すぐに冬村が戻ってくる。
少し遅れてぞろぞろと出てきたのはさっきまで酒を飲んでいたにも関わらず顔を赤くではなく青くしている兵士たち。そして将軍。
「なるほど。嫌な雰囲気だな」
さすがは元冒険者ということか、将軍が周囲を見回して唸る。
「冬村。どう思う?」
「取り囲まれているなら、一点突破で囲いを破ってなりふり構わず逃げ出すしかない」
木々の奥にいる敵を見透かすように、冬村は目を細める。
「純白水晶がある。粗末なものだが要塞も。これを使って籠城戦という手はないか?」
言いながら、将軍の顔は一切それを信じていない。確認のために冬村に言葉をかけているだけのようだ。
「向こうは、それを想定してこの策を仕掛けてきている。最初から向こうの策だったと考えると、籠城戦で堪え切れる戦力しか向こうが用意していないとは考えられない」
「だよな」
はあ、と鋭い目つきのままで将軍はため息をつき、
「都合がよすぎるとは思ったけどよお、だが俺たちを全滅させるためにわざわざ暗黒水晶を囮にするはずがない。そう思っていたんだけどな」
「ああ。そうだとすると敵の狙いは――いや」
何かを言おうとしたのを冬村は止めて、
「ともかく全員戦闘準備。非戦闘員を中央に集めて陣形を組む。なりふり構わず、囲いを破る。指揮は、将軍に任せても?」
「ああ。そういうわけだ。酔っ払い共、準備をしろ」
将軍の指示で、青白い顔に変わった兵士たちが得物を構えて陣形を組みだす。
「ああ……これで一端の兵士になれば、一時帰郷も叶って久しぶりに母ちゃんにも娘にも会えると思ったのによお」
例の唯一話しかけてくれるおじさんがぼそぼそと俺の横で愚痴っている。
「そんな、これで全部おしまいってわけでもないでしょ。一時退却してまた奪い返せばいい」
一応慰めておくが、
「そうかねえ。俺の人生、そんなうまくいったためしなんてねえからなあ」
そう言いながら持ち場へと離れていく。
「マレビトも、前衛組は最前線についてくれ。時間がない。一刻も早く――」
指示を続けようとしたバニング将軍の口がかちりと固まる。
俺には理由が分かる。いや、おそらくその場の全員が。遠巻きに囲まれているかどうかなんてまるで分からなかった俺でも、これは分かる。
何かが、近付いてきている。とてつもない何かが。
逃げなければいけない。本当的にそう直感するが、体が動かない。足が釘で地面に打ち付けられたかのようだ。蛇に睨まれた蛙の気分が分かる。
「……作戦変更だ」
その状況で、何とか絞り出すようにかすれた声で将軍が言う。
「全員散開。散らばれ。逃げろ。一人でも多」
言葉の途中で、突如として将軍が妙なことになる。背が縮んで、ぐら、と姿勢を崩す。そうして、
「……これはこれは、『大嵐』か」
苦笑して、武骨な剣を構えて自分を守るようにした後で、きん、と高い音がして、その剣が切断される。同時に、将軍の首も飛ぶ。
どう、と倒れた将軍の体。両脚は脛のあたりで切断されている。首もない。どちらも、鋭利な刃物によるものと思われる鋭利な切断面だ。
あまりにも急な展開に、現実感を失った頭でぼうっと観察する。
悲鳴。絶叫。全員が、おそらくは将軍の最後の指示を守ったわけではないだろうが、それでも結果として指示通りに散らばる。
『屈め』
スキルによる冬村の指示が頭に響く。反射的にそれに従って身を屈める。いや、スキルを通してだけなく、実際に冬村、ユンユ、他にも何人かが屈め、と叫んでいる。
周囲の兵士たちは、その指示に従ったのが半数。それをする余裕がなく、走って逃げ回ろうとしているのが半数。
その指示に従わなかった半数の兵士たちの、胸から上が切断されて宙に舞いあげられているのを見上げる。温かい血が全身に降り注いでくる。
「いた」
呟くのはユンユ。身を屈めていた彼女が傍にいる。
彼女の視線の先、さっきまで木々が生い茂っていた場所が、ただの草原になっている。いや、正確にはずたずたに刻まれた切り株と木片だらけになっている。
その空間の中心に、確かに彼女の言葉通り、それはいる。
最初、それは背の高い、マントで体を包んだ人間かと思う。だが、違う。するするとこちらに近づいてくるそれは、マントで体を包んでいるのも、人型をしているのも間違っていないが、人間ではない。その顔は、俺の中で一番近い存在を挙げるなら、バッタだ。人型をしたマントを羽織ったバッタが、近付いてきている。
