れた時点で絶望的なのだから。
「一対一なら、俺の領分だ――全員離れとけ。巻き込まれて殺されるのが怖いからな」
リラックスした口調でそう言って、手足をぶらぶらと揺らしているが、蒼井の目は一切の油断なくミノタウロスを見ている。
事前の指示通り、ソフィアが高速詠唱で蒼井の攻撃力をアップさせる。
「何だ貴様、人間……一対一でまさか人間如きが俺に」
喋っている最中のミノタウロスに対して、蒼井は無造作に蹴りを打ち込む。
「……固いな」
そう言って蒼井は首を傾げている。
当たり前だ。いくら魔術で強化しているとはいえ、レべル3の蹴りがミノタウロスに通用するはずがない。
ミノタウロスの斧の一撃。蒼井はわずかに体を沈ませて、紙一重でかわす。かわしながら、今度は拳を打ち込む。もちろん、相手はほとんどダメージを受けた様子はない。
苛立ったらしくミノタウロスが吠える。同時に斧の一撃。それをかわした蒼井だったが、
「があっ」
ミノタウロスは斧を振った勢いを利用して、そのまま肘をかわした直後の蒼井にぶつける。
死んだ。
つぶれてしまう蒼井の姿が脳裏に浮かぶ。だが、あろうことか、その肘の一撃を蒼井は両腕で防御して受け止めている。一歩も動くことなく。
「……何?」
体格もパワーもスピードも、全てが違う自分の一撃が受け止められたことに、ミノタウロスがぽかんとしている。
驚きかたでは、ユンユ、そしておそらくは隣にいるソフィアもミノタウロスに負けていない。自分の目を疑うしかない。
「なるほど。ガードしたら削りはほとんどないな、その攻撃は……斧はさすがにガード不能技だろうが」
ユンユには意味不明なことを呟いた蒼井は、驚きのあまり無防備になっているミノタウロスの眉間に拳を叩きこむ。
「――ぬあ」
ミノタウロスがよろける。
そして蒼井の拳が次に突き刺さったのは、斧を握っているその指先だった。
手の指。足の指。そこに次々に拳と蹴りを叩きこんでいく。
「があっ」
ミノタウロスが斧を取り落とす。見れば、指は全て折れている。さすがに全力の攻撃を指一本に向けて数発叩きこまれれば、折ることはできるのだ。だが、瞬時に指の骨折程度なら再生してしまうはずだ。一体、ここからどうやって。
「さて、新しいスキル――試させてもらうぜ」
そう言った蒼井はミノタウロスの胴体を蹴る。あまりダメージを受けているようには見えない。だがミノタウロスが反撃しようとした瞬間、今度は再生しかけている、折れている指を蹴る。
「ぐ」
奇妙なことにミノタウロスの動きが止まる。そしてまた殴る。あるいは蹴る。そして反撃と同時に折った指を攻撃する。また動きが止まる。
一方的だ。結果として、一方的に、ミノタウロスに攻撃を続けている。
『ソフィア。蒼井にバフを続けろ』
「――あっ、はっ、はいっ」
ユンユと同様に、目の前のあり得ない光景に呆然としていたソフィアは、冬村の指示に慌てて必要のない返事を返し、法術で蒼井の攻撃力を強化する。
その間も、ずっと蒼井はミノタウロスを攻撃し続けている。殴る。蹴る。反撃に対しては折れた指に攻撃をして動きを止める。だんだんと、ミノタウロスの動きが鈍くなってくる。ダメージが、蓄積されているのだ。
殴る。蹴る。どんどんとミノタウロスが、目に見えてぼろぼろになっていく。
事前の情報共有で見た蒼井のスキルを思い出す。
所持スキル:・ジャストカウンター レベル1
説明:敵の攻撃直前の適したタイミングで攻撃することで、大ダメージと共に敵の攻撃を中止させる。
ダメージ量はスキルレベルに依存。
あのスキルの、効果か。
そして、やがて、蒼井の息が荒くなり、
「――ああ、もう、無理だ」
とうとう連撃が止まる。
それと同時に、ぼろ雑巾のようになったミノタウロスの体がぐらりと揺れて、そのまま地面に倒れる。
どっかと、蒼井は倒れたミノタウロスの横にあぐらをかいて座る。大きく深呼吸をしている。
とどめ。落ち着いている場合じゃあない。とどめを刺さなければ。
ユンユが慌てて前に駆け出そうとしたところで、足が止まる。
「とどめは俺にやらせてくれよ、いいでしょ?」
いつの間にか木から降りていた佐久間が、ゆっくりと倒れたミノタウロスへと近づいていく。
その倒れたミノタウロスの口に銃口を突っ込む。そして、
「やってくれたじゃねえかよ、牛の化け物ごときが」
凄惨な笑みと共に、引き金を引く。引き続ける。
くぐもった銃声一発ごとにミノタウロスが痙攣する。それでも佐久間はずっと、異様なほどに延々と、口内に銃弾を撃ち込み続けている。
そして、とうとう。
ミノタウロスの頭が、炸裂する。そうして、その体は真っ白い光の粒になってから、消える。
……勝った。
喜ぶよりも、あまりのことに全てが信じられず、ユンユは呆然と立ち尽くす。横を見れば、ソフィアも同じようにぼんやりとしている。
『全員に報告。ちょうどいいタイミングで霜尾も意識を取り戻した。それでは、拠点に向かおう。ユンユ、ソフィア、道案内を頼む』
全く感情の色のない、冬村の指示が頭に響く。それでも、ユンユはしばらくの間動けないでいた。
まだ、自分が生きていることが信じられなくて。
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