体の内側から火あぶりにされる悪夢を見て飛び起きる。見たことのない天井だったことに混乱して、まだ悪夢の続きかと一瞬思うが。
「ああ――異世界、だったな」
呟いて、大きく息を吐く。ちなみに、悪夢の理由はほぼ間違いなくソフィアの手料理のせいだ。まだ胃が熱い気がする。
「マレビトさん、体調大丈夫かい?」
横の中年の兵士が、起きた俺に気づいて声をかけてくる。
「いや、あんまりよくないです」
「そりゃそうだ。ソフィアさんの手料理食ったんだから」
がはは、と人のよさそうなその男は笑う。
昨夜、さすがに女性陣はソフィアとユンユも使っている女性用の小屋で睡眠をとることになったが、男連中は兵士用の宿舎にほとんど雑魚寝だ。
そのおかげで、いくらか兵士とも喋ることになった。といっても、佐久間や青井と違って、俺はどこか敬遠されているようで、この人のよさそうなおじさん以外には喋りかけてくれる人はいない。ちなみに冬村はリーダーだけあって個室を用意された。うらやましい。それよりも問題は霜尾だ。信じられないことに、あの男は夜になるといつの間にか消えていた。慌てて探し回ると、拠点の隅で野宿していた。佐久間曰く、引きこもりだからこんな集団で寝起きするのは耐えきれないのだろう、とのことだが、それにしてもよくこの状況で野宿なんてできるもんだ。
『全員起床しているか? 本日の作戦を伝える』
顔でも洗おうか、と思っているところで頭の中に冬村の声が響く。あのスキル、便利と言えば便利だが、気の休まる時がないな。
嫌だ。
それが作戦を伝えられた俺の素直な感想だ。
佐久間と霜尾があのミノタウロスを見つけた砦まで調査に向かう。できるならその先、森の中心部へと。何が起こっているのかを見極めるために。その調査結果によっては、この拠点を放棄して船を使って撤退する。
これ自体は全く問題ない。納得できる。是非ともやってほしい。
何が起こるか分からないことと、この調査の重要性から、拠点の兵のおよそ半数を投入するとともに、最大戦力であるユンユとソフィアも連れていく。これも問題ない。
そして斥候向きであり例の砦の発見者でもある佐久間と霜尾、そして『致命の一撃』のスキルにより殺傷力という一点においては蒼井を超えるかもしれないアイリスも向かう。これもいい。彼女自身嬉しそうだし。
ここまでは全く異論はない。どちらかと言えば防衛向きの能力である蒼井と遠距離から指示のできる冬村、明らかに前線向きではないエレミヤが残るのも納得だ。
問題は、俺だ。俺がその調査に参加、しかもリーダー役をしろと言うのは、納得できない。というか、端的に言うと、嫌だ。
しかし、結構それについて筋の通った説明をされてしまったので、余計に救いがない。
「大河の持つ『協力要請』のスキルで、私の『遠距離指示』と有栖川の『パリイ』を借りてもらう。そうすると、現地にいながら私と双方向で連絡ができるようになる。指示と報告をスムーズに行うことができる。パリイによって生存率も上がる。大河が現地で私の代理をするのが最適だ」
なるほど、なかなか反論できない。
というわけで結局命令通り、十数名の兵士たちとソフィア、ユンユ、アイリス、佐久間、霜尾を率いて森を進む。
「あーあ」
あくびしながら、時折佐久間が銃を撃つ。周囲の兵がびくり、と驚くが、
はるか先でウッドハウンドがもんどりうっているのを見てすぐに感嘆の声に変わる。
「この辺りではウッドハウンドか角ウサギが出現します。佐久間様や霜尾様が警戒して遠距離攻撃をしていただければ、ほとんどは近寄る前に倒せますわ」
ソフィアの説明通り、こうなるとモンスターが接近するのはたまに、というくらいになる。
こうやって部隊の『目』の役割を二人に果たしてもらいつつ、撃ちもらして接近したモンスターについては、兵士が数人がかりか、ユンユか、アイリスが倒す。多少なりともダメージを受けた場合は、戦闘終了後にソフィアが法術で回復できる。
こうして、冬村の指示による盤石の体制で、誰一人欠けることなく俺たちは例の古い砦まで進む。楽勝だ。全員で木々に身を隠しながら偵察する。
かつてミノタウロスと大勢のゴブリンがいたあの砦には、見たところ十数匹程度のゴブリンが残っているだけだ。
『それならば、占領しろ』
俺の報告を受けての冬村の指示はシンプルだ。
「どうだって?」
アイリスの質問に、
「占領だって」