「モンスターじゃない。魔族だ。それも、向こうの最高戦力の一柱。話にしか聞いたことがないけれど、間違いない。『大嵐』のグラモス」
もう、ユンユの顔は緊張で強張ってはいない。そこに浮かんでいる表情は、多分諦観だ。
「英雄を何人も殺してきた伝説に、こんなところで会えるなんて」
「逃げないのか?」
まだ、頭の芯が痺れたようで現実感のないまま、そう質問してみる。
「しても無駄さ。まあ、これで僕たちが必死で抗えば、時間稼ぎになって一般の兵士が一人か二人、逃げ延びることができるかもしれない。それに期待するしかないさ。ねえ、ソフィア?」
そうユンユが声をかけた先では、死体に囲まれたソフィアが、何か呪文を唱えている。
あのバッタ――グラモスのマントの中から、何かが出てくる。細い何か。それがどんどんと伸びてくる。節足だ。その先には、カマキリの鎌のようなものがついている。一本だけではない。次々にマントから出てきたそれは、最終的に十本を超える。それがどんどんと伸びていき、やがてグラモスを中心にまるでハリネズミのように節足が突き出しているかのような状態になって。
「うおっ」
思わず声を漏らしてしまう。
鎌つきの節足が消える。いや、鎌は消えたわけではない。信じられないスピードで振り回されているのだ。グラモスの周辺の木々が刻まれて粉々になっていくのを見てそれが分かる。ああ、これが『大嵐』の異名の由来か。
その節足は伸びるらしく、大嵐の範囲はどんどんを広がっていく。そうして。
「う」
俺とユンユのすぐ横で身を屈めながら逃げようとしていた兵士の体が縦に断ち切られる。
ひゅう、と音がする。何の音だろうと思って、俺の喉が勝手に鳴っているのだと分かる。体が震えている。今、俺やユンユが殺されなかったのは、ただ単に運が良かっただけだ。
他にも数人の兵士が、あっけなく刻まれていく。
「トラは逃げるべきだよ」
そう言ってナイフを構えたユンユは、そう言い残してグラモスに走っていく。
やめろ、と止めようとした俺に向かって何かがごろん、と転がってくる。何だろう、と目を向けた先にあったそれは、例の俺に話しかけてくれていた唯一の兵士の生首だった。疲れ切って、「こうなると思ったよ」とため息をつきそうな表情のまま、それは転がっている。その横には、一般魔術を俺たちにかけてくれた非戦闘員の中年の女性の上半身。
それを見た途端、勝手に俺はごろ、と転がる。腰が抜けたのだ。全身が汗で濡れている。そうか。恐怖している。いや、ずっとしていたのだ。体の方が先に。ようやく、その恐怖が脳に伝わった。
死にたくない。脳裏には透子の姿が蘇る。もう一度、透子に会いたい。這いつくばってとにかくグラモスから離れようとする。血と土の混じった泥に滑って、その場で転ぶ。その俺の頭の上を何かが通り過ぎる。髪が数本切れる。鎌が通ったのだ。
何か、何か、何かないか。生き残るために、何か。
地面を泥まみれで這いずりながら、必死で頭を回転させる。だが、何もない。何も思いつかない。生き延びれるとは思えない。
スキル。何か使えないのか、俺のスキルは。協力要請で今は受け流しと遠距離指示。これを使って生き延びて――無理だ。あの鎌を受け流すことができる自信なんてない。目で見えない。
恥も外聞もなく地面を虫のように這いずりながら逃げようとする俺はほとんど悪あがきのつもりでスキルを確認しようとして。
大河虎太郎 レベル:3
所持スキル:・協力要請 レベル2
説明:対象と同意の上で、対象の持っているものと同じスキルを2つ使用可能になる。
・Load レベル1
説明:チェックポイントから再開する。記憶のみ引き継ぐ。
「……は?」
見慣れないスキルがあることに気付く。ロード? ロードって、あのロードか? あそこのスキルは、確か???で封印されていたスキルのはずだ。一体、何だ、これ?
喉が渇く。もしも、これが本当にあの、俺が想像している通りの、ゲームで言うところのロードと同じだったら。
周囲の死体を見回す。地獄絵図。これを、リセットできるのか?
ロードする、という意味不明なものに対する恐怖はある。だが、それよりも現状に対する恐怖が圧倒的に打ち勝つ。
ほとんど躊躇なく、俺はロードのスキルを使用して。
『スキル:Load レベル1が発動しました。ロード中。現在1%』
そんなシステムメッセージが出てくる。
「……は?」
1%? 何だ、これ。
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