その返事が終わらないうちに、佐久間は発砲している。一匹のゴブリンが蜂の巣になり、残りは突然のことに混乱して立ちすくんでいる。
そのゴブリンたちの頭が、リズミカルに一匹一匹頭がはじけていく。霜尾の狙撃だ。
さすがにゴブリンたちも敵襲だと気付いたらしく、身を潜めていたこちらを補足して喚きながら突撃してくる。
こうなっては身を隠す意味もない。
「総員、構え」
俺は短く指示を出す。
とは言っても、ゴブリンたちがこちらに辿り着くまでにどんどんと佐久間と霜尾の銃撃によって数は減っていく。
「銃撃やめ」
そろそろ接近戦の間合いだ。これ以上は同士討ちの可能性があるので銃撃を止める。そして。
「さあて、じゃあ、いくわよ」
舌なめずりをしたアイリスが、スカートをはためかせながら走り出る。横の兵士たちが止めようとするが、それを聞く彼女ではない。誰よりも早く、誰よりも前に出る。両手に一本ずつ持つのは、拠点で手に入れた二振りの短剣。
ゴブリンのこん棒の一撃を、左手のそれで受ける。通常ならば砕けてしまいそうな短剣は、その一撃を受け流し、ゴブリンの体が大きく泳ぐ。その隙に、右手の短剣が首すじを斬る。その時には既に、左手の短剣は次のゴブリンの攻撃を受け流している。
「攻撃防御共に強化いたします。お願いしますわ」
ソフィアの法術で強化された兵士たちが、ゴブリンたちを打倒していく。
「いいねえ、順調で怖いくらいさ」
呟くのはユンユ。さすがに戦闘経験が豊富らしく、その状況下で常に全体を見回し、ゴブリンが部隊の中に入り込もうとしたタイミングでするりと近づき、ナイフで急所を突く。
俺は、後ろの方で基本的に観戦。霜尾、佐久間、ソフィアといった最後列のメンバーにまでゴブリンが辿り着きそうな時は、パリイで時間を稼いでユンユか他の兵士がやってきてそのゴブリンを倒してくれるのを待つだけだ。それも、ひいひい言いながら。
とはいえ、大した時間もかからずゴブリンは全滅した。
「ちぇっ、もういないか」
舌打ちをしたアイリスは、ほとんどスキップのような足取りで砦の中に入っていく。止める間もなく。
「だーれもいない」
すぐに、大声で報告してくれる。
ゴブリンの死体は消え、いくつかアイテム――ユンユいわく一般的な体力回復用のポーション――が出てきたので回収し、さてどうするか、と冬村に報告する。
『そうか。思ったよりもスムーズに進んでいるな……。その古い砦を一時的なキャンプとして使うことは可能か?』
『多分。特に、ユンユやソフィアは冒険者だからそういうの慣れているでしょうし。アドバイスをもらったら、何とか』
『よし。それなら、そこをキャンプにしていったんそこで休め。そののち、また森の中心部へ向けて出発だ。方向は分かるか?』
『目印つけてますから、大体は。でも、これ以上進んだら、日が沈むまでに拠点に戻れなく――ああ』
途中で納得する。冬村に見られることはないから、思い切り顔をしかめる。
『日が沈みそうになったら、ここまで戻れってことですか』
『そういうことだ』
『分かりました』
反論しても無駄だ。全員にさっきの冬村の指示を伝える。
幸運にも、砦の中には大掃除をしなければならないような状態ではなかった。もちろん必要な道具や食料などはないが、それはこちらの兵士が分担して持ってきている。保存食や水、それから寝袋。
「焚火はそこらの落ち葉と枯れ枝を使えばいいとして……水がちょっと心配だね」
とりあえず荷物を置いたところでユンユが言う。
「結構持ってまいりましたから、一日二日程度ならば問題ないのでは?」
「もちろんさ、ソフィア。僕が言いたいのはそれ以降の話さ。それ以上ここを使うつもりなら、川か泉かを見つけないと」
「寄り道をすると迷いそうだし、とりあえず命令通りに森の中心部に向かいつつ、途中で川とかにぶつかるのを期待するしかないんじゃないか?」
一応、現場の指揮官代行として意見してみる。
「妥当なところだね。さあ、味気のない腹ごしらえも済んだし、とりあえず進もうか」
ユンユからのお墨付きももらったので、まずは以前と同じように佐久間と霜尾を目にした陣形で再び調査のために進む。
幸運なことにモンスターの種類は特に変わらず、狼と兎だけ。安定してきて、兵士同士も世間話をする余裕すら出てくる。
俺も周囲を警戒しつつ、葉の形で木や草の種類を判別して、果たしてこの森には大体何種類の植物が自生しているのだろうかと結構どうでもいいことを気にするようになっていた。今まで見たことのない、ぎざぎざの葉の木を見つけて思わずその彫刻刀で刻まれたような木の幹を撫でていると、
「いやしかし凄いもんだな」
例の、奇特にも俺に話しかけてきてくれる唯一の兵士と言っていいあのおじさんが声をかけてくる。
「え、何が?」
「マレビトだよ。いや、ここまであっさり調査が進むなんてなあ」
俺たちがあの拠点に配属されてから何年も経つが調査なんてずっと進んでいなかったんだ、と説明する。
「まあ、ちょっと前にあのバニングって将軍様がやってきて、冒険者だった時のコネとうちの予算のほとんどをつぎ込んで、ユンユさんとソフィアさんを雇ってからは、大分マシになっていたけどな」
「ちなみにそれまでは?」
「調査用の拠点なんて建前も建前。使えない人材をぶち込んでおいて、魔族に嫌がらせをする。こっちへの攻撃のために少しでも力を割いてくれたら本隊としては万々歳って感じだったなあ」
最悪だな。
「まあ、あんたらマレビトの力を借りて調査が進めば、ひょっとしたら、ってことも思ってるんだ。正直、将軍も俺たち兵士も皆、こっそりとな」
「何の話です?」
「見捨てられた拠点の部隊が実績を出したってなったら、あの拠点から解放されるかもしれねえだろ?」
「調査の結果によっては、むしろあの拠点を放棄して撤退しなきゃいけないかもって話ですけど」
「それならそれでいいんだよ。ともかくあの拠点から解放されたいんだ、俺たちは。ちょっとしたことで下手を打ったせいであんな場所にとばされてから、もう何年あのぼろい拠点で意味があるのかどうかも分からない作戦を繰り返していると思う?」
そう語る兵士の顔には、深い皺が刻まれている。おそらくは実年齢よりもかなり老けた見た目になっているのだろう。澱みのようなものが染みついている。
「これで終わるかもしれねえんだ。これで」
祈るように呟いて兵士は大きく息を吐く。
「――何だ、あれは」
と、目の役割をしていた佐久間が言う。
全員で一斉に佐久間の視線の先を見る。少し先、唐突に木々が途切れている。森の中に、広大な円形の開けた場所がある。まるで何かが爆発して、周囲の植物を全て吹っ飛ばしたかのようだ。その場所の中心に、明らかな人工物。ただひたすらに木材を組み上げてつくったような、粗雑な木壁だ。ただ、その量がとてつもない。何重にも重ねられているであろうその木壁が、空間の中心でとぐろを巻いている。そしてその高さもまたとてつもない。見上げれば首が痛くなってしまう。
凄まじく雑につくられた木製の塔、というような見方もできるが、それにしては妙だ。何故なら、その大量の木壁――いや、建造物は、明らかに更に中心にある何かを覆っている。建造物のわずかな隙間、あるいは空を見上げれば建造物を突き抜けて、『それ』が上に伸びている。
それは、元の世界での高層ビルくらいの高さのある、黒い塔――いや、針だ。明らかに上に行くにしたがって細くなっていて、先端が尖っているのが見える。
これくらいの高さがあるのならかなり離れた場所からも発見できそうだが、森の中にあるために木々に空が隠れているからここま
で近づくまで俺たちは発見できなかった、ということのようだ。
「暗黒水晶だ」
「あれが、暗黒水晶か。初めて見た」
ぼそぼそと兵士たちが囁いているのが聞こえる。その表情は明らかに怯えている。
暗黒水晶? 確かに、よく見ればあの真っ黒で巨大な針のようなものは、わずかだが太陽の光を受けて透き通っているようにも見える。水晶、なのか? 黒い水晶。だが、あれが一体何なのか?
観察すれば、多少なりとも水晶を覆っている木製の建造物の中をちらほらとゴブリンがうろつているのが見える。ウッドハウンドらしきものもうろついている。ゴブリンが飼っているのか? ともかく、建造物の規模的にも、モンスターの数は例の砦よりも多そうだ。
『何があった?』
冬村からの質問に、とりあえず見たままと、それから暗黒水晶という名称も伝える。
『少し待て』
おそらく、例の将軍に話を聞いていたのだろう。そう言ってから少し経ってから、
『全員、例の砦のキャンプまで戻れ。今日はそこで一夜を過ごせ』
そう、指示が出る。
『夜を明かしてから、そっちに戻った方がいいですか?』
『逆だ』
予想外の返事。
『我々が行く。この拠点を空にして、全力で侵攻することに決まった』
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